短篇書架

□目から鱗
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「あのさ、今度の休み、お豆腐屋さんに行こうと思ってるんだけど、一緒に行かないか?」
「お豆腐屋さん?」
「ほら、この前、俺のおすすめの豆腐、食べてみたいって・・・・・・」
 兵助がそう言うと、梓はきらきらと眼を輝かせた。
「行きたい。行きたいです!」
 内心、兵助はほっとした。彼女がそんな口約束をすっかり忘れ、そんなこと言ったっけ?とでも言われたら。もしくは、あんなこと真に受けるなんて馬鹿みたいと嗤われでもしたら、立ち直れないところだった。
 よかった、と呟くと、梓は誘ってくれて嬉しいよ、と言う。
 誘いを受けてくれてよかった、ではないのに。
「じゃあ、動きやすい恰好で来てもらえる?」
「動きやすい恰好?うん、わかった」
 約束を取り付けると、梓は笑顔を浮かべた。誰にでも振り撒く、人好きのするものだった。
「次の休みが楽しみだよ」
 俺もだよ、とは、口に出せなかった。


 梓と出掛ける約束をしたことは、特に言ってもいないのに、いつの間にか八左ヱ門や三郎に知れていた。
「すげぇ進展だな」
 兵助の部屋に、宿題の手助けを求めに来た八左ヱ門が驚いたように言った。初め、宿題は三郎に訊きに行ったそうだが、その話を聞くやいなや、都合のいい口実も持っていたのでこちらにやってきたというところだった。
「茶化しに来たのか?訊きに来たのか?」
「茶化すなんてそんな!宿題は訊きたいけど、梓とのこと、俺は応援してるんだぜ?だからそんなこと言わないでくれよ」
 ただてさえ話題に上げられて恥ずかしいのに、大真面目な顔して言われては、聞くなとも言いづらい。
「・・・宿題、どこがわからないんだ?」
 話題を反らそうとして、八左ヱ門の持つプリントを奪い取る。文机に載せたそれは、八左ヱ門は手を置いて無いものとした。
「で、どこの豆腐屋に行くって?」
 不思議を探求するときの子供のように、八左ヱ門の眼が真っ直ぐに兵助を見つめる。
「・・・そんなこと訊いて楽しいか?」
「いいじゃん。教えてくれよ」
「冷やかしに来るつもりじゃないだろうな」
「そんなことしないって!」
「お前、もしかして三郎じゃあ・・・?」
 ぎゅうと八左ヱ門の頬を抓ると、彼は本気で痛がった。眼に涙も滲んでいるし、質感も本物の肌だ。八左ヱ門が兵助の指先を剥がすので、おとなしく引いておく。
「言ってもいいけど、どこのお豆腐屋さんかなんてわからないと思うけど」
「うんうん」
「網野山の中腹にあるんだ」
 その時、障子がからりと開いて、勘右衛門が戻ってきた。
「あれ、八左ヱ門。いらっしゃーい」
 両手は資料と菓子で塞がっている。勘右衛門は足で障子を閉め、自分の文机に向かう。
 八左ヱ門が、今度は勘右衛門の文机に近寄っていった。宿題はいいのかと、兵助はプリントを取り上げるが八左ヱ門はこちらを見向きもしない。
「あのさ勘右衛門。ひとつ訊きたいんだけどな」
「うん?」
「網野山って?」
「アミノ酸?・・・・・・あぁ、網野山か。あの結構険しい山だね。忍術学園から距離もあるけど、日の出がきれいに見えるらしいよ」
「おほー・・・デートに向いてると思うか?」
「・・・ハイキングデートになるんじゃない?なに、誰か誘いたいの?」
「俺じゃないし、もう誘ってた」
「・・・誰のこと?」
 一拍の間があって、勘右衛門ははっとまん丸の眼を瞠った。八左ヱ門とふたりして、ゆっくりとこちらを見る。
「八左ヱ門、宿題----」
「兵助!今からでも遅くない!場所を変えるんだ!」
「え?じゃあ勘右衛門が窓側に来る?」
「今居る場所じゃなくて、梓との行き先だ!」
「そうそう!網野山は女の子にはきついって!」
「登山に行くんじゃないぞ。網野山の中腹にあるお豆腐屋さんだ」
「どのみち山登るなら一緒だろう!」
「ていうか、そのデートっていつ?」
「次の休みだ」
「次の休みって・・・明日じゃないか!」
「八左ヱ門、そんなことより宿題教わりに来たんじゃなかったのか」
「そんなことはどっちだ!」
 叫びすぎてくたびれている八左ヱ門に、勘右衛門がまぁまぁと菓子を与える。兵助は手にしていたプリントを、勘右衛門の文机に押し付けた。
 プリントに視線を落として、勘右衛門が怪訝そうに八左ヱ門を見た。
「・・・・・・八左ヱ門、こんな問題も解けないの?」
「え?いや、それは・・・・・・」
 どうやら、八左ヱ門の宿題は勘右衛門が見てくれるらしい。
 彼らを放っておくことにして、兵助は文机に向き直ると教科書に手を伸ばした。
 そんな兵助の背後で、
「勘右衛門、明日暇か?」
「暇だけど、山登りしたくなった」
 などというひそひそ話があったことは知らなかった。
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