刀神

□陸ノ太刀
2ページ/7ページ


〜迷宮区〜

鈍色に光る剣尖が僕の眼前を過ぎ去る。
僅かに掠ったらしく、視界左上に固定表示されている細い横線が、僅かにその幅を縮める。

同時に、胸の奥をゾクリとした感覚が撫でる。


横線──────HPバーの名で呼ばれる青いそれは、僕の生命の残量を可視化したものだ。
まだ最大値の九割近くが残っているが、その見方は適切ではない。
僕は今、一割弱死の淵に近付いている。

敵の剣が再度攻撃モーションに入るよりも早く、僕はバックダッシュして距離を取った。

『ふっ……』

無理矢理大きく空気を吐き、気息を整える。
この世界の《体》は酸素を必要としないが向こう、つまり現実世界に横たわる僕の生身の身体は今激しく呼吸を繰り返しているはずだ。
投げ出された手にはじっとり冷や汗をかき、心拍も天井知らずに加速しているだろう。

当然だ。


たとえ僕が見ている全てが3Dオブジェクトであり、減少しているのが数値化されたヒットポイントであろうとも、僕は今確かに己の命を賭けて戦っているのだから。


その意味では、この戦闘は不公平極まりないものだ。
なぜなら、目の前にいる《敵》────深緑色にぬめぬめと光る鱗状の皮膚と長い腕、トカゲの頭と尻尾を持った半人半獣の怪物は、見た目通り人間でないだけでなく本物の命も持っていない。
何度殺されようとも、システムによって無限に再生成されるデジタルデータの塊でしかない。


『(……いや、そうでもないか…)』


今、あのトカゲ人間を動かすAIプログラムは、僕の戦い方を観察し、学習して対応力を刻一刻向上させている。
しかしその学習データは、今の一個体が消滅した途端にリセットされ、次にこのエリアに湧出(ポップ)する同種の個体にはフィードバックされない。

だから、ある意味では、あのトカゲ男も生きている。
世界に唯一無二の存在として。

『……だよなぁ』

僕の呟きを理解したわけもなかろうが、トカゲ男─────レベル82モンスター《リザードマンロード》は、細長い顎に並んだ細い牙を剥き出し、ふるる、と笑ってみせた。

現実だ。この世界の全ては現実。
仮想の偽物など何もない。

僕は、左手に握った片手用の両刃直剣をピタリと身体の正中線に構えた。

リザードマンも、左手の円盾(バックラー)を掲げ、右手の片刃曲刀(シミター)を引いた。

薄暗い迷宮の通路に、どこからか冷たい風が吹き寄せ、壁の松明を揺らす。

瞬いた炎たちが、湿った石畳にチラチラと反射する。


「ぐるあっ!!」


凄まじい咆哮とともにリザードマンロードが地を蹴った。
遠間からシミターが鋭い円弧を描いて懐に飛び込んでくる。
空中に鮮やかなオレンジ色の奇跡が眩く輝く。
曲刀カテゴリ上位ソードスキル、単発重攻撃技《フェル・クレセント》。
射程四メートルを0.4秒で詰めてくる優秀な突進剣技だ。

だが、僕はその攻撃を先読みしていた。

そうなるように、わざと間合いを広く取り続け、敵のAI学習を誘導したのだ。
鼻先数センチの距離をシミターの切っ先が駆け抜け、焦げ臭さを残すのを意識しながら、低い姿勢でトカゲ男の懐に密着する。

