★星箱
□逸美目線で健二×夏希
1ページ/1ページ
私が彼に気を引かれたのは、おそらく初めて会った時だったと思う…多分。
きちんと覚えている訳では無いが、初めから彼の動作や仕草を自然に目で追っていたような気がする。
干支が二周する程に年の離れた叔父さんに恋をするなど、その時の私からすれば考えも付かなかった事だろう。
決定的に動いたとすると多分、千早に連れられて陣内家にお邪魔したあの時だろう。
主に夏希と千早の差し金で二人きりになってしまった私と理一さんは、どちらも苦笑しつつ屋敷の一番奥にある部屋の縁側へ腰掛けた。
うちの千早がすみませんと笑うと、こちらこそ、うちの夏希がごめんねと理一さんも笑って返した。
どちらも分かりやす過ぎるほどに分かりやすくて、憎めないバカ達だ。
二周りも違う…しかも親友の親類の方を相手にそんな感情を抱くはずが無いだろうと思っていた時の話しだ。
気を利かせた理一さんがしばらくしたら居間へ行こうかと言ったので、私も問題無く、はいと答えて会話は終了した。
しかし理一さんは視線を泳がせ、彼にしては冷静さに欠けると言うか、落ち着きが無いと言うか、言葉に詰まっている様な妙な動きで足を組んだ。
らしくない、そう言えるほどに彼に詳しくなくても「おかしい」と言わざる負えない挙動だった。
「どうかしましたか?」
そう問いかけて、なにが?と笑顔で返される。
「なにがもなにも…変ですよ。」
唖然とそう返すと、うーんと困った様に苦笑した。
私ってば。 変ですよとか、年上の人に!
慌てる私の頭に手を置いて、ごめんねと一言。
そして声の主の方へ顔を上げると、近くに理一さんの顔があって、唇に柔らかい感触を残して、数秒経って離れて行った。
キス、された?と頭が理解したのは10秒以上後だろう。
イタズラが成功した子供の様ににんまりした理一さんと、頭が追い付かず10秒少々放心状態な私は、間違っても恋人同士などではなかったはずだ。
「なにごとですか。」
そう返す声は、動揺の余り震えていたに違いない。
しかし理一さんは涼しい顔をして、からかっている訳では無いよと容疑を認めた。
私の頭はさっきよりはずっとマシだろう、冷静になれた。
「じゃあ、どうしましょうか。」
ここで私は素直に申し出た。
こんなことをされた後に、普通でいられる訳があるまい。
それにさっきのキスで一歩、自分の中で進んだのだ。
理一さんもこの言葉を聞くや否や、逃がさないけど、いいかい?と聞いて二度目のキス。
三度目は私から。
私はその時初めてのキスをして、初めて男の人を意識した。
「そもそも初めからあれがなかったら、私の場合一生男の人を‘オトコ’だって意識しなかっただろうしね。」
それは居間に戻って夏希と千早に寝室に連行された時に言った言葉だ。
真実を述べたまでと開き直ると、さほど恥ずかしく無かったので、驚いた。
真理子おばさんにはかなり申し訳ない事をしてしまった。
陣内家の貴重な長男の嫁として、二十も年の離れた嫁を貰うのだから。
しかしそこは理一さんだった。
「母さんには俺が言うよ。
母さんみたいな人は事実上仕方が無いと断念せざる負えない状況を作ってから畳み掛けた方が良いからね。
そこで改めて、逸美さんにはお嫁さんに来てもらうから。」
その宣言通り、私は二週間後にまた陣内家へとやって来た。
その折真理子おばさんが「うちの馬鹿息子をよろしくね」なんて泣き顔で言うものだから、一体なんて言ったのと視線を向けるが、答える気はなさそうなので別の機会に是非無理矢理吐かせようと決めた。
結局、先に挙式を挙げたのは千早と佳主馬の組で、真理子おばさんは「綺麗ねえ、逸美さんのウエディングも早く見たいわ」と言ってくれたが、私と利一さんは真理子おばさんの希望通りに白無垢の和装で祝言を挙げた。
貴重な長男として、これだけはと頼まれたので、私としてはこれ幸いと頷いたのだった。
そんな事もあり、私は現在共働きの夏希と健二くんの一組がまだ式を挙げない事を不思議に思って居た。
「で…どうなの?」
「なんでなの?」
続いた声は千早だ。
今は三人共が飲み屋の一角でビールを傾けて居るので、理一さん達に聞こえる事なんてない。
なのでこちらとしてはぶっちゃけた話しも聞きたいところなのだが…正面に座った夏希は「いやぁ」とか「そのぉ」だとかを繰り返し、言いあぐねている様子だ。
「共働きなんだから、もちろん結婚資金貯めてるんでしょ?」
とはちびちびとビールを傾けている千早から。
こちらは一足お先に会社の金で結婚式を挙げて居るのでもう「池澤千早」となっている。
「もちろん貯めてるわ。」
「一体どれだけ豪勢な結婚式をしようとしてるのよ?
