短篇書架

□秋の終わりに
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 葛、もうすぐで収穫出来るね、と彼女はとてもはりきっていた。
 その葛を、伊作はひとりで収穫した。


 未だ秋の始めだというのに、医務室では暖を取るために火鉢に火を入れていた。それは患者たる梓に近づけて置いてあった。
「ごめんなさい」
 覇気のない梓の声が、薬缶から薬湯を湯呑みに移している伊作に投げかけられる。その声に弱々しい浅い息が混ざっていた。それが熱によるものだというのは、誰が見ても明らかである。
「謝ってもらうことはなにもないよ」
 薬湯の容量を確かめながら、伊作は努めて穏やかな声音と笑顔で応じる。言葉だけでは、いかにも怒っているように捉えられてしまいかねなかったから。
「ほら、これ飲めるかい?」
 湯呑みを衝立の陰に横たわる梓に見せる。彼女は湯呑みを見るなり、嫌そうに表情を歪めた。もともといい顔はしていなかったが。
「薬ならさっき飲んだ・・・・・・」
「薬じゃないよ、葛湯」
「葛湯・・・・・・?」
 考えるように、梓はぼうっと伊作と湯呑みを見比べる。
 ややあって、彼女は一瞬、瞳に申し訳なさそうな色を浮かべた。熱で潤む双眸が、ゆらゆらと伊作を見上げる。
「薬草園の葛・・・・・・?」
 だとしたら、収穫を手伝えなくて申し訳ない----そういう気持ちでいるのがよくわかった。
「違うよ。買っておいた葛粉」
「・・・・・・あぁ」
 乾いた唇が、よかったと動いた気がした。
 梓はもぞもぞと上半身を起こした。先程与えた薬の効果か、動きがだいぶ緩慢である。
「はい、熱いから冷まして飲んでね」
「はぁい」
 湯呑みを渡すとき、手と手が触れた。普段はひんやりとした梓の手が、今に限って炎のように熱い。
 ふうふうと冷ましながら湯呑みに口付ける。薄い喉の皮膜がきちんと上下するのを、これほどまでに安堵しながら見たことがあったろうか。
 時間を掛けて、梓は葛湯を飲み下す。
「御馳走様でした」
 水分のおかげか、梓の声に多少の張りが戻った。
「さ、ゆっくりおやすみ」
「はぁい」
 四半刻もしないうちに、梓はすうすうと寝息を立てる。
 その呼吸が深い眠りの証拠であることを確かめて、伊作は籠の中の葛を取り出した。これから選り分けるのだ。
 人に迷惑をかけることを嫌がる彼女に、実はもう収穫したことを伝えるのはやめた。保健委員でもない梓が収穫に参加しなかったからといって、誰が迷惑することもないのだが、彼女は人の役に立てなかったとなるとひどく落ち込むのだった。
 それがわかっているから、伊作はなにも言わない。
 葛の根を丁寧に選り分けながら、今は願っている。
 元気になったら保健委員と葛の収穫を待ち望んでいる、梓の回復を。
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