兎novel
□着せ替えごっこ
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「どういうつもりだ?」
目前の光景にトーマスは言葉を失った。
日中の職務を終え、トーマスは温かな我が家へようやく戻って来られたのだ。次男として気丈に振る舞うつもりではいても疲労の溜まったその身体は重く、無意識に溜息も出た。
「ただいま帰りまし……」
た、と言い切ったまま、トーマスはポカンと口を開けた。上品な調度の揃ったリビングルームに広がるレースやフリルたち。それらが女性もののワンピースだと理解すると、彼の口元はますます引きつった。そして、
「あ、おかえりなさい!兄さま!」
満面の笑みで自分を迎えた、スカート姿の「弟」についに思考は完全に停止する。
「どうです?似合いますでしょう」
ミハエルがくるりと回れば、スカートも綺麗に広がる。多めにあしらわれたフリルもふわりと舞った。ピンク色を基調としたストライプ柄のワンピースは、ミハエルにとても良くあっていた……では、なく。
「どうしてそんな格好をしているんだ!」
「酷いですね。可愛いの一言くらい言ってもいいのに。だから彼女も出来ないんですよ」
ミハエルは、ぷくとわざとらしく頬を膨らめる。本気で余計なお世話だとトーマスは小さく舌打ちして、言葉を紡いだ。
「疲れてんのにこんな悪趣味な光景見せられた兄の身も考えろ。で、このファンシーな洋服は何だ」
じゃれついてくる弟を軽くあしらいつつ、トーマスはドサリとソファーに腰掛ける。
「父さまがもらってきたそうです」
「はぁああ?」
しれっと答えるミハエルに対し、トーマスの声は大幅に裏返る。
「行きつけのケーキ屋に併設されたカフェの制服らしいですよ」
「……制服にしては色んな種類があるんだな」
父親の性癖にショックが隠せないまま、トーマスはぼんやりとミハエルが手に取るワンピースたちを眺めた。水色のエプロンドレスやまるで軍服やスーツをモチーフとしたのであろう、やや個性的な形のものもある。
「不思議の国のアリスをモチーフとしているそうです。ちなみに僕のはチェシャ猫」
「はあ……とんだマニアックな店だな」
「はは、流石に父さまもそこまで変態ではありませんよ、きっと。ケーキは美味しいですし、客層も『そういう』喫茶と違って女性が多いですから。至って普通のお店です」
それでも昔の姿ならともかく「あの」容姿の父親だ。若い女性に混じって嬉々とケーキを頬張っていないとは言い切れない。疲れきった顔をさらに青くして息をつくトーマスに、ミハエルは苦笑した。
「どうやってかは知りませんけど、僕に似合うかもってことで古い制服を譲ってもらったみたいです」
「こんなに沢山……」
「ええ、折角ですからクリス兄さまにも着せてみたんですけど……」
「待て。クリスがなんだって?」
「だから、クリス兄さまが興味深そうに見ていらっしゃったので一着勧めてみたのですが……」
「……結果は目に見えてただろ」
なぜ勧めた。なぜ着ようと思った。やや線が細いとは言え、あの体格の兄だ。180cm越えの二十歳がフリフリを纏う姿を想像し、すぐにトーマスは首を振った。もしかしたら髪を伸ばしているのもそういう性癖があって……そこまで考えてしまった自分に絶望し、彼は文字通り頭を抱える。
そんな彼の隣へするりと身を寄せたミハエルは、手に持った布をパサリと広げた。
「それでですね……トーマス兄さまにはこれが良いかなって?」
それを見たトーマスは、再びぎょっとする。ミハエルの示す白いワンピースは、これでもかと言うくらいフリルやリボンがついている、典型的なロリータデザイン。一般的な女性でも躊躇するような姫ワンピを「男」の自分に着せようとする弟をトーマスは二度見した。
「……お前、クリスの女装見てたんじゃないのか?」
「ヤダな。兄さま」
クスリと笑ったかと思うと、ミハエルは少しずつ自分と距離をとっていたトーマスを強引に押し倒す。慌てて起き上がろうとするトーマスに馬乗りになり、指先で彼の襟元を軽く外した。
「身体だってこんなに細いし……綺麗」
「あっ!テメッ……!!」
トーマスの腰辺りをするりと撫ぜ、その手でミハエルは彼の襟元を大きく広げる。そのまま露わになった白い肌へすっと指を滑らせると、形の良い鎖骨辺りに思いっきり吸い付いた。
「痛っ……」
生理的に赤らんだトーマスの顔が小さく歪むのを見て、ミハエルは満足気に微笑む。
「こんなに可愛らしい兄さまが、似合わないわけないでしょう?」
僕に逆らう気ですか?
