短篇書架
□てのひらいっぱいの愛
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文次郎がおつかいの髪紐を梓の家に持って行ったのは、翌日の、朝をだいぶ過ぎた、昼前のことだった。
村に着いたのは夜になってからで、浜の小屋に頼まれた物を運びこみ父に報告を済ませた後、森の中で鍛錬に励んだ。そして気がついたら朝と呼べる時間帯を過ぎていたのである。
髪紐を届けなければ。お釣りも返したいし。そう思って梓を訪ねてみれば、
「梓なら、いないわよ」
と、彼女の母親に告げられた。
また森にでも出掛けているのだろうか。じゃあ、髪紐は母親に預けよう、と思ったのだが。
「梓なら今頃町でお見合いしてるわよ。文次郎くん、あの子から聞いてない?」
・・・・・・ふざけるな
髪紐を手から落っことしそうになる衝撃を堪え、文次郎はその場を適当に遣り過ごすと町へと走り出していた。
村から町までは、女の足で歩けば一時ほど要するだろう。ということは、梓は見合いのために、朝から家を出ていたのだ。
つまり、文次郎が髪紐をいつ届けようが、いない可能性の方が高かったのである。
それを知っててそんなことを頼んだとは。
腹が立った。
受け取る気があったのか
縁談なんて一言も言わなかったじゃねぇか
あいつに縁談なんて来るなんてな!
渇いた笑いが口から零れた。
町で見合いとは、上手く行けば町で暮らせるということではないか。
狭苦しい村から出られるということではないか。
良かったな----そう素直に言ってやれる自信は、なかった。
そうしてどれだけ走っただろう。
なんで、梓のところに行こうとしているのか、理由もなく走っていたことに驚いて、文次郎は立ち止まった。
自身の喘鳴が鎮まってくると、雲雀の啼き声が五月蝿いほど耳に付いた。
・・・・・・疲れた
そういえば、昨日から不眠不休だ。疲労を自覚する遅さに我ながら呆れた。そこまで気持ちが高ぶっていたらしい。
近くに沢を発見し、そこで喉を潤す。
ふと顔を上げると、木漏れ日に輝く白が眼に飛び込んできた。
ひそやかに佇む水仙。
昔、梓が摘んでいた、水仙。
・・・・・・そういや、あの水仙はどうしたんだったか
・・・・・・そうだ。帰り際に渡されたんだ
----文次郎のお母さんが、早く良くなりますようにっ!
ずっと握っていたため渡された頃には萎れていたが、文次郎が生けてしばらくすると、元のいきいきとした姿に戻ったのだった。それを、母はどれほど喜んだことか。梓ちゃんにお礼を言わなきゃ、と笑って、それは叶わなかった。
振り返っても悲しいとは思わなかった。乗り越えられるだけ成長したのだと前向きに考える。
忍術学園で学んだおかげもあるが、能天気が励ましてくれたから。
あのときも、そうだった。母親が病に苦しむ姿に隠れて泣いていたら、迷子探しでそれどころでなくなり、見つけたと思ったら野苺をぱしられて。
泣く暇なんて、なかった。
呆れて、涙なんて出なかった。
口に放り込まれた野苺に、文句しか出なかった。
「・・・・・・あ」
ふと閃いたことがあり、しかしそんな馬鹿なと改める。
そうだ、あのとき、梓は言っていた・・・・・・でもそんなあほなことが・・・・・・いや相手は梓だった
あぁそうか、俺が夏休みか冬休みくらいしか帰らないからか。春休み・・・じゃあまだ早かったか?・・・じゃあ無理じゃねぇか!
すべてが解けた気がした。
----来年一緒に採ってあげるから
その来年は、文次郎は忍術学園にいたのだから、結果すっぽかしたことになる。
どうでもいいことほど、すっぽかされると梓は腐貞る。
最初の夏休みから冷遇を受け続けた理由が、今頃わかった。
摘んで帰ればいいのか?
すっぽかしたことを詫びればいいのか?
今頃機嫌を取っても、彼女は町に嫁ぐのに?
