その他書架
□これからのこと
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泊まっていきなよ、とダイゴが通された客間は、リオンの部屋のすぐ隣だった。隣といっても吊り橋を隔てた隣である。
窓は開いていて、部屋の下からセナがポケモンたちに夕飯を与える声がよく聞こえる。
西日は入らないので、夕方とはいえ部屋は暗い。寝台に横になり、ベッドサイドのランプを点けてマルチナビを操作しているが、特に重要なニュースはなかった。リーグ関係者からの着信や、父の秘書からのメールなんかもない。
マルチナビをサイドテーブルに置き、眼を瞑る。
午前中の騒ぎからすると、驚くほど静かだ。
まるであの戦いやアトラの進化が嘘のよう。
セイバー団の凶行なんて夢のように、昔の出来事の気さえする。
隣の部屋も静かだった。リオンは、そろそろ起きてもいい頃ではないだろうか。
などと、考えた瞬間。
「わぁっ!?」
隣の部屋から、悲鳴が聞こえたのだ。
ロゼリアとハクリューの声も聞こえた。二匹とも怒っているような声で、主人の身に異変を表している。
「リオン!?」
慌てて外に飛び出す。
吊り橋を隔てた先に、リオンが立っていた。その周りをハクリューが飛んでいて、足元ではロゼリアが憤りながら跳ねている。
そして、リオンの頭の上には。
「ポロッポー」
きょとんとした顔のポッポが止まっている。
「・・・・・・どうしたんだい、そのポッポ」
思ったより事態が軽いと見たダイゴは拍子抜けして訊ねる。
「窓から、入ってきまして・・・・・・」
「ポロー」
こわごわと、蒼い眼を上に向けるリオン。頭を動かせばポッポを驚かすとの配慮だろう。
気遣われているポッポは、無関心らしく嘴で羽繕いをしている。
「ロッゼ! ローゼリーア!」
フィオレは憤然と高みのポッポに抗議している。大好きな主人を取られたような気になっているのかもしれない。
マーレも面白くないらしく、なにか呟くと遠慮もなくポッポを咥えた。そして勢いよく投げ出す。
ポッポは何故か、嬉々として飛んで行った。
「なんだって?」
「『あっちでご飯みたいだから、食べに行けば』と」
ポッポの行く先を見れば、家のポケモンに食事を与えるセナがいた。
「おー、ロロ! どこ行ってたのさ」
「ポロッポー!」
そんな遣り取りが聞こえてくる。
ダイゴはセナたちから眼を離した。
「大変だったね」
苦笑いしながらリオンに向き直ると、彼女の服装にハッとした。
リオンは飾りのないワンピースを着ていたのだ。たぶんセナのお下がりだろう。
真っ白な裾がためいていた。そこから伸びる脚の先には、スニーカーではなくミュールを穿いている。
初めて、リオンの少女らしい姿を眼にした。
黄昏の光を受け、蒼い瞳は暗い色に変じる。吸い込まれそうな深い蒼だ。
細い白の髪は冷たくなってきた風に吹かれ、不規則になびいている。
辺りの梢がさざめくのと共に、ダイゴの胸が怪しく高鳴った。
ずいぶんと不快な鼓動だった。
・・・・・・驚いてるだけだろう? リオンがこんな格好するなんて、思いもしなかったんだから
自身に言い聞かせながら、手を伸ばす。
リオンが見つめる指先に、白い髪が柔らかく絡まった。梳くように何度も手を動かすと、鼓動は鎮まっていく。
「ダイゴさん・・・・・・?」
おっかなびっくりしながら、ちいさな声が呼ぶと、彼は落ち着いて、笑顔を見せた。
「髪が乱れてるよ。そんなんじゃ可愛い格好も台無しだ」
「すみません・・・・・・」
「こういうときは、謝るんじゃないだろう?」
悪戯でもするように、口の端を上げると、少女は少し黙ってダイゴを見上げた。
困ったような表情に、赤みが差して見えるのは、夕陽による錯覚だろうか。
「ありがとうございます」
そう応えたリオンは、微笑んでいた。
初めて見る彼女の笑顔。
それは、治まっていた鼓動を呼び醒ます。
鎮める術は思い付かない。
鼓動に従って動くわけには、いかない。
仕方なく。
そう、仕方なく、ダイゴは宙に漂うマーレに、リオンから手を移した。
ダイゴが選んだ方法は、鼓動を無視することだった。
「りゅ?」
「さっきはすごいバトルをしてたけど、もうすっかり元気みたいだね」
「リュー」
「『お腹が減ってるからそんなに元気じゃないよ』と」
リオンの翻訳に、くすりと笑みをこぼす。
その後マーレは不満そうに、なんで笑うの、と呟いたが、リオンはそれには触れなかった。フィオレもお腹空いたー、との訴えには、黙って頭を撫でる。
「そうか。話したいことはたくさんあるんだが、まずはセナを手伝って夕飯の支度をしようか」
リビングの場所を知らないリオンをリードするように、ダイゴは手を差し出した。
その手を、リオンは自然な仕草で取る。
「その後に、これからの話をしよう」
不快な鼓動は、静かに治まっていた。