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□エリスロニウム
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近頃ハンジの言動が日に日におかしくなっていくのには気付いていた。
…もっとも、いつも人とは少し違っていたけれど。
本部へ戻る道すがら、隣を歩く恋人に声を掛けた。


「リヴァイ、最近ハンジどうしちゃったの?」

「何がだ」

「何がって…いつも以上に、こう話しが通じないというか、舞い上がってるというか。
エレンも最近見かけないし」

「いつものことだろう。
まぁ、エレンが来てからは拍車がかかっているようだがな」

「やっぱり。
…大丈夫かなぁ」

ハンジもエレンも。
うーんと唸る私をリヴァイは横目で見て、静かに答える。

「…大方色々実験してんだろ。
お前は見に行かなくていいからな。」


…。
なんか怪しい。


「…リヴァイ、なんか知ってるの?」

「いや、何も知らねぇ。
ほら早く歩け。」

「っ!!」

急に腰を引き寄せられて心臓が跳ねる。
元サヤに戻ってから周りも幾らか落ちついたものの、私自身がまだ彼のそういう行動に焦ってしまう。
落ち着け、私。
付き合いたてのカップルじゃあるまいし…。
そんな私の反応を見て、彼は真顔で顔を近づけて来た。

「…何だ、赤い顔して。
まだ昼だが、俺の部屋に行くか?」

「いっ行かないから!
なに言ってんの…!」

「冗談だ」


なんて言いながら腰に置かれた手が脇腹を撫でて肩へと移動し、名残惜しそうに離れていった。
…今のは絶対冗談じゃない。
否定の言葉がなければ強引に連れて行かれた気がする。
人類最強がこんなセクハラまがいの事を言うだなんて誰も信じてくれなさそうだ。

資料室へ向かう私と、団長室に呼ばれているリヴァイはそのまま廊下で別れる事になった。
別れ際に『ハンジのところには行くなよ』と念を押してくる。


…あやしい。
あやしすぎる!


そこまで言われると逆に見に行けと言われている気がしてくる。
…確かめにいってやろうじゃない。

そう決め込み、そっと本部から抜け出す。
ハンジがいる場所は決まっている。
ソニーとビーンが捕えられていた場所からさほど遠くない建物だ。
階段を下りて渡り廊下を抜け、小走りに目当ての建物へと近づく。
私は中に入った事はない。
建物をぐるりと一周するように見渡してから、唯一の扉の前に立つ。
ノックをしようとした瞬間に、中から破裂音と、何かが割れるような音、そしてハンジの叫び声が聞こえた。


『うおぉぉおおいい!!!!
まじでえええええ!??』

「!?
ハンジ!?」


思わず勢いよく扉を開けた。

「どうしたのハンジ!?
だいじょうぶ…っ!??」

部屋の中は巨人の蒸気のような煙が立ち込めていて、自分も一気に煙に包まれる。
かなり視界が悪い。


「エマ!?
あっ、こら!」


その時、どん、という衝撃と共に何かが体当たりしてきた。

「きゃあ!?」

大きさは私の丁度腰辺りまでのようだ。
両腕は私の体にしがみつくように巻きつき、その物体からは体温を感じる。


こども?

この蒸気…まさか、小さな巨人!?


恐る恐る目線を自分の胸元まで降ろしてみると、同じくこちらを見上げている泣き出しそうな瞳と目が合った。


勝気そうな、大きな瞳…。


「……エレン?」


…なわけはないか。

でも、エレンに瓜二つだ。
弟がいるなんて聞いたことはないが…。
それか親戚の子だろうか?
その子は唇を大きくへの字に曲げて、悔しそうな表情をしている。


「…どうしたの、いじめられたの?」


そう聞くと、その子はうんうんと力強く首を縦に振ってみせた。

可愛い。
こんなところに連れてこられて怖かったのかな。

そう思うと同時に目の前の同僚がとてつもなく大人げなく思えてしまう。

「ハンジ、この子どこから連れて来たの?
子供をいじめちゃあ…」

「違う、違うよ!
誤解だからね!?
いくら私だって子供には手を出さないさ。
エマ、正解だ。
その子は正真正銘エレン本人だよ!」

「え?」

エレン
本人?

