その他書架

□兆し
1ページ/8ページ

 陽が沈みきった頃だった。
 カナズミシティのオフィス街に、明かりが灯っている。夜が更けてもなかなか消えることのない明かり。
 その上空に、黒い影がふたつ。
 エアームドに乗るダイゴと、フライゴンに乗るリオンである。
 空には雲が出ていた。暗い夜、眼下のオフィス街は眩しい程に輝いて見えた。
 夜景と呼ばれる類の明かりを、ダイゴはあまり好んでいなかった。
 眺めていると、子どもの頃を思い出す。
 父親が帰ってこなくて、ひとりで窓の外を見上げていた幼少期。
 あのときの気持ちを、家を出た頃から、はっきりと思い出せなくなっている。
 あの明かりのひとつに、父さんがいる───そう感じさせたのは、果たして淋しさだったのだろうか。
 そんな思いを抱えながら過ごしてきた実家が、見えてきた。
 ほら、あそこだよ、と指を差して後方のリオンを振り返る。彼女は、指さした方を眼を凝らして捜していた。暗いからよく見えないかもしれない。
 視線を戻すと、一台の車が実家の前で停まる。
 父親・・・ムクゲが帰宅するところだった。
 運転手付きの車から降りて、会話を交わしている。その内容は全く聞こえない。
「・・・・・・・・・・・・」
 エアームドには、その側に降りるよう命じた。
 和やかに話していた父親と運転手が、驚いてエアームドとフライゴンを見る。
 そしてその背中に乗っていたのが誰かわかると、なおのこと驚くのだ。
 ダイゴが口を開こうとすると、それより先にリオンが進み出た。
 そして、頭を下げる。
「ツワブキ社長。謝らなければならないことがあります」
「リオンくんか。どうした、かしこまって?」
「ダイゴさんに、怪我をさせてしまいました」
「!?」
 ムクゲと運転手が、息を飲んだのが聞こえた。
「リオン───」
「どういうことだ」
 鋭い声に、リオンは頭を下げたまま、動じることなく答える。
「わたしのせいです」
「どういうことだと訊いているんだ」
 父親の声は怒気を孕んでいるように聞こえた。
「本当のことを答えなさい」
 上司の怒りに動揺して、運転手がおろおろしている。口出ししても解決にならないことがわかっていて、気の毒そうにリオンを見ていた。
「わたしのせいです」
 だが、リオンはがんとして真相には触れない。
 リオンの意外な行動に、ダイゴは釈明を試みる。
「リオンは───」
 ムクゲは、まっすぐにダイゴを見つめた。
 その顔は、怒ってはいなかった。
 黙っていろと脅かしているわけではない。詰問するつもりもなさそうだった。
 しかしダイゴの言葉を奪うには十分だった。
 父親の眼に、息子として閉口した。
 ムクゲはリオンに向き直る。
「リオンくん。わしには、君のような少年が、ダイゴに怪我を負わせられるとは思えないのだよ」
 その声はまだ怒っている。
 不穏な事態を曖昧にされて、怒っている。
「君は誰かを庇っているのか? 例えば君のポケモンがダイゴに怪我を負わせたのを、自分の責任だと言っているのか? それとも眼を離した隙に、ダイゴが自分で怪我をしたのか?」
「いいえ。庇ってなどおりません。わたしのせいです」
「・・・・・・・・・・・・」
 らちが明かないと思ったムクゲが、もう一度ダイゴを見る。
「なにがあったんだ。だいたい、どう見てもぴんぴんしているが、どこを怪我したんだ」
「えぇ。ご覧の通りぴんぴんしています。エアームドにも乗れましたし、リオンが気に病むことはないんですよ」
 ましてや父さんが心配することではありません。そう言いながら、リオンの肩を抱いて起こす。
 夜風を切って、その衣服はすっかり冷たくなっていた。
「そうか? それなら・・・・・・。
 それはともかく、なんでずぶ濡れなんだ?」
「・・・・・・そういう父さんこそ」
 街灯で彼の高級なスーツが濡れて光ってみえた。
