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□炎上恋模様
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男が猫を飼い始めたのは今から五年程前になる。初めて会った時の猫は『世の中を知らない姫君』であった。

















「そなたにわしの娘をやろう。我が家に良く尽くしてくれた礼だ」
「…有り難き幸せ」

まだ松永久秀は大名ではなく、三好長慶という大名の部下だった。だがその働きぶりは優秀で、三好軍一の武将だった。頭も良く、戦闘でも群を抜く。だから長慶は久秀に褒美を与えることにした。それは三好軍なら誰もが最高の褒美と言う、三好長慶の娘、艶姫との婚姻だった。

艶姫は本名を『勝姫』というのだが、彼女の母親が夫が名付けたその名を気に入らず、『艶姫』と呼んだ。名が表すとおり、艶やかな娘だった。現在ではすっかり久秀の猫として寡黙で無表情な彼女だが、この頃はまだ表情がころころと変わる普通の姫だ。口数も多い。しかもまだ十八の若さで、三十路を過ぎた久秀とはかなり歳が離れていた。それでも長慶の言葉により、久秀は艶姫を嫁に貰うことになったのだ。







「姫様!本当におめでとうございます!あの松永様と夫婦になれるのですね」

侍女が嬉しそうに言っても、当の艶姫は浮かない顔。まだ大人になりきれていない少女はこの婚姻に納得できていない。

「松永殿は素晴らしい殿方よ、でも…私、なんだか怖いの」

確かに父が重宝するだけあって彼は男としても、武将としても良いのだろう。だが艶姫はそんな彼の中に潜む『何か』を感じていた。

「あの方…たまに怖い目をするの。まるで…飽きたような。何かを軽蔑するような目」

それが恐ろしいと感じる時がある。長いこと父に仕えてきたからこそ傍でそれを感じることができた。








そんな艶姫の気持ちもむなしく、婚礼の日が来てしまう。…実は久秀、ずっと昔から艶姫を求めてきた。

(彼女は美しい――いつか必ず私のものにすると決めていたが…やっと手に入る)

欲望に忠実な久秀だったが、艶姫を無理やりに手に入れることはしなかった。それは今後の計画に響くからだ。…この三好家をひっくり返すある計画のため。そのためにも、艶姫を抱き込んでおくのは得策。

(まさに一石二鳥とはこのこと)

隣に座る白無垢の艶姫はいつもと違って大人びて見える。この時代では歳の離れなど気にならない。笑顔を浮かべているが、内心不安で一杯の艶姫と、心に黒い欲望を抑える久秀。艶姫の父、長慶は満足げに笑っている。夫婦になった、二人のその心中を知らずに。




























その夜のことだ。寝所で艶姫は頭を下げる。

「…ご存知とは思いますが。艶にございます。…よしなに」
「何、今更固苦しい挨拶は要らない。…艶、と呼んでも構わないかね?」
「は、はい。勿論ですわ」

今までは家臣と、主君の姫として久秀は艶に対し敬いの言葉と敬語を忘れなかった。ところが夫婦になれば、夫が立場的に上。どこかもどかしさを感じる艶姫とは対照的に久秀はようやくこの時が来た、とばかりに態度をコロッと変える。そっと近づく手。艶は思わず目を固く瞑った。……が、意外にも撫でられたのは頭。

「一度こうしてみたかった」
「…」

今までなら、一国の姫の頭を撫でるなど出来ない。久秀が艶姫と夫婦になって最初にしたことは、そんな些細な戯れであった。そのことに少々驚く艶姫。

「……他のことを想像していたのかね?」
「そ、そんな。意地悪をなさらないでくださいませ…!」
「愉快愉快。卿は……美しいだけではない。…私は昔から









その表情が嫌いだった」
「えっ」

突然の突き放す言葉に艶姫が驚いて久秀を見つめた。先程の笑顔とはうってかわって冷たい目。

(ああ、この目だわ)