…まさか、だよね。

「本当に、エレン?」

そう声を掛けると弾かれたように顔を上げ、なに?というように覗き込んでくる。


やばい。
可愛い。


…じゃなくて、本当に?
よくよく彼を見てみると、明らかにサイズが大きすぎるカットソーを着ている。

これには見覚えがあった。
以前エレンが着ていたものによく似ている。

本当なんだ…。

部屋を見渡すと怪しげな薬品が所せましと並べられていた。

「エレン、何されたの?」

そう問いかけても首を振るだけのエレン。
中身までもまるきり子供になってしまったようだ。

「…。
どうするの、ハンジ…」

「…まさか、こんな結果になるとはね。
まずは君の彼氏に報告に行かないと。
嫌だけどね…。
ほら、行こうエレン」


そう言ってハンジが伸ばした手を見ても、更に嫌々、とエレンは首を振って私にしがみつく。


「いいよエレン、私と一緒に行こうね。」

「…お姉ちゃん」

「私はエマよ、エレンの友達だからね。」

「エマ、ちゃん…」


エレンに体を離すように促して、小さなその手を繋ぐとじんわりと汗ばんでいた。
戸惑いながらも着いてきてくれるらしい。
その様子を見てハンジが更に頭を抱えた。

「…なんか、色んな意味ですっげー怒られそうな予感…」


−−−−−

丁度リヴァイ班が談話室に集まっていたので、エレンの手を引いて一抹の説明をしてみる。

「本当に、エ、エレンなのか…」
「幼児化するって、巨人化する人間はまじで謎だらけだな」
「エレン、私の事は覚えてる?」

リヴァイ以外の班員は私の後ろに隠れたままの小さなエレンに興味津々で、エレンも皆に話しかけられて少し笑顔になる。
だけど、リヴァイは不機嫌さを隠そうともしないで口を開いた。

「面白い話だな、メガネ」

「でしょ!しかもどうすれば戻るかはまだ分からないんだ。
こんなにあの薬が作用するなんてね!」

「…あれほど変な実験はするなと言ったはずだが…」

うきうきと話すハンジとは対照的に、リヴァイは眉間の皺をより濃くした。
その眼がぎろりと私にも向けられる。

「お前もだ、エマ。
勝手に出歩きやがって…。
エレンはお前に心底懐いているように見えるが?」

「だ、だって、エレンも怖がってるみたいだし」

エレンはぎゅっと私の服の裾を掴みながら、リヴァイの様子を窺っている。

「……チッ。
…説教は後だ、お前ら二人とも。
今はこいつをどうするかだな」

「うーん。今は幸いエマに懐いているようだし、このまま世話を見てくれないかな?」

「うん、もちろん…」

「ああ?誰がそう言った。
こいつはガキだっていっても中身は男なんだからな。
男が面倒見るべきだろうが」

「あ、じゃあ、俺たちが…」

グンタがそう口を開いたが、それまで静かだったエレンが言葉を発した。

「エマちゃんと、いる…」

エレンの可愛らしい声が響いた。

「そっかー!
じゃあ、仕方がない。
エレンがエマがいいっていうなら、ねえ!リヴァイ」

ハンジがそう言うが、それでも表情を変えないリヴァイにエレンも怖じ気付いてしまったようだ。

「リヴァイ、あの…
大変そうだったらグンタ達に手伝ってもらうから。
私がエレンの様子を見とくよ」

そんなに私が頼りないのだろうか。
忠告を守らなかった事は申し訳ないけれど、これではエレンがかわいそうだ。

「……」


「兵長、ここは穏便に…」
「そうですよ、エレンはいま子供なんですから」
「俺たちが様子を見に行きますから」


「…エレン、俺が面倒を見てやる。
その手を放せ」

しん、と一瞬室内が静まり返る。
そう言われてもエレンは手を放さず、また嫌々、というように首を振った。

「てめぇ、クソガキが…」

それを見てリヴァイがゆらりと椅子から立ち上がろうとする。


信じられない!
ばっ…ばか!
相手は子供なのに!


咄嗟に私がエレンを背に隠したのと、班員が私達とリヴァイの前に立ちはだかったのは同時だった。

「へ、兵長!だめです!」
「子供ですから!相手は子供!」
「エマ、エレン、そうだ、食堂に行け食堂!
今ならなんか食うもんあるかも知れないしな!」


「う、うん分かった!
エレンおいでっ」

ぐいっとエレンの手を引っ張って逃げるようにその場を後にした。
本部の渡り廊下まで来たところでふぅ、と一息つく。

「エマちゃん、俺のせいで怒られる?」

揺れるようなエレンの声に気付いてその顔を見ると、ひどく不安げだった。
エレンにこんな顔させたくない。

「怒られないよ、大丈夫。
今日はエレンのしたいことしようね」

食堂に向かってから簡単なスナックをもらい、その後はエレンの行きたいところに後ろから着いていった。
建物内を探検したり、敷地内の森に行ったり…。
虫に夢中になっているエレンを少し離れたところで見守っていた。
薄暗くなってきた空を見てそろそろ本部に戻ろうかと思った時に、後ろから低い声がした。

「オイ」

…!

