BLUE Company

□第四章 胸に よどんだ想いは…
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一般に大企業の社長というのは、その会社に勤めている社員であっても、遠い存在だ。
特に課長級以下の社員では、会う事は年に数回だろう。
かくいう俺もそうだった。
前社長には、入社して四年になるが、片手で足りるくらいしかあった事はない。
勿論、会話などした事は無い。しかし今は
「松本くん、ちょっと手伝いお願い出来ないかな?」
我が社の社長、大野智が社長室を出て、秘書室に顔を出した。
「いいですけど、電話で呼び出して下さいよ。毎回毎回、歩いて来なくてイイですから」
腰の低さには定評のある、ウチの社長は、微笑んで
「運動だよ」
と言った。年寄りか。
ま、確かにたかが30歩程なんだが。
並んで歩くと、肩に肘を置きたくなってしまう。社長、猫背気味もあって丁度いい高さなんだよ。
社長室の応接セットの上には、ペットボトルの水と原稿とレコーダーが置いてある。
そこに案内された俺は、社長と向かい合わせに腰掛けた。
「何時も思うんですが、櫻井が考えた原稿なんだから、あいつに読ませればいいじゃないですか」
英語の原稿を下読みしながら、俺は社長に話し掛けた。
「うーん。櫻井くんより松本くんの英語のが覚えやすいんだよね」
「ま、そう言われたら悪い気はしないけど。…じゃあ、いきますよ」
そういえばすっかりタメ口だな、俺。
社長すかさずレコーダーを俺に向けると録音ボタンを押す。


「ありがとう、ご苦労さま」
そう言うと、俺にペットボトルをくれた。
「わざわざ暗記しなくても、原稿見て読んでも良いんじゃないですか?」
え?まぁね、と曖昧に答えているけど、さっきの一回で結構覚えているんだよな。
社長のスキルの高さに感心させられる。普段はWお年寄りWなのに。
「松本くん、知ってる?君の元の部署の事だけど」
「第三の事ですか?」
「そう。北村詩織女史が海外勤務らしいね?」
「え?でも…」
「どうしてももう一人人員が欲しいらしいんだ。新婚だからねぇ。課内で融通してあげられればいいのにね」
社長は俺に向かって微笑んだ。
「さて!定例会の時間だね、面倒くさいなぁ、無くしちゃうって出来ないかなぁ?」
「皆さんに聞いて見たら良いんじゃないですか?案外賛成されるかもしれないデスよ?」
っていうか、部長、課長連中自体がそう思っているようだ。
実際、陰口のように囁かれているらしい。
「そうかな?じゃあ、今日聞いてみるよ」
「そうしてみて下さい」
こりゃあ、見ものだぞ!


しかし、社長は特に何も言うでなく、いつもの如く物静かにみんなの意見を聞いていった。
各課長の話しが終わると、◯◯くんの意見はもっともだろうからそれでいってください、と賛成を示し、全くいつもと変わらなかった。
最後の挨拶も、いつものごとく
「では、よろしくお願いします。今日も家族のため、社員のため頑張りましょう」
と、まるで70歳くらいの人が言う、脱力感漂う台詞に、瞬間的に浮かぶ部長達の表情。
いつ見ても笑える。本当は吹き出したいくらいなんだけど、さすがにマズイからな。
みなが立ち上がり緊張感が緩んだ一瞬を見透かしたように、社長が切り出した。
「それと、この定例会は廃止しようと思います。やらねばならない事は、僕は反対しませんので、今まで通り部長判断で書類を通してください。その代わり、新しい意見や企画案は何でも聞きますので社長室までプレゼンに来るよう、社員全員にお伝えください。以上です、はい、解散」
一拍おいた後の部長級の慌てふためいている様、あ〜、大笑いしてぇ!
社長を取り囲んで、わ〜わ〜言ってる。
普段はあんた達こそが、こんなの無駄だ、って言ってるくせに、何だろねこの滑稽さ。
「っ松本くんっ!」
しまった。この騒ぎで退室するの忘れていた。
第三課の安藤課長だ。
「松本くん、営業部に戻ってもらえないかな?今度ちょっと大変な事になりそうなんだよ。秘書課も忙しいとは思うけど、お願いだよ」
「聞きました、海外で人出が足らないらしいですね」
安藤課長は声を潜めると半歩俺に近づいた。
「そうか、聞こえたか。大きな声じゃ言えないが、ビッグプロジェクトがあってね。その下準備に人員確保が必要で…松本くん、海外勤務前から行きたがっていたよね?戻って来て欲しい、君の力が必要なんだよ」
「き…急には無理なので、櫻井に相談してみます」
「本当?絶対聞いといてね」
部長級がようやく社長を離したようで、三々五々引き上げてゆく。
ガランとした会議室。俺は会議机の上を片付けながら社長の処に行くと、社長が俺に話し掛けて来た。
「安藤課長と話せた?」
あんなゴタゴタしてた中、本当によく見てるな。
社長は、じゃあ片付けお願いね、と椅子から立ち上がると、俺の肩をポンっと叩いた。
「半端な気持ちじゃ、イイ仕事は出来ないよ?」
社長の後ろ姿を見送る。
櫻井が俺の手元の書類を受け取りに来た。
「櫻井、社長に俺の事、話した?」
「君の大失恋噺なら、彼等が面白おかしく社長に話しているの聞いたよ?」
二宮だな、くそ〜。
それにしても
「やっぱ、社長って…」
「あの人の外見に騙されちゃ駄目だよ」
櫻井はそう言うと、微笑んだ。


俺は漸く営業部に戻る決心をした。
別に、誰かのためでは無い。
やっぱり、海外に出て活躍したいという、長年の夢が俺を掻き立てて、チャンスがあるのに逃すてはないと思ったからだ。
でも
「社長、櫻井。俺、元の部署に戻りたい」
と、言えたのはあれから一週間は経っていた。
「そう、じゃあ辞令つくるから、今日、今から営業部に行っていいよ」
社長が事もなげに言う。
「え?…今から?」
善は急げと言うよ、と机の中から部署異動に関する辞令を出すと、達筆な文字で書類を作成し印を押す社長。
「はい。頑張ってね」
俺は、手渡された書類を見つめ
「オス」
と言うと、社長室を後にした。


営業部第三課は課長の他に15人の職員がいる。そのうち海外に出向、行き先はバラバラで1人であったり、5人同じところであったり、しているのは10人。本社にいるのは、5人。
その中に俺は含まれていない。
しかし、安藤課長にこの部署異動の書類を渡せば、俺はまた、この課の仲間入りだ。
昼近いせいで、部屋の中には安藤課長と藤山さんの二人だけだった。
「松本くんっ、戻ってくれたのかぃ?」
課長は感激気味に肩を震わすと、俺の肩を掴み頭を下げた。
「ありがとう、松本くん。俺の代わりに海外に行ってくれるなんて、君がそんなに漢気あるなんて思いもよらなかったよ」
はあ?ちょっと待て、何だって?
「思い切って大野社長に話に行って良かった、あの人は素晴らしい!」
じゃあ、北村さん云々はまるっきりの嘘か!

櫻井の声が聞こえる。
『あの人の外見に騙されちゃ駄目だよ』

第四章 松本篇 おわり

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