□【東西】覚めない夢
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ある日の午後のこと。
プロイセンは書斎で過去の俺様日記を読みふけっていたが、甘い香りにつられ台所へと向かった。
食卓には一つの皿が置いてあり、そこには、出来立てのホットケーキが積み重ねてあった。

プロイセンは椅子に腰掛け、そばにあったメープルシロップの蓋を開けた。

「兄さん、待ってくれ。」

そこへ、皿洗いを終えたドイツが戻って来た。
布巾で丹念に手を拭きながら、ドイツは兄の隣に静かに腰掛けた。

「ルッツ。これウマそうだな!」

プロイセンは満面の笑みでドイツを見た。
ドイツがホットケーキを作ったのは初めてではなかったが、仕事に忙殺されて前回作ってから少し間が空いた。

プロイセンは、久しぶりのホットケーキを味わいたいあまりに、気が急いていた。

「食っていいだろ?」

「いや、待て。」

ドイツは、はしゃぐ兄を制してフォークを掴む。
プロイセンは、お預けをくらった犬のように動かない。
赤い目が空中に焦点を結ぶ。

「兄さん、口を開けろ」

「ルッツが食べさせてくれるのか?」

「食べたくないなら無理にとは言わないが。」

ドイツはプロイセンが握りしめていた瓶を手に取り、メープルシロップをホットケーキの上に垂らした。
無意識にハートを描きそうになり、途中で無造作な図形へと修正した。

「とんでもない!食べたいに決まってんだろ」

弟の意図が読めずに困惑気味ではあったが、プロイセンは思い切って口を開いた。

ドイツはナイフとフォークを動かしてホットケーキを一口大に切り、兄の口へと運んだ。

「はい、お兄ちゃん。あーん」

ドイツは顔色ひとつ変えずに、アキハバラでおなじみのセリフを言ってのけた。

「なんだそれ」

「日本から聞いたんだが、料理がおいしくなるおまじないだそうだ。」

プロイセンはそれについてはあまり気にしないで、ホットケーキを味わうことに専念していた。
この話を聞いた日本在住のH氏は後日、「プロイセンさんのフラグクラッシャー!」と心の内で彼を罵倒することとなる。

「むぐむぐ。うめー。」

そんなことを知る由もないプロイセンは、目を細めて咀嚼し、何かを思い出したように口を開いた。

「しかし」

「兄さん、食べながら話すな。お行儀が悪いぞ」

「んぐ・・、あのさ、台所が汚れるくらいなら料理したくないんじゃねーの?」

「ああ、そのことか」

しばらく、間があった。

「ホットケーキなら、それほど汚れないさ」

「そうか?」

ドイツは苦笑いでやり過ごした。ホットケーキを作りたかった決定的な理由は、他にあるのだ。

「甘味が得意なオーストリアに頼んだ方がよかったのだろうが・・」

「んや、俺はルッツ特製のホットケーキを食えて幸せだぜ」

プロイセンは両手を机の上に置き、一瞬ためらった後、ドイツの方を向き小さく口を開けた。

ドイツはプロイセンを見ながら、再びホットケーキをその口に入れた。

「んぐんぐ。まじで幸せだなこりゃ」

「そうか。それはよかった。」

「ていうか、さ。ルッツ。」

プロイセンは机の下の足をぶらぶら揺らした。

「うん?なんだ兄さん」

「さっきから、ちょっと俺様のこと見過ぎじゃね?」

ドイツは、すごく意外だという顔をした。
指摘されるまで、自分の視線に兄が気付いていることを認識していなかった。

「気が散ったか。すまない。もう見ないようにする。」

ドイツはまた三口めを丁寧に切り分け、兄に食べさせた。
そしてなんとなく、ホットケーキを食らう口元に意識を集中させた。

「・・・・」

「・・・・」

「見てるじゃねーか!!」

プロイセンが突っ込んだ通り、ドイツは飽きもせずにプロイセンを見ていた。

「あー、兄さんが、かっこいいから。」

「なかなかイイ線いってる言い訳だ。ただな、ルッツ、棒読みだぞ。」

ドイツに言わせれば、その言い訳はあながち嘘でもなかった。

例えば、陶器を思わせる白い肌。
睫毛の下に覗く赤い瞳。
薄く形の整った唇にしても、頬骨から顎のラインにしても、
ドイツには兄の全てが欲望の対象だった。
― もっとも、ドイツ自身はそのことに無自覚であったが。
本人にとっては、気がつくと「目が勝手に」追っているだけのことだ。

