short story
□泣かないと決めたあの日
1ページ/2ページ
+泣かないと決めたあの日
―――――ああ、神様。これが"恋"ですか?
空が灰色の雲に覆われている。やはり、こういう日は天気が悪くなるものなのかもしれない。
朝早く目が覚めて、さみしさが体を包み込んでいく。今日はとうとうあいつが旅立つ日。わかっているけど、どうしても寂しく思えて…。
今の時代では珍しい茶色の髪が肩を伝ってさらりと揺れる。しかし、最近はよく防空壕に行く回数が増えているから…。
「しばらくお風呂とかは入れなさそうやな…」
カタン、と音がして、襖が開いた。そこから顔を覗かせたのは自分と同じ髪の色をした若い女性―――――母親の柚香。
私は反射的に微笑んでしまった。いつもずっと笑っていたせいもある。母親をこれ以上悲しませないように。
父親の泉水は先月"赤紙"と呼ばれる召集令状をもらい、そのまま戦地へと旅立ってしまったんだ。
「お母さん、おはようっ!!」
母を不安にさせていはいけない。そう思い、先月父が戦地へと旅立った時から1回も泣かずに頑張ってきた。
泣いたらダメ。母を不安にさせてはいけない。―――――その思いだけが私を私らしくしていた柱のようなもので。
でも、今度こそその柱は折れてしまうんじゃないかって…衝動的に不安になってしまうんだ。
「今日…なのね」
「そうやよ。ちゃんと…笑顔で見送らなきゃ」
母親は心配そうに私の方を見た。でも大丈夫。きっと大丈夫だよ、お母さん。
私、泣かないから。泣きそうになったらそこから立ち去るくらいの決意もあるから。絶対に心配させたりしないから。
今日、あの場所で、母をさらに不安がらせるようなことになってはならない。父がいないことによって不安定になってしまっているのだし。
「今日は…昭和20年、3月…何日だっけ」
「あぁ…暦はないかしら?」
どこを見ても暦が見当たらない。仕方なく日付確認は諦めることにした。
きっと、お父さんは帰ってくる。それまで母を支えることができるのは私しかいない。いつこの戦争が終わるかはわからないけれど…。
最後の最後まで、私がお父さんを支えなければいけないんだ。きっとそれはお父さんも望んでいるはず。
「あ…蜜柑っ!!! 防空壕に避難するわよ!!」
「うんっ!! あ…B29!!!」
まずい―――――そんな考えが脳裏をよぎる。このままじゃ危険だ。早く避難しないと…私たちの命が危ない。
すると、隣の家から大声で呼ばれた。ちょうどお隣の日向さんの家の防空壕が完成したところだったらしい。
ちょうど中に入り、しばらくすると音が消えた。どうやら爆撃や焼夷弾投下は終わったらしい。
「な、なにこれ…」
外に出ると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。家が、燃えている。私の家も、お隣さんちも全部全部…燃えて、いる…?
…私は思わず自分の家に飛び込もうとしてしまった。だって仕方がないでしょう? …家には全財産、そして家族の写真があるのだから…。
父、母、私。そして戦争に一番最初に召集され、一番最初に命の灯火が消え去った……私の双子の弟の、翔が写った…写真が。
「翔…!! だめ、燃やさないでっ!! 翔、翔…!!」
私は思わず叫んでしまった。あの写真だけは、唯一翔が写っているあの写真だけは失いたくなかったのに…!!
翔だけじゃない。幼馴染の蒼。そして架までもが戦地へと旅立っていってしまった。唯一つながっていたという証になってくれるのは…。
……………あの写真、だけなのに。
「お母さん、どうして戦争は…。……どうして、私から何もかもを奪うんやろうな…」
母は何も答えなかった。けど、考えていることはわかる。きっと、きっと私が思っていることと同じだろう。
戦争は人が起こしたもの。私たちは関係ない。……けど、その"人"は日本人なんだ。私たちが被害を受けるのはそのとばっちり。
どうして、お偉いさんのために翔やお父さんたちが命を失わなければならないのだろう…。
「蜜柑、干し飯はちゃんと持ったわね? はぐれてもしばらくはそれで生き延びなさい」
「お母さん、何言って…」
「あなただけは生き延びるのよ、絶対に」
そして私たちはあいつを送り出しに駅へと向かった。