紫原は氷室のまっさらな項を食い入るように眺める延長で、明媚なチャコールグレイともまた、視線を絡ませていた。やば。紫原は咄嗟に顔を逸らすと抱えていたポテトチップスを貪る。それでもやはり、氷室は偶然で済まそうとはせず、ちゃんとこちらに寄って来てくれた。柔和な笑みを口角に含ませながら、最愛の恋人へ惜しげなく愛情を注ぐのである。 「どうしたアツシ?具合でも悪いのか?」 「い、いや、違うし」 「ぼうっとしていたようだから」 「それを言うなら室ちんだって、早くモップ片して来てよ。礼拝遅れるし」 「ふふ。小言の多い男は嫌われるぞ」 「はーやーくー」 氷室が用具室へ駆けると同時にあたりは混沌に包まれた。異様な雰囲気だ。恍惚と手を止めて口を半開きにする者、悟りを開いて手を組む者、歓喜や感嘆に堪らず音をあげる者。レギュラーは皆揃って変わり者なのでそれにはのまれない。が、ざっと数えただけで十数人、この小さな田舎町にそぐわない大衆が、朝も早くから一高校生を拝みにやってくる。 広い意味で同窓生の黄瀬と同類であるが、違うのはファン層の厚さで、彼のジェントルで嫌みのない言動は多くの人を惹き付けてやまなかった。それこそ老若男女、近所の農家のおばちゃんから幼女、バスケ部の後輩に至るまで彼の射程距離に明確な線引きはない。 まるでヴィーナスだ。 これはなんら誇張のない比喩で、愛と美の象徴。少なくとも紫原にとって彼はそう称するに足る存在であった。 「アララ」 時にそれは愚弄や嫉妬を伴ってこちらに降り掛かることもあるが、そんなのは只の負け惜しみに過ぎなかった。むしろ彼一人を単体で見ることの方が問題である。あらかた部活では近距離で目を光らせている紫原も、学年が違っては彼の学校生活のすべてを把握するのは不可能だ。そうでなくても練習の合間にギャラリーに愛想よくしたり、進んで部員の介抱に当たるなど問題行動は目に余る。自分ばかり贔屓してもらうのは至難の業だ。 「片してっつったのにもう一周行ってるし」 これが天然で、無自覚の人たらしというから怒れない。 「またサボりアルか」 「アツシ、お前でかいんだからゴール引っ込めろっていつも言ってんだろ?」 「俺ちゃんとボール拾いしたしー……って室ちんは?」 「ああ、氷室ならあれだろ」 福井が目配せした先に氷室と一年の女の子。しかも楽しげに談笑している。 「氷室さんって本当いつも優しいですよね」 「そうかな。俺はもっとクールなのがいいんだけど」 「えーっ。今のままで十分素敵ですっ」 間延びした話し方に見合う上擦った声、薄らと赤らんだ頬は田舎だからでなく彼に恋をしているのだとわかった。 「クールってどんなだし」 紫原は、その朝珍しく彼を伴うことなく、神妙な面持ちで部室を後にした。 「あれ、アツシは?」 「アツシなら先行ったぞー。なんか心ここにあらずだったからお前放課後までに何とかしとけよ」 「お菓子でも切れたアルか?」 「だといいけどなー」 「おーい。鍵掛けっぞーい」 それが一週間続いた。紫原は部活どころか登下校、昼食にも応じようとしない。一日言葉を交わさないこともザラになってしまった。さすがの氷室も気分が滅入る。 「なんじゃ氷室、覇気がないのぉ」 「ゴリラが人の心配してるアル」 「平気です。ちょっと日本の寒さに慣れてないだけで」 「勘弁してくれよ。アツシも暫く部活でねえとかアホ抜かしやがって」 |