単純に数えて出会ってから五年は経ってるわよね?」
「うん…」
夏希は一つ、ため息をつく。
その向かいで千早がホルモン盛りを頼んだ。
私も夏希も、ビールを追加で頼む。
「生お待ちどー!」
「どうもー」
店員さんからビールを受け取っても、夏希はまたため息をついた。
「……夏希、もしかして健二くんからの‘お誘い’断ってる?」
「っ、ぇええ!?」
大袈裟な程驚いた夏希は、持っていたジョッキをつるりと手から滑らせ、がしょっと言う音と共にこぼした。
店員さんと夏希が慌てる中、千早はゴクリと一杯目のビールを飲み干す。
「な、何を言うのよいきなりっ!」
「なるほど…夜のお誘いを断り続けて引け目を感じてて、今は健二くんとちょっと距離を置いてるのかぁ…。」
一人納得した様に頷く千早は、間違っても酔っていない。
まだ一杯目だし、こいつの限界はビール五杯と決まっている。
おそらく、今千早はとてつもなく冷静に夏希を見て居るのかもしれない。
「ちょっと、聞いてる!?」
「うん、もちろん。」
焦った様に攻め寄る夏希に、千早はにっこりと笑った。
その後ろにくっ付けて、私自身もようやくと言う様に頷いた。
「…結婚云々は置いておくとして、あぁ…なるほどって思ったわ。」
「何がなるほどよ!全然!そんな訳じゃ…」
「夏希の顔と態度が、千早の発言をはっきし裏付けてるから。」
手を振りながらそう言うと、千早が「うんうん」とホルモンをつまみながら頷いた。
「…くそぉ、千早の感…舐めてたわ……。」
「これ、私じゃなくて、佳主馬くんが言ってたの。」
「佳主馬がっ!?」
またも椅子から立ち上がった夏希に「まあ座れ」と手を振る。
「うん。健二お兄さん、この手の誘い方下手そうって。」
「…間違ってないけどアイツに言われると殊更腹立つわね…。」
ギリリと歯を食いしばり、ジョッキの手持ち部分からパキッと乾いた音が聞こえて慌てて止める。
「待て待て、ビールジョッキに罪は無い!!」
「そうだよ夏希!
まずは落ち着いて…聞き出したのは私達なんだし、ちゃんと最後まで聞くよ。」
ホルモンを差し出しながら、千早はにこりと得意の笑みを浮かべる。
あの笑顔を見て今以上に怒れる人が居るのならばお会いしたい。
どうにかビールジョッキから夏希の手を解いて、事の次第を報告していただく。
きっかけは、些細な事だったらしい。
ある夜、夏希の酒癖の悪さを案じ、今夜は自分も飲みますと健二は夏希と酒盛りを開始した。
いつもの通り、夏希は3杯目からさらにペースを上げて来たので、健二がこの辺りでペースを落としましょうと夏希から酒を取り上げ水を呑ませていた。
最終的には水でも酔っ払うのかと錯覚する程にへべれけな夏希が出来上がっていたらしく、体に力が入っていない夏希を抱き上げ、健二は夏希の部屋へ向かったらしい。
そこからは簡単だった。
夏希は酔ったら素直になるタチで、それも5杯を過ぎると「いつもごめんねぇ〜」だの「大好きぃ〜!」だのと、抱き付くわキスするわ大変なのだ。
そんなこんなで健二としても、酒は入ってるわ夏希が甘えて来るわでタガが外れたんだろう。
キスの流れでコトに及ぼうとすると、夏希は急に態度を明らかにした健二を怖いと思ってしまい、咄嗟に「いやぁああ!!」と悲鳴を上げてしまったらしい。
「………見事な拒絶ね。」
「うわあ、私にも覚えがあるから、余計に生々しく感じるよう…。」
私と千早、双方の意見を聞きながら「それからは何かあるたびビクビクしてさ…確かに健二くん元々ビビりだったけど、それに拍車が掛かった様に私に近寄って来ないのよ」と言ってため息をついた。
…分かりやすくて面倒なパターンだなと、私と千早は頷いた。
「…分かりやすく言うと、千早の時みたいな解決策でどう?」
「えーと、確か私が佳主馬くんに触って欲し過ぎて泣いたんだよね?」
「……千早、あんたどうしてそんな大胆にそう言う事がすらっと言えるの…」
もう絶句の表情で千早を見る夏希に、千早はにっこりと笑って「そりゃ、佳主馬くんとずっと一緒に居るんだもん?」と至極当たり前でとても恐ろしい答えを吐いた。
「ああ…っ!あの高校の時の純粋で真っ白で透明な千早はどこに行ったのっ!」
「演劇部顔負けの迫真の演技どうもね。
んで、話しをもどすけど、別に行為自体は一回もした事無い訳じゃないんでしょ?」
「…え?ううん、無いわよ。」
「「えっ」」
私と千早は一度顔を見合わせると、もう一度確認の為に「ほんっとーに、無いの?」と確認した。
それに対して「無いわよ」と返した夏希に対して、千早は「健二くん…可哀想」とポツリと呟いた。
「……この中で言うと一番そう言う時期だった旦那を持つ千早から一言。」
「むごい」
「千早からむごい!?」
夏希も自らの異常さを思い知った様だ。
「え、え!?じゃあ叔父さんは!?
