Vent fort
□風の通り道
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この一年は、アオタケの住民にとって、かけがえのないものになった。
走ることを知らなかった頃、あんな風に誰かのために走るなんて思いもしなかった。
あんな風に、誰かの走りをうつくしいと思うことなんてなかった。
誰もが余韻を引きずって、それでも時間が止まることはない。
「よぉ」
ムサと二人、遅めの正月休みを終えた神童がアオタケに戻ってくると、玄関の開く音に気づいたニコチャンが顔を出した。
「ただいま戻りました」
「おう、お帰り」
ニコチャンはジョッグに行くところだったのか、ウェアを着ていた。
「あ、お土産買って来ましたから、後で持って行きますね」
「おぅ、さんきゅ。……神童、疲れてるか」
「え?」
「ハイジがよぅ、神童が帰ってきたら二人で顔出せって言ってたから」
ちくり、と神童の胸に痛みが走る。
アオタケの絶対的リーダーであり、ド素人ばかりのメンバーを箱根駅伝に引っ張りあげた人物。
彼は、大手町からそのまま病院に搬送され、今もまだ入院している。
「……ええ、大丈夫ですよ。着替えてきますから、ちょっと待っててもらえますか。ジョッグがてら行きましょう」
微笑みかけると、ニコチャンは頷いた。
「ムサ、アオタケにいる人の分のお土産、配っといてもらって良いかな。ハイジさんには僕が持っていくよ」
「分かりました。気をつけて行ってきて下さいね」
ムサと二人、鴬張りのような音を立てる階段を上がり、部屋の前で別れた。
荷物の整理は後回しにすることにして、背負っていたリュックからウェアだけを取り出した。
体調が良くなってから実家にムサをつれて帰り、そうしてバカみたいに毎朝夕走っていた。
家族は呆れたような、感心したような微妙な表情を浮かべていたけれど。
手早く着替え、お土産の入った紙袋を手に取った。
「ムサ、こっちだけお願いね」
部屋を出てから向かいの部屋の扉をノックをして、少しだけ開けた扉越しに紙袋を渡し、ハイジ用のお土産だけをポケットに入れた。
そのまま階段を降りると、ニコチャンが玄関で待っていた。
「お待たせしました」
「おう」
二人でアオタケを出て、さほど離れているわけでもない病院に向かって走る。
「そういえば、他の皆さんは帰ってきましたか?」
「ん?ああ……ユキは三日もしないで帰ってきたな。双子とキングと王子も昨日帰ってきたし、他は帰りすらしなかった」
それならば、ムサと神童が帰ってきて、ようやくアオタケの住人が揃ったことになる。
むろん、入院中の清瀬を除けばだが。
「ハイジさん、調子よさそうですか?」
「……まぁ……」
言いよどむニコチャンに、神童は瞑目した。
「やっぱり、ランナーとしては……」
「……ダメ、だろうなぁ」