短篇書架

□目から鱗
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「裏に畑があるんだ」
 豆腐の注文を付け、出来上がるのを待つ間、兵助は梓を裏手に導いた。
「今はもう収穫が終わったけど、すぐそこで作った大豆から作るんだ。この辺りは湧き水もきれいで美味しい。元々は山を越える人を相手にした茶屋だったらしいけど、水に眼を付けてご主人が豆腐作りも始めたんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
 梓が辺りを珍しそうに見渡している。山の木々は赤や黄色に色づいて、美しい眺めとなっていた。
「紅葉がきれいだね」
「そうだな」
「椛狩りがてらお豆腐を食べるのって素敵じゃない?」
「それはいいな。そんなことができるのもここならではだな!」
 話し込んでいるうちに、店主がご用意が出来ましたよと声を掛ける。
 店先の床机に腰を下ろし冷奴を運んでもらう。
「仲がよろしいんですね」
「えぇ」
 梓は笑っていた。
 兵助はわずかに気になった。彼女はどういうつもりで答えたのだろう。
 仲がいいといっても、特別な関係ではない。
 豆腐を食べに行こうと出掛けてはいるが、たぶん梓は言われれば誰とでも出掛けるくらいはするのだ。誘った誰かを傷付けないように。
「いただきます!」
 きちんと手を合わせ、梓が冷奴を食べ始める。兵助もはたといただきますをし、豆腐に手を付けた。
 ぱくり、とひと口。
「美味しい」
 そう呟いたのは、兵助ではなかった。
 隣を見ると、梓は笑ってはいなかった。
 少しだけ驚いたような、感動の見られない表情。
 いつも笑顔の梓にしては珍しいどころではない。きっと、自分だけがこんなにも近くで目の当たりにしている。
 そして頬を赤くしてこう言うのだ。
「久々知くん、このお豆腐美味しい・・・・・・!」
「あぁ、だから梓にも食べて欲しかった」
「ありがとう!今日ここに連れて来てもらえてほんとに嬉しい!」
 梓のちいさな手が、兵助の手を取る。その、柔らかい感触にどきっとする。
「連れて来てもらわなきゃこんなところ絶対来なかったよ」
「そうだろうな」
 ほんのすこし熱を帯びた瞳が、じっと兵助を見つめる。
「久々知くんすごいね。お豆腐大好きなんだね」
「すごくはないと思うけど」
「ううん。お水とか季節とか、こだわりがあるのってすごいよ」
「こだわりくらい・・・梓にだってあるだろう?」
「ううん。あのね」
 不意に、梓の眼に真剣さが宿る。
 きれいなまなざしだった。
 これを、彼女はだれかに注いだことがあるのだろうか。
 なければいい
 俺だけだったらいい
 彼女の手に、ぎゅっと力が入るのがわかった。このまま、握り返してしまいたい。
 しかし、彼女はそんなことを求めてはいなかった。
「その探求心に惚れました!」
「・・・え?」
「師匠と呼ばせてください!」
 ・・・・・・帰ったら、なんと報告しようか。
 八左ヱ門はそれでもよかったって言うかな
 勘右衛門はなんでって言うかな
 ・・・まぁ、正直に言おう
 ・・・弟子が出来たよ


「美味しい・・・・・・じゃなかった、惜しい・・・・・・っ!」
「惜しいのか?というか、そんなに笑うと外に聞こえるぞ」
 勘右衛門が卓に突っ伏して震えている。堪え切れないらしく、くくくと笑いを洩らして。
 お客さん、大丈夫ですか?と心配する店主を八左ヱ門がしーっと必死に黙らせた。店主はつくづく怪しげにふたりを見ているが、兵助と梓に存在を気取られなければそれでよかった。
 兵助たちの隙を見て、店内に入るのは難しくなかった。ふたりが店の裏手に回っている間にこっそりと行動すればよかったのだから。むしろ問題なのは店主で、勘右衛門と八左ヱ門は彼を静かにさせるため、どうでもいい嘘を適当に重ねたりしていた。
 それまでしてありついた豆腐料理は美味だった。勘右衛門がおかわりやデザートも頼んだりして、いい加減兵助と梓が他の客の存在に気付くのではないかとひやひやする。
「おい勘右衛門。まだ食い終わんないのかよ」
「ごめんごめん。すみませんご店主、豆腐そうめんをひとつ!」
 まだ食うのか、と尾行がバレることを恐れずに大声で叫べたら、少しはすっきりしたのだが。
 代わりに、いつまでもにやついている彼の額を小突くしかない八左ヱ門だった。





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