短篇書架

□てのひらいっぱいの愛
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 海に面し、森に囲まれたちいさな村。珍しいものも名物も特になく、村の者はささやかな農業と、漁で生計を立てている。豊かな自然が美しいことが、村人たちの自慢だった。
 そんな生まれ故郷に連休を利用して帰ってきた文次郎は、村と森の境の辺りの奇岩に腰掛けていた少女を眼に留めてぎょっとした。
「梓・・・?」
「あれ、文次郎」
 ひらりと片手を挙げ、もう片方の手に野苺を載せている。文次郎はなんとか挨拶を返したが、彼女の無表情に経験したことのない冷や汗をかいていた。
 自分が村に帰ることを、彼女は快く思っていない。
 それは、文次郎が忍術学園に入学して最初に帰省したときに感じたことだった。それは初めての夏休みのことで、夏休み中は立派な忍者になるために鍛錬する、と決めて帰ると、再会した幼馴染は憮然と彼を出迎えたのだ。
 どうしてそんなにそっけなくされたのかよくわからない。休暇に入る度帰ると、梓は決まって良い顔をしなかった。しかしそれはふたりきりになった場合のみで、他に誰かいると、彼女の態度は至って普通になる。
 梓はぱくりと野苺を摘まみ、おかえり、と無表情で言った。
 ただいま、と声が出てこない。
 戦の偵察は怖くない。戦うことも平気。怪我をするのも大丈夫。仙蔵の可愛くない悪戯も甘んじよう。
 しかし、この幼馴染は。梓の無表情だけは。
 それらのどの恐怖よりも痛烈に、苦手意識を刺激する。
 どうにかせねばと思うのだ。
 かといって相手は幼馴染で一般人の女性だから、勝手がよくわからない。これを忍たまに知られたら鍛錬が足りないと笑われるだろうか。それでも、苦手なものは苦手なのだ。
 どうにかして、元通りにならないだろうか。
「・・・・・・食べる?」
「は?」
「野苺」
 ほら、と梓は掌の野苺を差し出す。文次郎は取り敢えず断って、それよりなんでお前はそこにいるんだ、と問うた。梓はきょとんと表情を変える。
「なんでって・・・畑仕事で疲れたから野苺で体力回復してて」
 自分を待ち伏せていたわけではないらしい。考えてもみれば、この休みに帰ることは、可能性だけ文で家族に伝えてある。親の性格上、それを梓に教えるともはずがなかったから、彼女と会ったのは単なる偶然だったのだ。
 そ、そうか、と胸を撫で下ろした。
 そうそうと、こくこく頷いて、彼女はぱくり、と残っていた野苺を頬張る。少し潰したのか、野苺の果汁が唇に伝う。
 それが一瞬、流血に見えてぞっとした。
 文次郎が自分の口許を指差して教えるが、梓は気づかない。
「なに?えくぼなら出来てないよ?」
「そんなわけあるかっ」
「じゃあなに?」
「ついてるんだよ」
「えくぼ?」
「ちげぇよ!口んとこ、苺の汁」
 漸く気付いたらしい梓は、親指でさっと口許を拭う。あまり乙女らしからぬ行為に、文次郎は軽く溜息を吐いた。
 そんなんだから縁談もこないんだろう、と。
「で、文次郎こそなんでこんなとこに?」
「帰ってきたんだろうが。連休があったからな」
「ふぅん?」
「なんだよ。帰ってきちゃ悪いかよ」
「別に。夏じゃないから学校・・・なんじゅつ学園だっけ、辞めたのかなと思っただけだもん」
「なんじゅつじゃなくて忍術だっ!」
 つい、かっとなって否定したが、これはあまり大声で言ってはならないことだった。一年生の頃、声高に忍術を学んでいると梓に言ったことがあったが、本来ならそれも隠しておくべき事実だったのだ。
 幸い、彼女は忍者というものにさほど興味はないらしく、そうだったそうだった、忍術学校だった、と淡々と新たに作り出した間違いにひとりで納得している。面倒なので訂正はしないし、それをしたところで自身にも興味を持たないことは分かり切っている。
「じゃあそのうち学校に帰るんだ?」
「まぁな。五日はいられるが」
 彼女の中で、ここは自分の帰る場所ではなくなっている。
 それを突き付けられて、文次郎は五日もいるのは止しておこうと思った。


 ちいさな畑を耕しながら、漁業を営んで暮らしているのが、潮江家である。
 そこに、母はいない。
 文次郎が忍術学園に入学する直前に、長患いの末に亡くなったのだ。
 それから消沈した文次郎を、環境を変えるという意味で父は彼を忍術学園に入れた。そうして目標を得て戻ってきた息子を見て、父はこの判断に後悔はなかった。