『……しっ』

掛け声とともに、左手の剣を真横に切り払う。
水色のライトエフェクトを纏った刃が鱗の薄い腹を抉り、血液の代わりに鮮紅色の光芒が飛び散る。
ギャッ、という鈍い悲鳴。

しかし、僕の剣はそこで止まらない。
起こしたモーションに従って、システムが自動的に動きをアシストし、通常では有り得ないほどの速度で次の一撃へと繋げる。

左から右へと跳ね返った剣が、再度トカゲ男の胸を切り裂く。
僕はそのままぐるっと体を一回転させ、三撃目がいっそう深く敵の体を捉える。

「ウグルルアッ!!」

リザードマンは、大技を空振った後の硬直が解けるや否や、怒りかあるいは恐怖の雄叫びとともに右手のシミターを高々と振りかぶった。

だが………

『…(ニッ)悪いね』

僕の連続技はまだ終わってない。
右に振り切られた剣が、バネに弾かれるような勢いで左上へと跳ね上がり、敵の心臓────クリティカルポイントを直撃した。

計四回の連続攻撃によって、僕の周囲に描かれた水色のラインが、パッと眩く拡散する。

水平四連撃ソードスキル、《ホリゾンタル・スクエア》。

鮮やかなライトエフェクトが、迷宮の壁を強く照らし、薄れた。
同時に、リザードマンの頭上に表示されるHPバーもまた、1ドット余さず消え去った。

長い断末魔を振り撒きながら真後ろに仰け反っていく緑色の巨躯が、不自然な角度でピタリと静止し─────。



ガラス塊を割り砕くような大音響とともに、微細なポリゴンの欠片となって爆散した。

『…やっぱ、あまり気持ちのいいものではないね…』

今までに何度も見てきた、この世界における《死》。
瞬時、そして簡潔。
一切の痕跡を残さない完全なる消滅。

視界中央に紫色のフォントで浮き上がる加算経験値とドロップアイテムリストを一瞥し、僕は剣を軽く一回切り払って腰の鞘に収めた。

そして、近場で戦っている相方を見やった。

そちらもちょうど戦闘が終わったところらしく、彼が剣を左右に切り払って背中の鞘に収めるのが見えた。
そして彼は、そのまま数歩後ずさると迷宮の壁に背中をぶつけてズルズルと崩れ落ちるように座り込んだ。

『………』

僕はゆっくりと彼の方へ近付くと、俯いたままの彼に声をかけた。

『お疲れ様。……大丈夫?キリト』

僕の問いかけに彼──────キリトは“へーき…”と小さな声で答えた。

『(どーこが平気なんだか…;;)』

ま、結構な時間単独戦闘してたし疲れて頭痛でもするんだろう。
ソロは神経をすり減らすから仕方ないことだ。

ちなみに僕はそのヒリヒリする感じが好きなんだけどね。

━━━━━[はぅ…… ────────くん、また無茶してる……]━━━━━

『!……………(久しぶり、ですね…)』

この世界に来て二年が経ったが、未だに“コレ”は治らない。
それどころかこの時にだけ聞ける“仲間”の声に安堵さえ覚えつつある。

ボクは、未だみんなに心配かけてるのかな、なんて考えながら………

『……大丈夫…無茶なんてしてないですよ…』

「は?」

『え?』

「今何か言ったか?」

『…いや?

それよりほら、もう3時だよ。
そろそろ帰らないと暗くなるけど』

「…だな」

そう言ってキリトはゆっくりと立ち上がった。

一日分の《攻略》の終わり。
今日もどうにか死神の腕をすり抜けて生き残った。
しかし塒(ネグラ)に戻り、短い休息を取れば、また明日の戦いが訪れる。
いかに安全マージンを取っていると言っても、勝利率が百パーセントではない戦いを無限回続ければ、いつかは運命の女神に裏切られる時が来るはずだ。
問題なのは、その時が来るのと僕らがこの世界を《クリア》するの、どちらが早いかということ。

生還を最優先とするなら、安全圏である街から一歩も出ずに誰かがクリアしてくれる日をひたすらに待ち続ける方がずっと利口だ。
実際そうしてる人もかなりいるらしい。

だけど、僕はそうしない。
毎日最前線にソロで(今日はキリトがいたが)潜り続け、死の危険と引き換えにステータスの強化を続けている。

そんな僕はVRMMOに骨の髄まで取り付かれた中毒者なのか、あるいは不遜にも己の剣で世界を解放しようなどと考えている大馬鹿野郎か。

それとも………

「リグ?」

『……(クスッ)なんでもない』

「?あ、おい待てよ」

後ろを、気遣わしげな視線を投げかけながらキリトがついてくる。
僕はそれに気づかないフリをして先を歩く。





『(もしくは………)』




















早くみんなの処に逝きたいだけの、ただの死にたがりかな………
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