帰るか、と文次郎は思った。
梓の思う自分の帰る場所に帰ろう。
その前に、また文句を言われたら堪ったものではないから、父と兄の船出は見送って。それまでは森に籠もっていればいいか。
今から村に戻れば、梓が帰るまでには着くだろう。野苺を摘んで、髪紐と一緒に彼女の母親に預けてしまおう。
野苺など、何年振りに摘んだだろう。
昔と違い、野苺を潰さないように文次郎は藪の辺りを物色していた。
すると、がさがさと近くで茂みが揺れる。
獣・・・ではないな。人・・・・・・一般人らしい・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・梓?」
まさかと思ってひそと呼び掛けると、誰か呼んだ?と茂みからひょっこり若い乙女が顔を覗かせた。想像通りの顔に拍子抜けする。
ただ、表情は予想と違った。好奇心で輝いていた眼が、文次郎を見つけた瞬間はっと見開かれる。
「お前、見合いしてるんじゃなかったのか?」
「・・・・・・」
「すっぽかしたのか?」
「違うもん。ちゃんと受けたもん」
「ちゃんと受けたやつがどうしてこんなところにいる」
「・・・・・・あんな人嫌いだよ」
「どうした?なにがあった?」
藪を掻き分けて梓の元へ近付くと、彼女の手には赤い実が鎮座していた。
あんな人嫌い。野苺の方がずっと素敵。そんなことを呟くほど、求めていたものらしい。
文次郎は、摘んでいた素敵なものを彼女の手の上に全部載っけてやる。
彼女は何事かとびっくりしたが、それが野苺だとわかるとぱぁっと笑顔になった。
「わっ!?くれるの!?」
「ただしいっこ寄越せ」
「いっこでいいの?」
「お前が決めたんだろうが」
「いただきまーす!」
梓は晴れやかに笑う。野苺ごときで無邪気なものだ。
かと思えば、なにかに気付いたように怪訝そうな顔をする。
「文次郎、手」
「手?」
「手ぇ出して」
よくわからないまま従おうとして----手を引っ込めた。
文次郎の手に野苺を載せ損ねた梓はあっと声を漏らす。
「ちょっとー」
「その手には乗らん」
「なに言ってるの。載っけるの文次郎の手だよっ」
「・・・・・・そうじゃなくてなぁ」
手が塞がっていては野苺は食べられない。昔やられたことをそっくりお返しし、むくれる梓のてのひらから野苺をひょいと摘まむ。
「あっ、ずるい!」
「狡くない」
「もう、持ってよ。食べらんないでしょ。いっこしか食べないんでしょ」
「あぁ、そうだ・・・・・・ほらよ」
今思い出した風に、梓の眼の前に髪紐をぶら下げる。とたんに興味が髪紐に移るのだから見ていて面白い。
「あ。ありがとうございました」
「どういたしまして」
「・・・・・・へぇ、可愛いね」
「可愛いかどうかなんてよくわからん」
「店員さんにオススメしてもらったから?」
髪紐に手を伸ばそうとして、野苺で塞がっていることを再認識したらしい。持ってよーと突き出してくる。
「髪紐が汚れるだろ」
「あぁ、そっか」
本気で言っているのか。
髪紐を、一度仕舞えばいいのに、それに気が付かないのか。
長らくまともに話していなかったからか、彼女がこれほど騙しやすい性質だと思ったことはなかった。それとも、騙せるだけ自分は忍術学園で知識を身に付けたということだろうか。
「どうしたらいいの?」
「ちょっと動くなよ」
その言葉で、ぴたりと硬直した梓の後ろに回る。
改めて見ると、彼女はとてもちいさかった。幼い頃は、同じ目線で遊び回っていたのに。いつ彼女の背を越したのだろう。
梓は怪訝そうにこちらを気にしているが、従順にも振り向くことさえしない。
首の後ろで黒髪を束ねるくすんだ色の髪紐。それを、するりと解く。
感覚でなにが起こったのかわかるのか、梓がちいさく驚嘆を漏らす。
「ちょっ、なにして・・・!?」
「動くなと言っただろう」
髪を纏めて、新品の髪紐で結わう。不恰好な蝶々結びになったが、結び直すのもやめた。どうせ綺麗にはできない。
明るい色の髪紐は、梓によく似合う。
思った通り、と口に出したら、彼女はどんな顔をするだろう。
ひと目見て、この髪紐に決めたと告白したらどんな顔をするだろう。
「もう動いていい?」
「・・・まだだ」
今、彼女の背後にいてよかったと思った。向き合っていたら、緩んだ顔を見られていたから。
しっかりと表情を締め、正面に戻って古い髪紐を梓の手首に掛ける。なにするの、と訝しげにする梓の手の下に、両手を広げる。
「ほら、寄越せ」
梓は嬉しそうに野苺を文次郎の手に落とす。古い髪紐を仕舞い、文次郎のてのひらから野苺を摘まむ。
「いっこ----」
「あげないよっ!?」
「わかったから。いっこ訊かせろ」
「うん?」
「なんで髪紐のおつかいなんて頼んだんだ?」
「お母さんが、お見合いするなら新しいの買いなさいって言うから」
