日常V


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舞が生まれてから約一年。まだ覚束無いながらも数歩、歩けるようになった。

ふと舞を見遣れば、何処かをじっと見つめて、必死に腕を伸ばしている。どうしたのかと問い掛けてみるが、無論、返答は返ってこない。その代わりと言っては何だが、意味が理解できない、うー、という声を発して立ち上がった。
そして、数歩歩いたかと思うと、どてっ、と、なんとも間抜けにのめり、転んでみせる。泣いてしまうかと思い慌てて駆け寄ったが、舞は何事も無かったかのように立ち上がり、視線を何処かへ固定させたまままた歩き出す。数歩歩いてまた転ぶ。

それを続けていれば目的地に着いたようで、棚の前に座り込み、大きな目を瞬きもせず、何かを見上げた。──夢中になり過ぎて、そのまま後ろにころん、と倒れたのが可愛いと思ったことは伏せておく──
棚の上に置いてあるのは、時計やカレンダーなどの置物。その中の一つに、ケースに入れられた西洋人形があった。仰向けになっても、尚、視線を外さない舞は、どうやらこれを見ているようだ。

確かこれは、使用人が海外へ旅行に行った際、お子様が出来るのでしたら部屋に可愛い物でも置きましょう、と言って買って来たものだ。

「これが欲しかったのか?」

人形をケースから取り出して舞の前に置いてやれば、舞は嬉しそうに笑い、人形を弄り始める。ピンクのカチュームを引っ張ってみたり、陶磁器の肌や青色に塗られた瞳をぺたぺたと触ってみたりと、楽しそうで何よりだ。

「旦那様、奥様がお戻りになりました。」

不意に扉をノックする音が聞こえ、使用人から声が掛かった。返事をして暫くすると、今度は扉が開き、妻と荷物を持った使用人達が姿を現す。

「おかえり。」
「ただいま。」

妻は緩やかに微笑んだが、人形遊びをしている舞に気が付くと花が咲いたように顔を輝かせ、小走りで近寄って来た。

「まあ、これは貴方がくださったものですね。」

後ろを振り返り、荷物を持っていた使用人の一人に声を掛ければ、彼女は誇らしげに頷く。妻は彼女に一言礼を告げるとまた体を戻し、その場にしゃがみこむと、にこにこと舞を眺めた。

「舞、良かったわね。」

当の本人は人形に夢中のようで、思わず吹き出してしまった。当然、それはしっかりと妻の耳に入る訳で。少し頬を膨らませて私を睨み付ける彼女には申し訳ないが、その仕草には和む一方である。

「…もう。」

彼女は呆れたように息を吐いたが、その口許はゆるゆると笑んでいた。存外単純な私は幸せをしみじみと感じ、自分でも自覚している仏頂面が随分と崩れたような気がした。

それを使用人に目敏く見つけられ、からかわれるのは、また別の話だ。




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