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□考察
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 私は果たして一八さんの事をどう思っているのだろう。ふとそんな考えが過った。

 彼にこの世界を与えられてどれ程経ったのか。一ヶ月の様な一週間の様な一日の様な、もしかするとまだ一秒も経っていないのかもしれない。

 というのは冗談で(冗談を考えられる自分に驚いた)、多分半月程だと思う。最初の頃はよく姿を見た一八さんの姿を、ここ最近目にしていない。その最近という定義も曖昧だが、三日くらいではないだろうか。後一時間程で四日になるが。そうだ。それくらいの間、あの人はこの部屋を訪れて来ない。

 そこまで思考して、はたと不思議な気持ちになった。今までこうも他人との関わりを考えた事は一度だってあっただろうか。答えはNOだ。

 そもそも私は、今まで生きてきた中で私を私個人として見てくれた人に出会った事がない。実験体。兵器。使い捨ての駒。その程度の価値でしか私を捉えてもらわなかった。彼らはそう私を呼んで、そう働く私を望んだ。だからこそ私も望まれた通りに実験体になり、兵器になり、使い捨ての駒になったのだ。そうでなければ生きて来られなかったのも原因の一つして考えられるが、幼い頃からのそういった異様なプレッシャーが私から思考というものを奪ったのは間違いない。私はそういう風に生きなければならないという、謂わば脅迫観念に囚われて生きてきたと言っても過言ではない。

 けれどこの世界ではそういったルールの様なものはない。あるのは私の意志と一八さんの意志のみである。何をするのも自分の頭で考えなくてはならない。お腹が減ったなら食事をすればいい。眠たいのならベッドに横になればいい。暇な時は自分で考えて暇を潰せばいい。

 連れて来られた当初はその勝手が分からず、一八さんに置いて行かれたまま、冷めていく美味しそうなごはんをただただ眺めていた事もあった。その時の私の頭の中では、私の持ち主が顔も思い出せないあの人から一八さんに移っただけだと、そう理解していた。彼の命令で動くのが当たり前だと感じていた。当時の私の事は、まるで夢を見ていたようにしか記憶していないが、恐らくはそんなところだろう。私であった彼女は、人間と言うよりロボットに近い存在だったのかもしれない。

 そこで最初の問題に戻る訳だが、私は一八さんをどう思っているのだろうか。一八さんが私の事をどう思っているかはこの際考えには入れないとして、私から見た彼は一体どういう人なのか。

 神様。

 その単語が出てくるのに然程時間は掛からなかった。

 なるほど、神様か。確かに彼は私の神様だ。私を創造し、世界を与えてくれた唯一無二の存在。これ程まで彼に合う言葉はない。

「神様」

 口に出してみて、そういえば以前もこんな風に彼を神と崇めたような記憶がある。いつの事だったのか。恐らくは以前の私が無意識のうちに彼を神と重ねてみた事があるのだろう。

 この感覚は何かの本で読んだ主人公の状態によく似ている。内容はよく覚えていないが、確か記憶を失くした主人公が再び記憶を取り戻した時、記憶がなかった時の事はまるで夢を見ていたようだと語っていた。

 まさにその通りだ。私が今の私になる前の以前の私の記憶を引き継いでいるとは言え、根本的なところで私と彼女は違う存在であったと考えられるし、私が彼女のままなのであれば恐らくこんな無駄な事(以前の私なら無意識にそう感じていたであろう事)を考える筈がない。その時点で私と彼女は別な精神と思考を持った別人である。ただ、彼女が支配していた体の中に現在の私という精神が生まれただけだ。

 今も彼女の精神がこの体の中に存在しているかは分からないが、その存在すら消えてしまっていたとすると、私はこんな風に彼女を人として認識しなかっただろうから、ある程度私の精神に影響を与える程度には息衝いているに違いない。しかしそれもいつかは現在の私と混じり合って境界線はどこまでも霞んでいくのだ。その時の私は、やはり現在の私とはまた別の存在なのだろうか。

 想像すると少し怖いような気もしないでもないが、しかし人間にはそもそも現在というものがないのだ。極論じみた考えではあるが、人間はどんな瞬間であったとしても次の瞬間にはそれを過去として捉え、そしてそれを自分の現在だと誤解している。見ている世界だって本当は光が目に入り、網膜に映り、視神経を通して脳に行き着くと言う長いプロセスを経ている。分かりやすい例えが星の光だろうか。あれらは何光年という長い距離を何年もかけてこの地上に辿り着いた光の欠片である。それは何年も過去に星が上げた産声であったり断末魔であったりするのだ。話が少々脇に逸れてしまったようだ。

 つまり何が言いたいのかと言えば、現在の私は過去に生きていおり、以前の私も過去に生きている。物理的にも論理的にも人間が到来してもいない未来に生きる事は不可能で、生まれてすらいない赤ん坊に恐怖を抱くのは馬鹿らしいという事だ。

 そしてもう一つ断言できる事がある。それは、例え未来で私が別の私となり、今の私が夢のように感じたとしても、一八さんが私たちにとっての神様である事は違わないという事である。


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