サマーメモリーズ(2)
□46.
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なまえは翔太に連れられて行く健二の後ろ姿を少しだけ目で追った後、再び畳へと視線を落とした。背後では、夏希が項垂れたまま座って居る。しかしなまえは、そんな夏希へ声を掛けないどころか目もくれない。
完全に無視した状態で、ふとなまえは立ち上がった。不意に、理一と目が合う。
「……」
しかしなまえは特に何も言わず、自然な動作で健二達とは逆の縁側へ向かう。そこでどこか遠くを見詰め、空を見上げた。
理一は口を開きかけたが、何も言わず。代わりに同じように縁側に立つと、空を見上げた。
玄関で、健二と翔太が靴を履く音が聞こえる。
「―――健二君、行っちゃった。」
なまえは耳をそばだてねば聞こえぬ程に、小さくポツリと零した。
そしてほぼ間髪を入れずに今度は少し大きめの声で言った。
「おばあちゃんの、誕生日だけど……」
健二の事などまるで無かったかのように、別の話題を口にするなまえ。
理一はその横顔に視線を移す。そして
―――ふと、笑った。
「本当は気になってるんでしょ?健二君の事と、夏希の事。」
その台詞になまえは静かに目を見開いた。
そして、理一を見上げる。
そこにはあの、柔らかい微笑。
「別に、そんな事は……」
「嘘」
柔らかく断言されて、なまえは今度こそ、息が詰まった。
何で、と口にせずとも、理一にはなまえがそう問いたいのだとすぐに判る。
「だって、声が上の空だったから」
「えっ……?」
理一はなまえを見降ろすと、端整な顔で笑った。なまえは困惑したように、そして誤魔化す様に視線を泳がして、何か口を開こうとする。理一はそんな様子を見詰めて「なまえ、」と名を呼んだ。
なまえは動揺する。次に何を言われるのだろうか、と少し表情が強張ったが―――
「むぐっ」
その表情は、頬を両手で包んで押した理一によって崩された。物理的に。
「な、なに」
「はは、変な顔」
「!?」
なまえは突然の事に石化する。そしてようやく思考が追いついたとき、変な顔とはなんだ、と口を尖らせた。するとその表情がまたおかしかったのか、理一は再び笑った。
「―――ふふふ」
「!?」
なまえは再び石化したかと思うと、みるみる内に赤くなった。今度は眉を寄せて、理一を睨む。すると理一は「ごめんごめん」と言いながら、その手を緩めた。
「……」
「悪かったって。でも、そうじゃなくて。……なぁ、なまえ」
理一はなまえの両頬を包んだまま、顔を上へ向けると、覗き込むように見下ろす。そして、
―――俺の前では、嘘なんて吐かなくていいんだよ
理一はなまえの瞳を見詰め、そう言った。
「――……」
その真っ直ぐな視線は、何年経ったって、寸分変わらない。
いつも胸がヒリヒリと焼ける程に、心から向き合ってくれるような、強い眼差し。
どんなに私が偽って、隠して、見せなくて、裏返しても、いつも向き合ってくれて、時に、叱ってくれる。その
私にとってただ一人、たった一つ、唯一の―――
なまえの心音が一度大きく高鳴る。
その癖すぐに、「ね?」と微笑まれ、なまえは何も言い返せなかった。
騒動に波立ったこの家も、再び何事も無かったかのように日常に戻る筈。火を見るよりも明らかな事で、当然の事だった。皆が薄情なのではない。“そういうもの”なのだと私は思う。
だからこそその流れを甘受して従服するよう身を任そうとしていたのに―――
理一お兄ちゃんにはいつだって、見透かされてしまう。
「……狡いよ、理一お兄ちゃんは」
なまえは視線を落とす。
「狡いのは、なまえの方さ。」
「……」
その意味が伝わったなまえは、俯いて、自分の胸がチクリと痛む音に耳を澄ます。
―――そう、狡いのは……目を背けた私の方だ。
健二君から、夏希から、そして、自分から。
己の行動を妨げ、思考にまで訴えてくるものは、煩わしく疎ましい。
干渉だなんて、邪魔者だ。
そう。
まさにその筈なのに。
そしてその対象は今、理一お兄ちゃんである筈なのに―――
じんわりと温かく
胸が高鳴るのは、どうしてだろう。
「……ごめんなさい。」
頬に添えられた理一の手に、己の手を重ねた。
その様子を見ていた理一は、にっこりと笑った。
そしてぐしゃぐしゃと、なまえの頭を撫でる。
「解ったなら、ほら。」
理一はそう言って、そっとなまえの背中を押した。
なまえは
「―――うん。」
しっかり頷くき、地面を蹴った。
その瞳は真っ直ぐで、
力強いものだった。