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□怖がりの恐れ知らず
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「誰?」
不意に聞こえてきた声は随分幼くラースの耳に届いた。厳重に管理された一室の一番奥、清潔そうな白く大きなベッドの上にいた声の主は、黒いワンピースを纏った、まだ女と呼ぶには年若い少女であった。大きな黒い瞳と白い肌の彼女はじっとラースを見つめている。少し浮世離れした印象のこの少女こそ、彼が今回の任務でターゲットにしていた対象である。
ラースは少し不思議に思った。彼は正規のルートでこの部屋に入っていない。今もこの階の真下では彼の部下と、恐らく彼女を守るように命令されている男たちがドンパチやっている。当然その音や振動は伝わっている筈だ。そもそも彼がこの部屋に侵入する時も、少々乱暴にドアを蹴り破っているのだ。しかし目の前の少女はそれらを意に介した様子はなく、ラースが部屋に入ってきた事に興味を示している。
「あなたは、風間 仁さんの部下の方ですか?」
考えを逡巡していると、少女が口を開いた。それに頷く。すると彼女は小さくそうですか、と言ってベッドからするりと降りた。一体何をするつもりなのかとその姿を目で追っていく。ごく自然に気付けば細い肩を露にした少女が目の前に立っていた。
大きく黒い瞳にラースが映る。何か背徳的だとふと思った。
「どうかしましたか?」
訝しげに尋ねられた少女の声に我に返る。何でもない。その言葉を絞り出すかのように口にする。
「あの、一つお願いがあるのですが良いでしょうか」
「お願い?」
黒い髪が一度揺れる。
「あなたたちが私を望むのでしたらそれに応じます。抵抗はしません。なので、下の階での戦闘を即刻中止して頂きたいのです」
少し意外だった。最初の印象では、下の階の事など気にも留めていないように感じていたからだ。真っ直ぐな視線を向けられる。
「…分かった」
無線ではほぼ制圧は完了しているらしいが、それを現状維持という命令に変える。耳元でそれを了解した旨を伝える声が聞こえるのを確認してから、もう一度少女に向き直る。
「ありがとうございます」
腕を後ろ手に拘束されたまま、彼女はそう言って頭を垂れた。
「君は怖くないのか?何をされるのか分からないのに」
「私が怖いのはたった一つですよ」
「一つ?」
えぇ、と小さく微笑む。
「なくしてしまう事です」
無くしてしまう。亡くしてしまう。腕を拘束されながらも真っ直ぐ歩く細い背中を見つめて、ラースは頭の中で繰り返す。
「(どちらにせよ、この子は何かを失う事が怖いんだろう)」
何を失うのが怖いかは分からないが、恐らくそれは、彼女の命ではない事は分かっていた。