 文次郎が三年生の頃に兄が漁師として一人前になり、また文次郎もひとりで学費を稼ぐ術を憶えたので、父は文次郎の生きる道になにも言わなくなった。言い換えれば、冷や飯食いに見切りをつけたも同然かもしれないが。
 それから一年もしないうちに兄が嫁取りをし、兄嫁は今、めでたく妊娠中だった。
 はっきり言って、この状況では、文次郎は邪魔である。
 家族という手前、父も兄も快く迎えてくれたが、兄嫁だけは眉をひそめている。
 彼女もまた、梓と同じなのだろうか。
 彼女たちは辺鄙な村に押し込められていると感じているのかもしれない。
 それに引き替え、自分は忍術学園で広い世界を学ぶ身。興味を抱くより、疎まれる方が強いかもしれない。
 文次郎は、父と兄が三日後の出航に備えて準備を整えるのに家を空ける間、身重の兄嫁の手伝いを任せられて畑を耕していた。
 これは、五日どころか四日もしないうちに忍術学園に戻るか、と思いながら鍬を動かしていると、ふと人の気配が近付いてくるのがわかった。忍術学園最上級生ともなれば、それがどんな人物であるのかもわかる。同じ年頃の、少女がひとりだった。
 やがて、兄嫁を呼ぶ声がした。
 声の主はとことここちらにやってきて、兄嫁と文次郎を認めるなり眼を丸くする。
 その様子に気づかず、兄嫁は来客の話を聞き、それが文次郎への用件だとわかると彼を呼びつけて自分は持ち場に戻っていった。
 ぎこちなく、文次郎は来客に挨拶する。
「なんの用だ」
「なんの用だとはつれないじゃない。幼馴染が会いにきたのに」
 にこりと微笑んでいるのは、本当に昨日出くわした少女と同一人物なのだろうか。
 そばに兄嫁がいる。それだけの理由で梓は幼馴染として笑ってくれる。
「・・・用が無きゃ来ねぇくせに」
 梓がたまにするように、文次郎はふいと彼女のいない方向に眼を遣った。ひらひらと紋白蝶がはためいていた。
「・・・・・・」
「で、なんの用だ」
「文次郎のお父さんがね、おつかい頼みたいだって」
「おつかい?・・・わかった。なに買うか聞きに親父に行けばいいのか」
「ううん、私なに買うか聞いてる」
「なにが要るって?」
「えぇっとねぇ」
 いくつか品物の名前を挙げ、買って浜の小屋までまで持ってきてほしい、との要望も伝えられた。そして重たい小銭入れを渡される。
 そんなに買ったら陽が暮れる、と文次郎はぼやくが、梓はだから文次郎に頼んだんでしょ、とたしなめるような口調で言う。
「・・・・・・あと私もおつかい頼みたい」
「は?」
「お金なら、はい」
 ちゃりんと小銭が渡され、髪紐を買ってきて、と言う。
「髪紐?そんなもん自分で買え」
「私暇じゃないの」
「その言い方だと俺は暇みたいじゃないか」
「おつかいのついでだよ。いいでしょ?」
「だいたい、お前の好みなんか知るか」
「適当でいいよ!お店の人に聞けばオススメしてもらえるでしょ?」
「聞けるかっ!」
「けちー」
「わかったわかった・・・・・・ったく、面倒臭い」
「一本でいいからね」
「わかったわかった。どんなやつでも文句言うなよ」
「髪紐として使えるやつなら言わないよ」
「はいはい」
「あ、そうだ、気を付けてね?あと髪紐、遅くなるなら明日でいいから」
「おう」
 これ以上、梓と無駄話していたら帰るのが夜になってしまう。
 受け取った小銭を仕舞い、文次郎は森へ兄嫁に断って道に出た。家に帰るらしい梓も同じく道に出る。
 反対の方向に向かおうとして、不意に梓が呼び止めた。
 振り返った幼馴染は、打って変わって悲しげな顔をしている。
 無表情よりはましだが、なんだというのだ。文次郎は無意識に身構えていた。
 眼を伏せて、彼女は両手を握り締めて言った。
「おじさんたちの出航、お見送りしてから行くよね?」
「は?・・・・・・行くって・・・・・・?」
「忍術学園だよ。文次郎のお父さんたちが出る前に行かないよね?」
「それは、なんとも」
「お見送りくらいするよね?」
「・・・・・・考えとく」
 その答えで納得したのだろうか。梓は返事をしないまま、文次郎に眼を合わせることなく走って帰ってしまった。
 関係ないことなのに、と不思議がっていると、彼女の言葉に別の引っ掛かりを憶えた。
 あいつ、忍術学園だって憶えてたんだな
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