過去拍手

□花火
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それは学校帰りの電車の中での出来事だった。

「あ――――」

それを目にした瞬間思わず漏らしてしまった声に、俺は慌てて口に手を当てた。
終電に近い車内。等間隔に並んだ座席には飛び石のようにまばらな人影が見えた。
遅い時間のせいか疲れた空気が漂う周囲に目を配るが、誰も俺を振り向いてはいなかった。
一番近くに座っている斜め向かいのサラリーマンに視線を集中させてみる。
やはり手にしたケータイを操作するのに夢中でこちらを気にしている様子はなかった。
どうやら先程の声は電車の軋む音に消されて周囲には届かなかったようだ。
安堵した俺は口を塞いでいた手を離した。
そして何気ない風を装ってゆっくりと座席から腰を上げる。
走行中の電車はかなり左右に揺れた。
断続的にやってくる激しい横揺れに足元がふらついたが、足の裏に力を込めて何とか体を支えて出口のドアへと向かった。

スライド式の重いドアを抜けた先は車両の連結部だった。
次の車両へ通じる細い通路と両側にある乗降口の間に小さな空きスペースがある。
ドアを力任せに閉めると同時に片方の乗降口へと駆け寄る。
ドア上部にはめられたガラスに頭を寄せて外を覗いた。
真っ暗な景色が物凄い勢いで流れていく。
暗闇に家の灯りが優しく輝いていた。
その灯りが密集した場所に視線をさ迷わせていると、その暗闇の向こうで一瞬赤い火花が光った。

「おぉ――――っ」

側に誰もいない事は確認していたから、今度は遠慮なく大きな声で叫ぶ。
前に乗り出して覗き込む額にガラスがぶつかった。
最初の赤い火花が消えた後を追って、緑や紫、白といった色とりどりの華々が次々と暗い夜空に輝いた。
夏の夜空を彩る大輪の華々――――それは花火だった。

(そういや隣町の花火大会って今日だったっけ)

先日母親が話していたのを思い出す。
一緒に行こうという誘いを面倒だからと断ったが、やはりいざ打ち上がっているのを見ると心が踊った。

(そうだ)

下げていたショルダーバッグから急いで携帯を取り出す。
カメラを起動させると俺はガラスに向かってレンズを構えた。
電車のゴトンという雑音に紛れて小さなシャッター音が響く。

「あぁ〜〜っ!クソッ」

撮った画像を確認して思わず舌打ちをしてしまう。
ディスプレイに表示された写真には、フラッシュの光が反射した真っ白なドアのガラスが写っていた。
急いでフラッシュを止め再びシャッターをきる。
今度は真っ暗な中に間延びした赤い光がまるで人魂のようにぼんやりと写り込んでいた。

「ダメだなぁ」

電車の振動でどうしてもピントがずれてしまう。
苛立ちながらクリアボタンをプッシュしてカメラを構え直す。
そんなことを数回繰り返している内に、電車の角度が変わったせいでとうとう花火は見えなくなってしまった。
顔が潰れるくらいガラスにへばりついて覗いてみるが、どんなに頑張っても花火は一向に見えなかった。

「あーぁ・・・・・・」

溜め息と一緒に落ち込んだ声が漏れた。

(これじゃあ送れないよな)

頭をドアに凭れかけ、手の中のケータイを見つめる。
ディスプレイには最後に撮った画像が写っていた。
真っ暗な画面の下にぼんやりと浮かぶ光の粒。
花火だと最初に教えられていても、これを見てそうだと頷く人間はいないだろう。
気付けば写真を撮るのに必死で、じっくり眺める事もしなかった。
もう一度溜め息をついて、画像を消去しようと指を動かす。
完全に消去が完了するその時、不意にディスプレイの色が変わり着信を知らせるメロディが流れた。
画面が切り替わる。
表示された名前を確認した俺は、慌てて通話ボタンを押すと電話を耳に当てた。
すぐにスピーカーから愛しい声が聞こえてくる。

「シーザー!」

自分でもはしゃぎすぎだなと思うくらい明るい声で名を呼ぶと、電話越しの恋人から呆れたような声が返ってきた。

「え、なに?電車の中でよく――――」

雑音を遮断するために左耳を掌で押さえて遠く聞こえる声に意識を集中させる。

「花火?あぁ!俺も今見てたぜ!お前に――――は?写真?」

バラバラのパズルを元に戻すように、聞き取れた単語を口に出していく。
それらを頭の中で整理して、ようやくシーザーが言いたい事を理解した時、思わず顔がにやけてしまうのを止められなかった。

(同じこと考えてたのかよ――――)

真っ暗な景色に染まったガラスに間抜けな顔が反射する。
こんな不細工なツラ、他人に晒せない。
そう思うのに、口元の笑みも垂れ下がった目尻もまったく消えてはくれなかった。

(くそ・・・っ、心臓がばくばくして苦しい)


今すぐ会いたい。

好きだって大声で叫びたい。


胸の内から沸き上がってくる衝動に心臓に手を当てて冷静さを取り戻そうとしていると、オルゴールのような音色が車内に流れた。その後を追って聞こえた車掌のアナウンス。
列車の速度が少しずつ落ち始めた。
もう少しで駅に到着するのだ。

「なぁ、今からアパート行っていい?」

堪えきれず呟いた問いに、携帯の向こうからは予想通りの反発が返ってきた。
耳に痛い説教や嫌味を相槌で受け止めながらも、俺の頭は既にシーザーの家への移動経路と所要時間を計算していた。

「大丈夫だって!ちゃんと学校には行くから」

一気に緩やかになる揺れ。
体を支える必要もないくらいに小さくなった振動もやがて消え、完全に電車が停止した。
ガタンという小さな衝撃の後、ガスが抜けるような音と共にドアが開く。
途端に向かいから生暖かい熱風が吹き込んできた。

「わーかった!文句はそっちに着いてから目一杯聞くから!それじゃまた後でな!!」

耳元でまだ続いていた小言を遮って、俺は弾む足取りで電車から飛び降りた。



了.







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