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□休戦のはじまり
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陽の落ちた草原で、ツルイの象牙色のジャケットがぼんやりと遠くの街灯を反射している。その背中は小さく、頼りない。かつてリオンを誘拐しようとしたのと、本当に同一人物なのかと疑いたくなるほどだ。
その姿を一心に見つめているのはリオン。その腕に抱かれているロゼリアが、不安そうに見上げている。
「ダイゴさん、カゲツさん。ツルイに医師の診察を受けさせるべきかと思うんですが」
特別対策課の職員が、マルチナビをポケットから取り出しながら提案した。誰が見てもツルイの様子は異常であり、ふたりは賛成した。
サイユウシティに警察病院はない。だが、ポケモンリーグの捜査協力を受け入れる病院がある。職員がコールしたのはそちらだった。
「あのー、落ち着いてください?」
未だに震えているツルイを、調査課の職員がなだめすかしている。どうやらツルイの震えは、ドラゴンタイプ恐怖症によるものから、自身の記憶が混濁していることの恐怖に変わっているらしい。
リオンが記憶喪失と知ったとき、彼女はどんな反応だったのだろう、とダイゴは思った。
病室で初めて会ったとき、リオンは冷静だった。
いや、冷静というよりも、感情が欠落し、動揺も混乱もなかったというのが適切かもしれない。その前に医師から説明もあったはずだ。だが、取り乱したなどの報告は受けなかった。リオンと接する際の注意も、特には受けていない。
ツルイは、自身がどこから来たかを憶えていないようだが、サザンドラへと成長したモノズのことは憶えている。
対してリオンは、ロゼリアやハクリューのことはおろか、自身の名前すら憶えていなかった。
この違いはなんだろう。
それよりも、セイバー団に絡んだ人物で、二人も記憶喪失などということがあるのだろうか。
リオンに出会う前まで、ダイゴに記憶喪失の知り合いはいなかったし、そういう話も聞いたことがなかった。だから、記憶喪失などそうそう起こるものではないと認識していたのに。
「ジョウト地方のご出身というのは、お間違いないですか?」
職員がツルイに訊ねる。
「ジョウト地方だと思います。少なくともホウエン地方ではないです」
「旅行かなんかで来たのか?」
今度はカゲツが尋ねた。ツルイはしばらく考え込んだ後、わかりません、と恐々否定する。
そのとき、エンジン音が近付いてきた。
全員の意識がそちらに向かう。注目を集め、暗い草原にライトを光らせながら登場したのは、白いバイクだった。青緑の髪をなびかせ、颯爽と制服姿の女性が下りてくる。
警察官──ジュンサーだった。全員が戸惑う。特に驚いていたのはカゲツだったろう。
「なんで警察が?」
「通報がありました。こちらに、ヒワマキシティでの傷害事件の容疑者がいると」
カゲツの疑問に、冷たく答えるジュンサー。
通報?
容疑者?
ダイゴは内心で首を傾げた。
ヒワマキシティでの傷害事件・・・・・・ツルイがリオンに、ポケモンで攻撃させた件だろうか。
セイバー団はホウエン地方全土で犯罪を犯しているが、個人名が明らかになっている者はほとんどいない。ヒワマキシティの件にしても、ツルイの名と顔が知られるような大事には至っていない。
そもそも、その件に関して、リオンはもちろん、ダイゴも被害届を提出していない。
何故、警察が把握しているのだろう。
夜気の混ざる空気が、余計に冷えるようだった。ジュンサーは迷いなく、ツルイの元へ歩み進む。青緑の髪が、夜風に揺れる。
「ツルイさん。スエツミ・リオンへのポケモン使用による傷害容疑。それと」
ジュンサーは一度言葉を切った。眼を瞑り、それからすっと見開く。覚悟を決めるときのある種の諦念に、その表情は似ていた。
「スエツミ・サリカ殺害の容疑で、暑までご同行願います」