「リヴァイ…!」

エレンを振り返るが、リヴァイにはまだ気付いていないようだ。

「…ねえ。
さっきのでエレンも怖がってたよ、
普通に接してあげたら?」

そう伝えても、彼はふん、と鼻を鳴らすだけだった。

「ガキに好かれようとも思わねぇよ。
…ペトラ達があいつの為に夕食を用意しているから、行ってやれ。」

「…!エレンきっと喜ぶよ!
リヴァイも来るよね?」

「……ああ、後からな」

やれやれ、といった表情で、ぶっきらぼうに彼は答える。
自分だって人一倍エレンを心配しているくせに。
本当に素直じゃないんだから。

「エレン、おいで。
そろそろ帰ろう。」

エレンに声を掛けると、不意にリヴァイが身を寄せてきた。
耳に軽くキスをされて、耳元で低音が響く。

「…今夜、俺の部屋に来いよ。」

…!
それは一種の合言葉。
かぁっと顔に血が登る。

リヴァイはそれだけ言って、振り返りもせずにさっさと本部の方へ戻って行ってしまった。
なに…一緒に戻るんじゃないの?
思わず囁かれた耳に手をやる。
どくどくと耳が熱い。
…この男は本当に突然こんな事をするから、心臓に悪い。

がさがさとエレンが歩み寄ってきて、はっと我に返った。

「?
エマちゃん、どうしたの?」

「なっ…なんでもないよ!
虫は捕まえられた?
お腹空いたでしょ、帰ろうね」

早口にそう言ってしまい、エレンは少し不思議そうな顔をした。


その日の夕食はエレンの好物ばかりが並び、エレンも皆も、終始楽しそうだった。
後から合流したリヴァイも、ハンジにからかわれながらも楽しいひと時を過ごしていたようだ。
多分。


そして、片付けを終えた一行は…。
エレンをお風呂に入れるかどうか、誰が入れるかで議論が繰り広げていた。
私と入ると言って聞かない半泣きのエレンを、無理やりリヴァイが担いでどこかへ消えて行った。

廊下まで聞こえたエレンの泣き声はある意味ものすごく怖かった…。

「じゃ、じゃあ、私も部屋に戻るね。
おやすみなさい!」

「おう、お疲れ」
「おやすみ、エマ」

エレンが心配になってその後を追うように一人食堂を後にした。


「…兵長も、大人げないよな」
「あれは子供のエレンといつものエレンの区別がついてない感じだな」
「頭では分かっていても、感情が…ってやつか」
「あれだけやってて多分本人たちあまり分かってないと思うぜ」
「いやいやそれはないだろ。」

そうして夜は更けていった。

−−−−−


「…オイ。」

「…はい」

「遅いと思って来てみれば…。
何やってる」

「ご、ごめんなさい、エレンが不安そうだったから…。」

あのままリヴァイは強制的にエレンをお風呂に入れたらしく、大泣きの状態でエレンは私の部屋に連れられてきた。
どんな恐ろしいことをされたのか…。
リヴァイはそのまま来た道を戻っていったので、
私もエレンを寝かしつけてからその後を追おうと思ったが、不安げな瞳は中々眠れないようだった。

わけの分からない環境で、自分の置かれた状況に戸惑いを隠せない。
それは巨人化する人間として監視されていたエレンの心境をそのまま表しているようで、放っておけなかった。
髪を撫でていると、段々と呼吸が寝息に変わっていき、小さな手から力が抜けて行った。

その直後にリヴァイがやってきたというわけだ。


リヴァイがちらりとエレンの様子を見ると、ベッド脇に腰掛けるエマを完全に頼り切って、その体温に縋るように丸くなって眠っているようだった。

「……ちっ」

「リヴァイ?」

「今夜はいい。
そのガキについててやれ」

「…!」

一瞬驚くが、そうだ。
この人は他人の痛みを分かろうとしてくれるのだ。

「うん…。
また明日ね、リヴァイ」

「…お前……明日は、覚悟しとくんだな」

「…なっ…」

何か言い返そうとしたが、そのまま、ぱたん、と扉が静かに閉じられた。

…なに、それ…っ。

エレンに目をやると、すやすやと心地よさそうだ。
これからもこの子は色々な困難に立ち向かっていかなきゃいけないんだな。
でも、いまだけでもゆっくり休んでほしい。
幼い寝顔を見ていると自分も睡魔に誘われ、エレンに並ぶように横になった。



−−−−−



エレンが翌朝気が付くと、右腕がやけに重かった。

右腕になにか柔らかくてくすぐったいものが当たっている。
手でそのなにかを手繰り寄せてみると、さらりとしていて、いい匂いがした。

目を開いて、それが誰かの柔らかい髪の毛だと気付く。


髪の毛?


次いで、睫毛の長い女の人が自分の腕の中で眠っているのが目に入る。


この人は…



「……エマさん!!???」



急いで身を起こすが、その人と、その人に纏わるある人物を思い出してさぁっと血の気が引いた。

直後、どかどかと大きな足音がしたかと思うと、扉がそのある人物によって乱暴に開け放たれた。


その人物、リヴァイ兵長が目にしたのはベッドの上の裸の俺と、
その俺の腕の中で眠るエマさんの姿だった。

…ていうか兵長、どこで待機してたんですか…


「…ん…、エレン…?」



「…エレン、貴様…いい度胸だな…」





朝の調査兵団敷地内に、
エレンの絶叫が木霊した。







エリスロニウム
おわり
 

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