御伽噺書架

□少女は悪魔の名当てを放棄した
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 翌日、媛が家の裏で薪割りをしていると、
「こんにちは」
 あの若者が、人の良さそうな笑みを浮かべてやって来ました。
「・・・・・・あ。誰かと思った」
「ひどいなぁ」
 と言いながら、大して気分を害していない様子の若者は、昨日やその前と違って、黒いローブを着ていませんでした。その辺の若い男性が着るような、至って普通の亜麻の平服を着ていたのです。
 媛は手斧を薪に少し打ち込み、若者の方を見ました。
 明るいお陽様の下で見ると、彼の顔形が整っているのがよくわかります。首の後ろで束ねた黒髪は長く、ふわふわ柔らかく跳ねています。
「えっと、あのね・・・・・・困ったことになって・・・・・・」
「うん、知ってる」
 若者は、
「王との婚約おめでとう」
 そう言って冷たく微笑みました。
 それは美しいはずなのに、背筋からぞわっと寒気が駆け抜けます。手斧の柄を握る手に、ぎゅっと力が入りました。
「そりゃあ、何処の誰とも知れない男と一緒になるより、王さまの妾になる方がずっといいに決まってるもんね」
 心地いい響きの低音が、するりと耳に入ってくると、得体の知れない恐怖に駆られました。きっと、狼に眼を付けられた兎が憶える恐怖と近い感覚だったでしょう。
 兎が狼に抵抗するように、媛は首を横に振りました。
「断ろうとは、思ったんだけど・・・・・・」
「無理しなくていいよ。王の仰せに従うのは国民の務めじゃないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんなさい」
 若者の笑顔がいたたまれなくて俯くと、薪に食い込んだままの斧が震えています。まだまだ割らなくてはならない薪はたくさんあるので、早く片付けなくてはなりません。
「ごめんで済むなら契約は要らない」
 王さまからいただいた金貨の詰まった袋を代わりにあげても構わないと思っていました。でも、それと怒られるのは別の話。若者の冷たい声を、覚悟しながら聞き入れます。
「対価はきっちりいただくつもりだから」
「・・・・・・つまり、王が迎えにこようが、関係ない、と?」
「そう。・・・でも嫌なのはわかってる」
 ・・・・・・あれ? 嫌って言ったっけ?
 媛はこっそり首を傾げます。
「そこでどうだろう。僕の名前を当てられたら、この契約を無しにするっていうのは」
「名前?」
 そういえば、若者の名前を知らないことに気が付きました。向こうはこちらの名前を知ってるみたいですが(家の住所も父のことも知っていたみたいですが)、そこまで気が及ばなかったのです。
「そう。収穫祭までに当てられたら、君は晴れて王さまと結婚だ」
「収穫祭まで・・・あと三日じゃない」
「どう? やるの、やらないの?」
 見ず知らずの相手の名を当てるなんて、途方もない挑戦です。
 ですが、やるしかないのです。父に楽をさせるためにも。
「・・・・・・やる」

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