瞬間、怪しく光ったその瞳は、トーマスの抵抗をいとも簡単に解いた。
「分かったよ……着ればいいんだろ?着れば」
トーマスは溜息交じりにゆっくりと身体を起こし、上機嫌で渡されたフリルの塊をげんなりと受け取った。
「僕が着せましょうか?」
「別にいい!お前は向こう向いてろ!」
「ええー……男同士でしかも弟相手ですよ?」
ニヨニヨと自分を見つめる弟に背を向け、彼は黙々と袖を通す。大体、男同士だったらこんな服を強要したりしないし、先程のような行為もなされない……と思う。しかし、鬱憤と同時にトーマスの中には表現し難い「熱」も溜まっていく。
トーマスはミハエルの目が苦手だ。あのガラス玉のように冷たい瞳で「おねがい」されたら、実弟だというのに逆らうことが出来ない。だが、同時にあの瞳に惹かれずにはいられない自分もいる。それはミハエルの「おねがい」が、必ずしも嫌なことではないからだろうか。
慣れないワンピースは、もの凄く着づらい。今更ミハエルに手伝ってもらうわけにもいかないため、トーマスには恨めしい気持ちだけがつのる。背中のチャックを上げようとしてもどこかで絡まっているせいか中々うまくいかない。
「あーあ。チャックくらい僕があげますよ」
いつの間にか背後にいたミハエルはやんわりと、苛立っていたトーマスの手をチャックから外す。ジッ……ジッパーの音が小さく鳴る。ただそれだけの行為にトーマスの心音は激しく鳴り続けた。ミハエルの指先が、背に触れるか触れないかの位置で踊る。不意に首筋へヒヤリとしたものを感じ、トーマスの身体は震えた。
「髪が絡まってしまいそうですね」
ミハエルはトーマスの後ろ髪を少し除けると、そのままチャックを上げきった。トーマスの正面に回り込み、その全身と向き合うとミハエルは嬉しそうに微笑む。
「やっぱり可愛いですよ、兄さま」
嫌味の無い、心底愛おしむかのようなミハエルの声にトーマスはカァっと熱くなる。
「……嘘つけ」
ハッとしてトーマスは視線をそらすが、すぐにミハエルがその頬を包みこちらを向かせられてしまう。憎らしいほどに可愛らしい顔と視線が絡まり、トーマスの顔はますます朱に染まる。ミハエルの言う通り、そのワンピースはトーマスによく似合っていた。少女のような柔らかなそれでなく、彫刻のごとくなだらかで艶のある白肌はフリルと調和している。まるで彼の愛する「人形」を彷彿させるような怪しさと美しさにミハエルは密に息を飲んだ。勿論、トーマス当人にその自覚は無いため、彼は相変わらず赤い顔で不貞腐れている。
「ふふ……林檎みたいなお顔。本当に可愛い『姉さま』」
「はあ?お前、何言って……」
抗議の声も虚しく、トーマスの唇はミハエルのそれによって塞がれる。逃げる舌は巧妙に捕えられ、トーマスの口内で遊ばれた。
「んぁっ……はっ……」
「いけません……そんな荒っぽい口調では可愛い恰好も台無しですわ」
深い口づけの後で朦朧としているトーマスにミハエルは正面から抱き着き、閉めたばかりのチャックを一気に下ろす。そのまま背骨に沿いツッと肌をなぞると、トーマスは意識せずとも小さく喘いだ。
「んっ……お前……ミハエル、いい加減に……」
「姉さまだって期待してたくせに。本気でやめてほしいなら抵抗なさったらいかがですか?」
「あっ……」
露わにした両肩にミハエルは次々とキスを落とす。まるで小鳥がついばむように優しく、かと思えば獣が噛みつくように激しく。彼の奔放な動きにトーマスはろくな抵抗ひとつもできない。ミハエルの口角は自然に上がった。