「その見合いも不意にして・・・って、今日使うものを昨日頼んだ理由を訊いてんだよっ」
「明日だと思ってたんだけどねー」
てへへと笑いながらぱくぱくと野苺を頬張る。反省する様子はない。
「・・・・・・見合い相手のなにが嫌だったんだよ?」
「木の実の話が通じなくって」
「・・・・・・それだけか?」
「私の好物嫌いだって言うんだよ!そんな安っぽいもの、口に合わないんです、だって!」
嫌味ったらしい口調で言うのは、悪意の表れのつもりなのか。きざっぽく笑った真似が、面白くて笑いを堪えるのに必死だった。
「それは・・・・・・まぁ、嫌にもなるよな」
「でしょう?安っぽいんじゃなくてただなのに」
「怒るのそこかよっ」
「野苺素敵なのに!」
「わかったから。で、見合いダメにして親になんて言うつもりなんだ?」
「もっかいすればいいんじゃないの?」
「嫁に行くつもりあるのか?」
「うーん?」
「町で暮らしたいんだろう?なら真剣に受けるべきだな」
・・・自分の言葉で胸が痛むなんて。
そこに三禁の重石を載せて、痛みなどなかったことにする。
町で?と梓は首を傾げた。
「なんで?」
「なんでって・・・村が嫌なんじゃ」
言い掛けて、止めた。
野苺が好きな彼女が町で暮らそうとするはずがないし、それは自分の勘違いだと思い出したからだ。
梓は、広い世界に学びに出る自分を羨んだのではなく、野苺の時期にいないことに納得していなかったのだから。
「いや、なんでもなかった」
「そうだよね。私木の実のいっぱい生るとこから離れたくないもん」
「・・・木の実のいっぱい生るとこなら嫁に行くのか?」
「前向きに検討します!」
いい笑顔で言い切って、最後の野苺を口に入れる。いつの間に、こんなに減ったのだろう?
じりじりと三禁の重石が荷重を増やしていく。その下から、絹を裂くような悲鳴が上がった。あと少しで、それは潰れて無くなると思う。
その最後の声の代わりに、来年、と呟く。
「また野苺食べに来るかな」
来年?と梓がそっとなぞる。
「来年って、忍術学園卒業しちゃうんじゃないの?卒業したら忍者になるんでしょ?村に帰ってこないんじゃないの?」
ひたりと梓の眼が文次郎の眼を捕らえる。
真摯な言葉が、縋るようなまなざしが、今、はっきりと教えてくれた。
彼女の大好きな場所に、帰って来ていいのだと。
「まぁ、一回くらいは・・・・・・」
「一回?」
「再来年も帰ってくるかもな」
「再来年?・・・・・・その間にお見合い成功しちゃったらどうするの?私文次郎から野苺奪えないよ」
「なに物騒なこと言ってやがるっ」
「お見合いの成功のなにが物騒よ」
「そっちじゃねぇ!その後!俺の野苺奪うなっ!」
「いっこしか食べないなら私が食べる!」
「いっこなのはお前に譲るからだろう!」
「だから!その頃に私いなかったら文次郎と野苺食べらんないでしょっ」
ぽーんと軽く、重石が蹴り飛ばされた。
すっかり息を吹き返した重石の下敷きだったものが、伸びやかに跳ね回る。
もう、抑えておけない。
眼を潤ませる梓が、いじらしくて仕方ない。
眼を反らしても、こちらを伺う気配だけでくらくらした。
その視線の当たらない位置に。
甘い苺の香が鼻孔を満たした。
華奢な身体を抱き込んで、彼女の肩に顔を埋めるようにして視線を躱す。
その行為の方が恥ずかしいと、知ったのはすぐだった。だが、いきなり止めるのも恥ずかしい。
腕の中で、梓は動揺していた。
「どうしたの?貧血?」
「・・・・・・!そんなわけあるかっ!」
「うっ・・・耳のそばで大きい声出さないでよ!きーんってする」
それも大声なのだが、文次郎は潔く謝った。
「貧血じゃないならどうしたの?お腹空いたの?」
「違う。そんなことでこんなことするか」
こんなこと、と聞かされて、流石に梓もこれが抱擁であると気付いたらしい。抱き締めた身体がかぁっと熱を持つ。
「見合い、全部ダメにしろ。俺のせいでいいから」
「・・・・・・責任、取ってくれるんだよね・・・・・・?」
「春まで待っててくれるなら」
「わかった、野苺の花が咲く頃だね!」
あぁ、と短く肯定して、そそくさと梓から顔を背ける。
その瞬間、切なげな溜息が聞こえてきたので、代わりではないが、手を差し出す。嬉しそうに、そこにちいさなてのひらが重ねられる。
帰るか、と言うと、返ってくる明るい返事。
歩き出そうとしたら、何故か梓は動かなかった。
不審に思って振り返ると、彼女はにやりと笑っていた。
ぽいっと野苺を口に投げ込まれる。
さして驚きもせず飲み込んで、にやにやする梓に苦笑を向ける。
「全部食ったんじゃねえのかよ」
「文次郎の分のいっこ!二回目!」
「・・・・・・」
自分のせいにしなくても、彼女ならたぶん、自力で全ての見合いを棒に振ってくれると思った。
〔終〕 次頁あとがき