 たぶんマリルにやられたのだろうと見当は付いた。何時間、遊んでいたのやら。
「あぁそれと、今夜はここに泊めてください」
 ここは僕の家なんだけど、という言葉は、思い付きもしなかった。
「それは構わんが」
「社長、早くお召し替えなさった方がよろしいのでは」
 平静を取り戻した運転手が進言する。ムクゲはそれに従って、まず運転手を労ってから帰した。
 玄関までの道を、三人と二羽で歩く。
「そういえばダイゴ。今までどこに行ってたんだ? お前を捜してる社員がいたんだが」
「それは申し訳ありません。明日、彼には会えますか?」
「あぁ。普通に出勤すると思うぞ」
「では明日、きちんと挨拶いたしますので」
 どうせセナにもリラを返さねばならないのだ、どの道デボンに出社するに違いなかった。
 玄関を開ける。
 家政婦のカヤノが出迎えた。
「おかえりなさいませ、ツワブキさん・・・・・・あら」
 カヤノはダイゴとリオンを見て眼をまん丸に見開く。
 カヤノは、デボン社員の妻だった。ダイゴが八つの頃からこの家で働いていて、家政の管理やポケモンの世話など、すべて任せきりになっている。気のいいおばさん、というのがダイゴの印象だった。
「あらあらまぁ、ダイゴさん」
「こんばんは。ご無沙汰しております」
「まぁ・・・・・・そちらの方は?」
「僕の付き人のリオンくんです」
 あくまで、性別を明らかにはしないつもりでいた。
「こんばんは・・・突然の訪問、失礼いたします」
 ダイゴに肩を抱かれたまま、リオンがぺこりと頭を下げる。
「あらあら・・・どうなさったんですか、みなさんずぶ濡れで」
 いやぁ、マリルにやられてな、と笑い飛ばすのはムクゲ。ダイゴとリオンはエアームドとフライゴンをボールに戻す。
「カヤノさん、急で悪いが、今夜はここに泊まります」
「あら。じゃあ先にお風呂に入ってもらえますか? その間にお夕飯の準備しちゃいますから」
「わかりました。それと、リオンの服を用意していただきたいんですが」
「ずいぶんお小さいけどどうしましょ・・・あ! はいはい! わかりました!」
「それと、フライゴンにご飯をお願いします」
「わかりました〜!」
 カヤノは何故だか張り切って、奥へ引っ込んでいった。
「風呂か」
 背広を脱ぎながらムクゲは呟き、
「三人で入るか!」
 いい笑顔でそう提案した。
「は・・・・・・?」
「!?」
 驚いているのはリオンである。
「男同士、裸の付き合いといこうじゃないか!」
 うんうん、とひとり頷きながら、リオンをダイゴからひったくって風呂場へと向かう。
「? ! !?」
 お構いなしのムクゲに対し、リオンは真っ白い頬を赤くしたり青くさせながら、抵抗もできずに引き擦られていく。
「ま、待って!」
 呆気に取られている場合ではない。
 ムクゲはリオンを男と信じきっているのだ。だからってこの場で真実を告白したりはしないが、彼女を剥かせるわけには尚、いかない。
 すぐにリオンを奪い返した。
「リオンはその・・・一緒に入らなくていいのでは?」
「みんな濡れ鼠なんだ、順番待ちするよりは、さっさと温まった方がいいだろう?」
 ダイゴには、上手い言い訳が思い付かなかった。だから、鋒をリオンに向けた。
「リオン! ポケモンをお風呂に入れるって言ってたよね? それなら二階のバスルームを使うといいよ!」
「そうさせていただきます」
 察しのいい付き人はこくこくと頷き、場所を教えると走って行った。
「・・・・・・で、お前はどうする」
 父はじとりと眼を据えた。
「僕は・・・・・・」
 その視線に耐えかねて、頷く。
 断れば、彼はきっと落ち込むのだろう・・・・・・。
「わかりました、ご一緒いたします」
「そうか」
 はは、とムクゲは笑った。
「ちょうど、ふたりで話したいこともあったしな」
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