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□キス
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 一八さんのキスは本当に恐ろしい。激しいそれは、ともすれば私を殺そうとするかのようだ。その事をそれとなく彼に伝えてみたが、あれでもかなり手加減をしてくれているらしいと知って、この人は果たして本当に人間なのだろうかという疑問が浮かんだだけだった。

「かず、やさ…」

 呼吸すらままならない中で一八さんの名前を必死に呼ぶ。酸欠でクラクラとまとまらない頭の隅で、彼に殺されるなら幸せかもしれないと誰かが囁いた。涙でぼやけ白んでいく視界の向こうで、確かに一八さんは笑った。腰の辺りがゾクリとする。

 突然一八さんの唇が離れ、酸素が口に飛び込んできた。渇望していた酸素が脳に行き渡り、思考と視界がはっきりしてくる。まず見えた一八さんは既に私から離れていて、優雅にソファーに腰を落ち着けていた。私はと言えばだらしなく床に転がっていて、そういえば突然やってきた一八さんに押し倒されたのだという事を思い出した。

 いまだ全力で走った後のように呼吸が荒い私に対して、全く呼吸が乱れた様子のない彼を少し恨めしく思う。それと同時に、これで手加減されているなら、全力の彼を私ごときが受け止められるのだろうか、と不安になった。息を長く吐き出す。

「怖いか」

 乱れた身なりを軽く整え、一八さんの向かいにあるソファーに腰を落としたところで一八さんがそう言った。顔を上げると、彼の赤い瞳と目が合った。思わず一瞬目を逸らす。

「…今は、怖くありません」

 今は、と言った私に彼は小さく鼻で笑って見せる。それから私の名前を呼び手を差し出した。多分、こっちに来いという意味だろう。抵抗も迷いもなくソファーから立ち上がり、彼の大きな手を取る。そのままぐいっと腕を引かれ、体勢を崩した体は一八さんの膝の上に馬乗りになった。驚いて体を退こうとしたが、それより早く今度は腰を強く引かれ、彼の逞しい体に身を預ける形となる。

「…重くないですか?」

 逃げ出す事を諦めて大人しく身を委ねてしまう。するりと太ももを撫で上げられる感触に、時折背筋に電気が走ったような感覚を覚える。その状態が10分程続き、私から先に声を掛けた。

「以前、俺に殺されそうだと言ったな」
「…そうですね。そんな話もした事がありましたね」

 突然の質問に少し戸惑いながら答えたところで、再び口を塞がれた。今度は先程よりも更に乱暴で、息なんて全くできない。あっという間に酸欠に突き落とされた頭の隅で、また誰かが喜びの声を上げたのを聞いた。

 私は一八さんのキスを本当に恐ろしいと思うが、それよりも愛しくて仕方がないのだと、うわ言のように彼の名前と好きだという言葉を繰り返す私の声を聞きながら、意識を失う瞬間ぼんやりと思った。


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