「ふふ……姉さまのココ、ちょっと硬くなっていましてよ?そんなに気持ちが良かったですか?」
「っ!……誰のせいで」
「勿論、ミハエルのせいです」
「やっ……」
トーマスの乳首はミハエルの口と指先により翻弄され、主張を強めていた。ミハエルが飴玉のようにそれを転がすたび、トーマスの身体は電流が流されたようにビクと強張る。
「あ……ミハエルぅ……もう、やめ……」
「そうですね。私もそろそろ限界ですし」
不意に身体を離されたせいで、トーマスの身体はふらりと揺れる。そのまま膝から崩れてしまう寸前、ミハエルはその体を抱き留めた。
「んッ!」
片腕でトーマスを支えつつ、もう片方の手は彼の内腿を撫ぜる。焦らすようにゆっくりとミハエルの手が上昇してくるのを感じ、トーマスはギュッと身を固くする。秘められた扉にミハエルが優しく指を添わせると、それを待ち望んでいたかのように全身へどっと熱いものが流れた。
「ね、姉さま。もういいでしょう?」
気遣う言葉とは裏腹にミハエルの反り立ったそれはトーマスの中へと早急に差し込まれる。熱は不意に痛みへと変わり、トーマスの眉間には皺が刻まれる。
「ああっ!……った……」
「ごめんなさいっ……ミハエル、興奮してしまいまして……」
その言葉通りミハエルの顔もトーマスのもの同様、高揚して息もやや荒い。やがて苦痛も快楽へと変わり、トーマスの脳内は沸騰した血液により溶かされていく。
「やぁっ……ミハエル……ミハエルぅ!」
ミハエルに全体重を預け、されるがままトーマスは腰を揺らす。理性はすでにとび、ただひたすらに弟の名を呼び続けた。
「トーマス……兄さま……」
「はっ……」
トーマスの顎をやや乱暴に掴み、ミハエルはその口に噛みついた。互いの口内を犯し合い、次の瞬間、ドクリと放たれたミハエルの熱はトーマスの中で大きく爆ぜた。
「ん……あっ……はっ」
トーマスの嬌声は飲み込まれ、どちらのものとも分からない吐息だけが零れ落ちる。
ぼうとする頭でトーマスはミハエルの瞳だけを見つめていた。
心の中では分かっている。ミハエルに逆らえない、という「言い訳」を自分はし続けているということを。兄と弟、そうでなくとも男同士というこの禁断の関係を誰よりも望んでいるのは自分だ。それを悟られないよう、俺はミハエルの欲求に渋々「従う」という形で今を生きている。俺を愛するという心だけを持った無垢な瞳に、澱みきった心を責め立てられながら……
「兄さまはやっぱり僕だけのお姫さまですよ……」
ずるりとものを抜いた後、ミハエルはさも満足気にそう言った。
「誰がお姫さまだよ……」
「そんな恰好でよく言えますね」
くすくすと姫の恰好をした悪魔が疲れ切ったトーマスを起こしながら笑う。
「お前さ、嘘だろ」
「何がです?」
「……父さんじゃなくてお前だろ、この制服もらってきたの」
床に散らばったワンピースは、よく見るとミハエルに着せるにしてはやや大きいサイズばかりだった。そう丁度、今のようにトーマスが着ればピッタリなサイズで……
「また着てくださいね、僕の綺麗なトーマス『姉さま』」
威圧的な瞳で彼はニッコリと微笑む。
「こんな恰好、二度と御免だ……」
トーマスは舌打ちをして、ぼそりと呟いた。
愛している、好きだよ。暗黙の了解で2人の間にそんな言葉は生まれない。少女たちのおままごとのようなその場限りの関係は、これから何度行われるのだろうか。せめてもう一度、こういった着せ替えごっこでも良いから、弟と「遊べ」たら……トーマスは、今日も切に願う。