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□世界の果てからのハロー
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「一八さん」
小さな声で彼の名前を呟く。返事はない。当たり前だ。だって彼は今頃どこかのドンパチに出向いている筈なのだから。これ程会った事もない彼の一人息子だという風間 仁が憎らしいと思った事はない。
カレンダー機能の付いた時計を覗くと、一八さんと最後に会った日からもう一週間が経とうとしていた。深く溜め息を吐く。いや、まあ、彼の仕事上、もっと長い間会えなかった事もあったが、そうは言っても同じG社にいるには違いないのでそこまで不安にはならなかった。一八さんがそう簡単に死ぬような人とは露ほども思っていないが、ただ、遠い。彼の存在を糧にしなければ私は生きていけない事をまた深く胸に刻み込まれた様に感じた。
今ここにいない一八さんを想ってもう一度溜め息を吐いた時、ふいにドアがノックされた。ドアはロックされている事を知っているのか、ノックの主は無理にノブを回そうとしない。
ぱっと時計を見る。まだ昼食には早い時間だ。一体こんな時間に誰だろうか。
「アンナよ」
イレギュラーな来客に暫くドアを見つめていると、痺れを切らしたらしい聞いた事のある女性の声がその向こう側から聞こえた。それにホッとし、今開けると声を掛けてからドアの鍵を開けた。
「久し振り。ってあら、何辛気臭い顔してるのよ」
真っ赤なドレスに身を包んだ女性―アンナさんは私の顔を見てそう言った。それに何と答えればいいか分からず、取り敢えず笑ってみせた。アンナさんの溜め息が聞こえた。
「あなたが一八の事が死ぬ程好きだって事は知ってたけど、本当に末期ね」
呆れた、とでも言いたげにアンナさんは肩を竦め、それから私にプレゼントだと言ってチップを投げた。彼女の言いたい事がよく分からず、首を傾げて親指の爪ほどのそれを見つめた。
「見てみれば分かるわよ。それじゃあ、私はまだ仕事があるから。いい子にしているのよ」
そうとだけ言うと、彼女は軽い足取りで開けたままになってしまっていたドアから出て行ってしまった。その後ろ姿を呆然と見送る中、オートロックのドアがばたりと閉まる。
「プレゼントって言ってたけど」
チップをレコーダーにセットしながら呟く。少しして機械音が聞こえ、画面に何かが映る。テントのようなところに大きめのデスクと椅子が幾つか並んでいる場所の映像だ。一体どこを撮ったものだろうか。
『何をしている』
『一八が飼ってる子猫ちゃんにプレゼントよ。あぁ、仔犬の間違いかしら』
一八さんとアンナさんの声がした途端、画面がぐるりと回り、中央に一八さんが映った。久し振りに見た彼はいつも通り堂々たる様子で、何も変わりない事に安堵する。暫くアンナさんが一八さんの周りをカメラで撮っている。一八さんはと言えばまた何か書類とにらめっこをしていて、彼はどこに行っても彼らしいのだと初めて知った。
『さて、締めに何か一言どうぞ』
10分程の短い映像の最後に、アンナさんが愉しげにそう言った。一八さんは何も言わずにただこちらを見つめている。彼の性格上、多分メッセージは言わないだろう。言ってくれれば嬉しいが。
『…大人しく待っていろ』
一瞬耳を疑った。ただ呆然と画面の彼を見つめる。
『それじゃあ、私は一八より二日早く帰るから、一緒にディナーにしましょう』
初めて画面に映り込んだアンナさんがそう括って再生が終わった。
暫くして、頬が熱くなってくる。私に無関心なあの一八さんの言葉が頭の中でぐるぐる回る。
一八さんが帰ってくるまであと二日。