短篇書架

□目から鱗
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 登山にはもってこいの、いい天気になった。空は綺麗な秋晴れで、風はとても穏やかだ。
 爽やかな朝陽に照らされた校門の前、兵助はしきりに影を見ながら時間を気にしていた。
 まだ梓は来ない。
 待ち合わせの時間はまだだったが、兵助は半刻ほど前から校門で待っていた。
 ちらちらと気にするのは、くの一教室の方角。
 何回、何十回とそちらを見、ついに兵助の思い人は現れた。
 兵助の姿を見て遅れたかと慌てたのだろう。小走りで兵助へと駆けていく。ばっちり走れるのは、動きやすい袴姿だからだ。
「おはよう久々知くん」
「おはよう梓」
「ごめんね。お待たせしましたか?」
「いや、まだ待ち合わせ時間の前だ。・・・行こうか?」
「うん!」
 ふたりが校門から出て行くのを確認して、勘右衛門はいい感じだねと呟く。
「あぁ、いい感じ・・・・・・梓がこれから山に登るって知るまではたぶんな」
 八左ヱ門がどんよりと遠くを見るのを、勘右衛門は苦く笑う。
「ほ、ほら、行くよ。見失うだろ」
「見失うもなにも行き先はわかってるんだから。それに網野山の場所、勘右衛門は知ってるんだろ?」
「まぁね」
 勘右衛門と八左ヱ門は身軽に築地を乗り越えると、兵助と梓に気付かれないように後を歩き出す。
 それからすぐのことだった。
「どこにあるお豆腐屋さんなの?」
 梓が笑顔で尋ねる。
 勘右衛門たちに緊張が走った。
「・・・・・・勘右衛門、ことあとどうなると思う?」
「俺が羽咋さんの立場なら遠慮したくなるね」
 ふたりの懸念をよそに、兵助も笑顔で答える。
「網野山の中腹にあるお豆腐屋さんだ」
「網野山・・・あ!だから動きやすい恰好って言ったんだね」
 梓はにこやかに合点して、それから話は豆腐のこととなった。
「えっと・・・・・・聞き間違えたかな」
「落ち着け勘右衛門。ふたり揃って同じ聞き間違いはしない」
「・・・だよねー」
 八左ヱ門にぽんと背中を叩かれて、仲睦まじい兵助たちの後ろを密やかに付けていくのだった。
 

「・・・・・・腹減ったな」
「網野山に着いたら俺たちも豆腐食べようか?」
「兵助たちにバレるだろ」
「ふたりが帰ったあとは?」
「そうまでして豆腐はいらん」
「そっか」
 じゃあはい、と勘右衛門は懐から饅頭を取り出して八左ヱ門に渡す。
「こんなものいつの間に・・・・・・」
 八左ヱ門が胡乱げに饅頭を見つめる前で、勘右衛門はそれを実に美味しそうに頬張る。
「食堂のおばちゃんに作ってもらった」
「どうせなら弁当にしろよ・・・・・・」
「食べないなら返してよ」
「いただきまーす」
 饅頭で腹ごしらえする勘右衛門と八左ヱ門の視線の先で、兵助たちは談笑しながら歩いていく。
 豆腐の素晴らしさを兵助が一方的に語っているように見えるが、梓が笑っているのだからそれがふたりの当然の会話なのだろう。
 やがて網野山の麓に差し掛かり、お世辞にも通りやすいとは言えない道を登っていく。獣道より幾らか増しという程度の道だ。
 山道に入るのは隠れやすい点では都合がよかったが、勘右衛門たちに網野山登山の経験はない。険しいといわれる山だし、追跡対象がいるというのは実技演習並みにきつかった。
 兵助は慣れているのか難なく登っていく。岩場も梓を手伝っても涼しい顔をしているし、彼女も疲れを見せることなく兵助に付いて行く。
 兵助たちから気付かれにくい位置を選びながら、なおかつ音を立てないようにするのは早い段階で疲れてきた。
 正直、兵助と梓の会話を盗み聞きしていても特に楽しくない。豆腐のことばかりで味気がなかった。
 風が出てきて、梢が鳴るのに紛れて樹の枝に飛び乗ったところで、八左ヱ門は盛大に溜息を吐いた。
「俺くの一の体力をなめてた。あんなにすいすい登っていくとはな。しかも笑顔で・・・・・・」
「体力もすごいけど、初デートで山に登るのを疑問に思わないのもすごいよ・・・・・・あ、疲れてるなら、はい」
 もぐもぐと饅頭を頬張る勘右衛門が、ひょいと饅頭を差し出す。八左ヱ門はそれをまたかよという顔で受け取り、遠くを見ながら口に含んだ。
「あ」
「どうしたの?」
「あれじゃないか、豆腐屋」
 視界の先に、開けた場所があった。そこにぽつんと、一軒だけ家が立っている。ぱっと見は茶屋のようだった。
 兵助を見ると、ここだぞと高ぶっている。梓も喜んでいるようだ。
「八左ヱ門」
「なんだ」
「俺、ここまで来たら豆腐食べてみたいんだけど」
「尾行がバレるぞ」
「豆腐食べに来たって言い訳すればいいんじゃない?」
「兵助怒るぞ」
「豆腐に目覚めたってってのは?」
「後で面倒だぞ」
「うーん。買って帰るのも無理そうだしなぁ」
「え?そうなのか?」
「だって山道だよ?豆腐なんて持って帰ったら崩れるよ」
「おほー・・・だからわざわざ来たんだな」
「そうそう。わざわざ来たんだから食べていこうよ!」
「結局そうなるのかっ」
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