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□dramatic
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目の前にある切れ長な瞳に、
正直私は怯んでいた。

その目の持ち主、
日吉もきっと同じ気持ちだろう。




『……っ』




それは一瞬過ぎる出来事。

少し切れた唇の端がヒリヒリとして痛い。
口の中も微かに切れていて血の味がする。

その鋭い目から少しだけ視線を下げれば、
日吉の唇からも僅かに血が滲んでいた。


何が起こったのかようやく理解できた私とは違って、
日吉はまだ呆然とした表情。



そう、私達はキスをしたんだ。



恋人同士の望まれる形ではなく、

ただのアクシデントとして。






『日吉?』


「……え?」




私がいた事に今気付いたように、
焦点がゆっくりと私に定まる。

声を掛けてしまったけれど、
いつもと違いすぎる日吉に
何と声を掛ければいいのか分からない。


でも、

今大事なのは、
何とかこの場をおさめること。






『今のことだけど…』


そう言い掛けて、私は自分の目を疑った。

日吉がハッとしたように
顔を赤らめ俯いたから。


私を見つけては必ず毒づくし、
2年の中でも群を抜いてモテている日吉が
私とキスしたくらいでそんな顔をするなんて。


言ってしまえば、
私は初めてのキスじゃない。

初めてのキスは別れた彼氏と経験済みだ。

もちろん驚かなかったわけじゃないけれど、
青くなることはあっても、
赤くなるような心を私は持ち合わせていない。




『日吉、今のことだけど』


「はい」


『お互いの為に』
「まさかなかったことにしよう、なんて言うんじゃないでしょうね?」


『え』




まさしくその通りだけど、
ジロリと睨まれ、その続きは言えなかった。

もちろんなかったことにしたいでしょ。

私達はただの先輩後輩の関係だし、
ましてや向日を通じて知り合った知人レベル。

ドラマじゃあるまいし、
ここから恋が芽生えたりしない。
少なくとも私は。

そんなことを考えていると、
ふと日吉の指先が私の唇の傷付近に触れて、
チクリとした痛みで一歩後ずさった。




『…痛いんだけど』


「すみません」




謝りながらもその指は
また私の口元に伸びてきて、
傷に優しく触れる。

全然悪いなんて思ってないじゃん。

微かな痛みにたえながらも、
私の唇を見つめる日吉から目が離せなかった。




「俺、初めてでした」


『は?』


「名前先輩が初めてのキスの相手です」


『ほ、本当に?だったら尚更忘れた方が…』




一歩後ずされば、
一歩こちらへ近付いてくる。

後輩相手に何を怖がっているのか。

だけど、
さっきまで顔を赤くして俯いていた日吉ではなく、挑発的な瞳。




「どう責任とってくれるんですか?」


『責任?』




待ってよ、待て。
責任とってもらうのは女子である私の方でしょ?




「俺のはじめてを名前先輩に奪われました」


『まぎらわしい言い方しないで!』




どうしよう。
どうしよう。

焦ってばかりで何もいい案は浮かばない。

事故だから仕方なかったとはいえ、
初めてのキスを奪ってしまった罪悪感はある。

後輩相手だというのが余計に。




『……どうすればいいの?』




冷静を装ってみたけれど
私の声はたぶん震えてたと思う。

日吉のことだ、
こちらの予想通りの答えなんてくれるはずがない。






「さっきのは痛かったんでもう一度はじめからお願いします」


『…え?』


「もう一度はじめからお願いします」


『………キス?』


「はい」


『…本気で言ってるの?』


「はい」




飄々と答える日吉の顔は
いつもと何も変わらない。

日吉がこういう冗談を言うような男なのかさえ、
付き合いの浅い私には分からない。

真意を読み取ろうと思っても
いつもと何も変わらない表情からは
読み取れるはずもなかった。


ああ、じっと私の目を見つめる日吉の視線が痛い。

これはもうやるしか、ないのかもしれない。




『………目、閉じて』


「はい」




日吉の瞼がゆっくりと閉じたのを確認して、
心を落ち着かせるために大きく深呼吸を1回。

彼の両肩を手で掴んで、
少しずつ顔を近づけていったけど


だめ。
できない!




『や、やっぱりさ!こういうのは好きな人とするべきだよ!』




いつもとは違う裏返った声。
本当に情けない。

でも焦っている私なんて
日吉に気付いてほしくはなかった。




『ねえ、そうでしょ?日吉?!』


「……意外と真面目なんですね」




そう言うと、ふいに日吉の瞼が開いて
彼にしてみれば珍しく目を細めて笑ってる。

その顔はとても嬉しそうで、
ちょっと胸が苦しくなったのを
悟られないよう私は日吉から目を反らす。




「すみません。からかってみただけです。名前先輩が好きでもない男とこういうことできる人間じゃなくてよかったです」


『試してたの?』


「知ってましたけど試しました。すみません」


『何それ。でも、よかったぁ…』




分かったとたん安心して
その場に座り込んでしまいそうだった
私の腕を掴んで支えてくれる。

ありがとうと顔を上げれば、
眉を寄せて不機嫌そうな顔をしていた。




「そんなに喜ばれるとは思っていませんでしたよ」


『だって』


「初めてだったのは本当です」


『本当に?』


「名前先輩と違ってつまらない嘘はつきませんよ」




何で男子テニス部は硬派が多いんだ。

あの跡部ですらあれだけ女の子に追いかけられていて、
実際に彼女がいたことはない。

好きな女以外、隣を歩かせたくないそうだ。

日吉は好きな女ですら、
三歩下がって歩かせそうなイメージだけど。




『ごめん』


「いえ。あ、名前先輩」


『ん?』




だんだんと視界が日吉の顔でいっぱいになり、
何が起きてるのか理解できないまま
薄い唇が私の唇に軽く触れてきた。




『な、んで?』


「こういうのは好きな人とするべきなんでしょう?」




はじめて誰かを好きになったのも
名前先輩がはじめてです。

なんて、いつもの無表情で言うから
私のドラマみたいな恋がはじまってしまったのは

言うまでもない。






『ねえ、私のこと好きだったの?』


「…そういう無神経なところも、嫌いじゃないですよ」




そう、彼のドラマみたいな恋は
はじめて言葉を交わす前から
始まっていたらしい。








おわり

20200719
140407

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