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□傷痕
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 シャワーを浴びている時、ふと視界に自分の体が入った。

 濡れて肌に張り付いている黒髪と、病的に白い傷一つない肌。モノトーンの人物が私を見ていた。

「本当に何も残らないのね」

 鏡の中の私がそっと胸元に指を這わせた。つい10分前にはまだそこにあった赤く主張する一八さんの跡も全部、まるで最初から何もなかったかの様に消え失せている。いや、なにも一八さんの跡だけではない。私が殺してしまった人々への罪の傷も、全部だ。

 決して消えていい筈のない傷すら、私の体は忘れてしまう。なかった事にしてしまう。全ての事をなかった事にしてしまう。彼らの命を奪ってしまった事を私は忘れてはいけないのに。

 だからこの体が恐ろしい。罪の跡を消して、罪の記憶を消して、いつか本当に私自身が罪自体を忘れてしまうのではないかと。それと同時に人間性も忘れて、ただの化け物になってしまうのではないかと、それが恐ろしい。

 がり、と鏡の向こうで私が肌に爪を立てた。鋭い痛みと血が溢れる鼓動を感じたがそれも十数秒の事で、そっと拭えばそこには僅かに血の跡が残っているだけだ。それもお湯を掛けてしまえば消えてしまう。

 傷だらけの体になりたいと言う訳ではない。ただ、痛みを忘れたくない。自分の痛みも、勿論私の手で殺してしまった彼らの痛みも、全部だ。

「(忘れてしまった時、きっと私は)」

 真っ黒の瞳と目が合った。

「化け物」

 鏡写の私が言った。そうだ。恐るも何も、私は既に化け物ではないか。今更真っ当な人間には戻れまい。私が人間に戻る事ができる方法はただ一つ。私が死ぬ事だけだ。

 コックを捻ると温かいお湯がざっと降り注ぎ、あっという間に胸元の赤色を流してしまった。それと同時に反面世界の窓が曇り、少女の姿の怪物は霧に包まれ消えていった。

「一八さん、もし私が本当に化け物になってしまった時は、私の事を殺してください」

 ただただ祈るばかりである。


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