さすがに大人なんだから、節度を弁えて…」
「結婚するまではって、ずっと戒めてたらしいけど…同棲し始めてから私が許可出したら割とすぐ。」
「……………」
「ああ見えてちょっと子供っぽいところ、あるよ。」
色々思い出してそう言うと、夏希はぐびぐびと喉を鳴らしながら二杯目を飲み切る。
「生!おかわり!」
「私、ファジーネーブル!」
「お姉さ〜ん、ワインをボトルで一本!」
そろそろ違う物をと注文した私達は、新たなつまみを迎えて次の議題に移った。
「夏希はやなの?えっち。」
「イヤな訳じゃ、無いんだけどぉ。
でも…ちょっと怖いかも…?」
「健二くんに触られるのがイヤな訳じゃ無いんだな。」
「そりゃそうよ。」
ぷいっと頬に空気をためてそう言うと、夏希は「やっぱりおかしいのかなぁ」と不安気に呟いた。
「じゃあ大丈夫だよぉ!」
にぱっと笑顔全開で、千早は夏希の方へ視線を上げた。
「健二くんに触られるのもやだったらとっくに別れてるだろうし、なにより夏希も健二くんも、お互いの事大好きでしょう?
だったら、そろそろ夏希がさみしくなって健二くんに甘えられると思うし。」
笑顔の千早に背を押されてか、不安げに揺れていた瞳も元の落ち着きを取り戻した様だ。
「じゃあ、そろそろ健二くん達迎えに来るかな?」
「は?」
「達?」
同時に首を傾げた時、ぽんぽんと誰かに右肩を叩かれた。
「…理一さん?」
「やあ、逸美さん。」
振り返ると、にこりと微笑む理一さんが居た。
「佳主馬くーん、ここだよ、ここー。」
「…千早、お待たせ。」
「佳主馬まで…どう言うこと?」
夏希の言葉に答える前に、疑問符にかぶせる様にして「夏希さん」と優しい声が聞こえた。
振り返るとそこには、先程まで話題に上がって居た健二くんが居る。
本当にこれは一体どう言う事だと二人して千早を見る。
「さっき佳主馬くんに、理一さんと健二くんを呼んでってお願いしたの。
夏希が呑み潰れたからって。」
「ま、来た時にテーブルに突っ伏してたから本気で夏希さんが潰れちゃったのかと思いましたけど。」
健二くんはにへっと笑って言う。
夏希はどこか、拗ねた様に頬を膨らませている。
「帰るよ千早、ちょっと寒くなって来たし。」
「えぇー、もう?まだ全然話し足りないよぅ。」
こっちはこっちで本当に拗ねている千早に、佳主馬が苦笑して自分の上着を羽織らせている。
「もう会計はしてあるから、みんな一度外に出ようか。」
言って理一さんも笑顔で私の手を取った。
夏希の話しにあった、健二くんのビビり具合は今、成りを潜めている。
「…いっちゃん、いっちゃん。」
「ん?どうした?」
店を出ようと椅子から立ち上がった時、すでに立っていた千早が私の服の裾を引っ張る。
それに対して首を傾げると「これは私の感なんだけど…」と言う前置きの後、とびっきりの笑顔で微笑んだ。
「健二くん、今日夏希にプロポーズしそう!」
「えっ!?」
絶句の声と表情で、私は先に出た夏希と健二くんを視線で探す。
その後ろで理一さんと佳主馬が「健二くん達なら帰ったけど?」と疑問符を浮かべている。
「あ、夏希が泣いた」
「はあ!?」
「うんうん、仲直り出来たみたいだねぇ」
「えっ、どこにいんの!?見えてんの!?」
「あはは、視えてはいるよぉ」
クスクス笑う千早を伴って、佳主馬が店から出た。
その後を、私と理一さんも追い掛ける。
今日、私は親友の深層を垣間見た様な気がする…。
謎の言葉を残した千早と佳主馬を見送り、もう帰ったはずの夏希に心の中で「おめでとう」と言って、私も帰る。
そして明日の朝一番に来たメールで絶叫したのも、今となっては良い思い出だ。