艶姫が恐ろしいと感じる目。艶姫にとって久秀は…嫌いではない。だが、どことなく恐れの対象であったのかもしれない。…そして同時に…その恐怖に惹かれていたのも事実。

「……名を呼んでくれないか、卿の鈴の鳴るような声で」
「……ひ……久秀……様……」
「…卿は猫のようだ。その大きな瞳といい、しなやかな体、愛らしい仕草…」

久秀は艶姫を猫にしたかった。命令に忠実で、それでいて自分を愛してくれる、そんな猫に。そっと久秀は艶姫を後ろから抱え込んで耳元で囁いた。

「卿は私を恐れているのだろう…?だがその反面、その恐れに快感を求めている」
「な、何を」
「私は知っているのだよ。卿のことならば全て。………欲望に忠実になれ、艶。


卿が欲しがっているもの……それは私だ。松永久秀という『恐怖』だったのだよ」
「…っ」

抵抗ができない。それは艶姫本人さえ自覚していなかった心の闇だ。艶姫は久秀を恐れ、彼を求めていた。

「私と共に欲望を叶える道を行こう。私の隣で…私のために生きるといい」
「……で、でも私は…」
「…もう一度言う。






私と共に来い、艶」
「……はい、久秀様…」

その目に迷いはなかった。それは久秀が求める猫の目そのもの。















その夜、久秀は艶姫に鈴付きの首輪を付けた。南蛮渡来の上質な布が使われている(南蛮ではその首輪をチョーカーと言うらしい)。そして、彼女は最早姫でなく『お艶の方』と呼ばれることになった。













それから数年後だった。艶の兄である三好義興が病死して以来、父の長慶は見るからに弱弱しくなっていった。だが、それは息子の死による精神的な衰弱…だけではなかった。久秀が権力を握るため、長慶に毒を盛っていたのだ。しかも少しずつ…明らかに病死に見えるように。それがばれなかったのは、娘の艶の手料理に混ぜていたから。愛する娘の手料理ならどんな父親だって口にする。

「艶よ、少し印象が変わったのう」
「そうでございますか」

どこか口調も淡々としているし、何より外見が変わった。下ろしていた長い髪を頭の両脇で団子結びにし、海を超えた大陸の娘のような髪型。着物も露出度が高くなり、全体的に猫のように見える。首元の鈴が彼女の動作に合わせて鳴る。

「うむ、美味い。艶の飯は美味いぞ」
「……そうですか、嬉しゅうございます」

その目に映るのは、もうすぐ死にゆく父の姿。




















数日後、三好長慶が死んだ。後を継いだのは長慶の養子である三好義継だが、実際に三好家の全てを握ったのは久秀であった。所詮養子である三好義継などただの飾りに過ぎない。願望を叶えた久秀はすり寄ってくる艶の腰を抱いた。

「久秀様、やっとあなた様の時代が来ます」
「…いや、まだだ。まだ足りないのだよ、艶。欲というものは尽きない、不思議なものだ」
「……天下をお取りに?」
「天下などくれてやる。…私が欲しいものは時によって変わる。…今欲しいのは、大名の地位」
「……」
「私の城を持ち、この国を眺めてみたい…勿論、第三者としてね。…ああ、そうだ、艶。鳴いてくれないか」
「…鳴く、とは?」
「卿は猫であろう?」

そう言って久秀は艶の頬を撫でてやる。今ではすっかり彼の猫だ。

「…みゃぁ」

この約一年後。松永久秀は三好義継の後見人となり、信貴山城を持つ。それから、彼は各地で欲望の赴いたままに欲しい物を手に入れる戦を繰り返した。


戦場には久秀と、その傍に寄り添う猫のような娘が炎を背に立っている姿を何人もの敵兵が目撃している。



炎上恋模様
(猫となった経緯)




■あとがき
主従関係のはじまり。元々は真逆の立場でした。

2009/4/24


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