他にもいろいろと候補はあったのだが、ドイツは「おいしくなるおまじない」がしやすいホットケーキを選んだ。
自分の手で与えた食べ物を食す兄を観察することが、ドイツは嫌いではなく、むしろ好きだった。
そうすることでドイツは密かに、内に秘めた支配欲を満たしていた。

同時に、プロイセンの儚げな出で立ちは、ドイツの庇護欲も刺激していた。
プロイセンの肉体は鍛え上げられ、普段の様子を見ても健康そのものという印象を与えるが、
ごく稀に、その生命の危うさを思い知らされるときがある。

「うまいか、兄さん」

「うまい」


「ルッツ?」

ドイツは時々、言いようのない不安に襲われることがある。

「なに泣きそうになってんだよ」



「泣いてなどいない。」

叫びたくなる。でも今、この瞬間のささやかな幸せを壊したくないから、結局押し黙る以外に手はなかった。

ドイツは何も言えずに、ただナイフとフォークを握りしめた。

プロイセンはそんなドイツを、眠たそうな顔で見ていた。

それから唐突に、ドイツの頭を掻き回し、右手にかぶりついた。

「―っ、兄さん、痛い」

「うめー。ホットケーキもうめーが、ルッツが一番うめー」

プロイセンの犬歯が、ドイツの親指の付け根に当たる。

「やめろ兄さん。お行儀が悪いぞ。」

小言には取り合わず、プロイセンはドイツの頭を自分のそばに引き寄せた。

「あのさあお前」

急に耳元で兄の声を聞き、ドイツはろくに反応もせずに固まった。


「頭の中で何回俺様殺せば気が済むんだよ」


「殺してなど―」

「じゃああれか。ビョーキとか、ソレンとかで、俺様が居なくなる妄想」

「・・ソ連は崩壊したぞ」

「―とにかく、俺様のこと見くびってるだろ」

「見くびってなどいない。俺は、兄さんを・・尊敬してる」

「だったらそんな顔すんな。俺を信じろって。」

ドイツは何気なくホットケーキを見た。
メープルシロップがすっかり染み込んで、斑な模様になっていた。

プロイセンはドイツの髪を梳いて、よく好いて撫でた。

「俺様が小鳥のようにかっこいいからって、あんま舐めんなよ。」

ドイツは、無言のまま頷く。

「亡国だとか、勝手に言えよな」

プロイセンはドイツからフォークを奪い、ホットケーキを次々に口へと放り込んだ。

「プロイセンは生涯現役だかんな!」

言いながら、プロイセンは椅子に片足をのせて立ち上がった。
ドイツはここにきて少し微笑みながら、兄の背中を軽く叩いた。

プロイセンは馬鹿にされているかもと訝しんだが、
少し元気を取り戻した様子のドイツを見て、安堵した。
それから肩を掴み、顔を覗き込んだ。

「ルッツ、分かったか?」

「ああ、分かった。ホットケーキが冷めない内に・・」

「ごめんなさいは?」

「ごめんなさい兄さん」

「おしり叩いてやろうか?」

「それは日が暮れてからにしてくれ」



ドイツが作ったものはとうに冷め、もはや「ホット」ケーキでも何でもない。

しかし彼ら兄弟にとって、それはさほど重要な意味をもたなかった。
お互いがすぐそばに存在しているということ、その事実だけで今は満ち足りていたから。


END.
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