その他書架

□守るもの
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 夜間救急センターは、サイユウシティ総合病院内に併設されている。
 現場からは五分と掛からない位置にあり、しばらく歩くと、そのシルエットが見えてきた。白亜の建物が、ぼんやりと街灯に浮かび上がっている。病室の窓がいくつも、四角く光っていた。
「あの、重くないでしょうか・・・・・・?」
 ダイゴの腕の中で、リオンが落ち着かない様子で訊ねる。
「気にしすぎだよリオン。これでも鍛えてるんだから」
「肩は・・・・・・?」
「もうなんともないよ」
 ダイゴに抱えられているリオンの胸には、ちいさなロゼリアがしがみついていた。ひとりと一匹合わせても、ココドラより軽いのだ。ダイゴにとって、大した負担ではなかった。
「それより君はどうなの、ツルイとなにがあった?」
 問い掛けると、リオンはぽつぽつと話し始めた。
 遊歩道でツルイに襲撃されたこと。ハクリューに人を呼んで来るよう頼んだこと。セイバー団の目的は、悲しみと破壊からの救済だとツルイが語ったこと。その直後、カゲツが駆け付けたこと。
「その後、ダイゴさんがいらっしゃいました。あとはご承知の通りです・・・・・・」
「それで全部?」
 納得がいかないダイゴだった。
 既に取り払ったが、リオンの下半身、スラックスに拳大の氷がいくつもひっ付いていた。ポケモンの攻撃技をまともに受けたのは想像に難くない。それなのに説明は『襲撃された』のひと言で、どれだけ端折るつもりなのだろう。
 時間を惜しむ場面でもない。それとも信用されていないのだろうか。
 そこまで考えて、別の疑問が頭をもたげる。
 自分はリオンをどこまで信用しているだろう。
 仕事に連れ回したり、家事を任せたり、ポケモンを預けたりもした。
 慣れないなりに、懸命に立ち働く姿を好ましくも思う。
 その姿をずっと見ていたいなどという感情は、信用ではない。
 願望に近いだろう。リオンを誰よりも信用したい。信頼し、傍に置きたいのだ。
 それなのにきっと、秘密を打ち明けるなんて、できないのだ。
 この秘密はきっと、リオンを追い詰めてしまうから。
「・・・・・・あっ、あの」
 思い出したように、リオンは付け足した。
「ココドラは、潮風が苦手みたいです」
「・・・・・・潮風?」
「身体がキシキシする・・・・・・と、訴えていました」
 リオンは真面目な顔で言い募った。有り難い情報だが、訊きたかったのはそんなことではない。
「そう。ありがとう。後でお風呂に入れようかな」
「お風呂は嫌いみたいです」
「やっぱりそうか」
 以前、ココドラが全身泥だらけになった際、風呂場で洗ったことがある。そのとき大暴れしていたので、水はかなり苦手のようだ。
 ──ダイゴは気付いていないが、リオンが通訳するポケモンの言葉を、丸っと信じるくらいには、彼女を信用している。
 総合病院の敷地に入ると、玄関から誰かが出るのが見える。
 女性と、子供の親子連れだ。その後ろから続いたのは、街灯と非常灯を淡く反射する白衣──医者である。患者の見送りといったところか。
 親子がダイゴたちとすれ違いに帰っていくと、医者がこちらに気付いたようだ。
「どうされました?」
 穏やかな女性の声。近付いていくと、髪が長いのがはっきりわかる。
「ローゼ」
 ロゼリアがひと声、低く鳴いた。
「・・・・・・フィオレ?」
 ロゼリアは、しっかりとリオンの眼を見て言った。
「ロッゼロゼリーアッ!」
 叫びに近い声だった。敵愾心にも似た気迫が感じられた。
 もちろん、ダイゴに言葉の意味はわからない。
 だが、それを受けたリオンの顔色が、さっと蒼褪める。
「どうしたの?」
 玄関先の医師が、おろおろと駆け寄った。ロゼリアはまだなにか言い続けている。リオンはダイゴの腕の中で身を捩って、素早くロゼリアをボールに戻した。
「リオン?」
「なんでも、ないです」
 リオンは一瞬だけ、ダイゴの顔を見上げて言った。
「あら、そうは見えなかったですけど」
「あの、先生の姿に、びっくりしたみたいです・・・・・・」
「えっ、私?」
「ロゼリアはあまり夜眼が利かないポケモンなのです。この暗さで人の姿を誤認してしまったようです。夜中に、トレーナーを敵だと勘違いすることもあるみたいで・・・・・・すみません」
 確か、流星の滝でも、リオンは似たようなことを言っていた。ロゼリアは周りが見えていないから、戦わせられないと。
「構わないけど、そうなの。確かに草タイプって、夜になると活動が鈍くなるポケモンが多いかもしれませんね。夜眼が利かないのかぁ、そういう理由なんですね。・・・・・・こちらへどうぞ?」
 おっとりと呟いて、医師は病院内に導く。
「えーっと、救急センターにご用が?」
「はい、彼女が脚を怪我してしまいまして」
「そうなんですね。車椅子使います?」
「すみません、ありがとうございます」
「あっ、歩けます!」
 リオンが無謀な主張をする。
「駄目よ」
 医師はピシャリと却下しながら、手近の車椅子を広げた。ダイゴはそっとリオンを座らせる。
「今は患者さんがいないので、すぐに診察できますよ」
 診療時間を過ぎた病院内は、人の気配がしないせいか、不気味に感じられた。医師の声と、ぱたぱたとロビーを通る足音が妙に軽快だ。
 夜間救急受付の看板があるカウンターまで案内され、諸々の手続きを済ませると、すぐに診察室に通される。
 窓にはブラインドが下りている。電灯がぼんやりと、明かりを診察室に投げかけていた。診察椅子に座るリオンの顔色が、いつにも増して蒼白く見える。
 ダイゴは改めて医師を見る。年齢は三十手前くらいだろうか。長い髪を背中に流し、胸元には『カグラ』のネームプレートがついている。
 見憶えのある女性だった。
「では──スエツミ・リオンさん。脚はどのように痛みますか?」
 診察の結果、リオンの両足は全体に及ぶ軽い凍傷と、右足首の軽い捻挫ということだった。
 腰から下を凍らされた時に凍傷を負い、氷の中で足掻いたために足首も負傷したのでは、とリオンは説明する。
 ダイゴは下半身を凍らされたなどと、初めて聞いた。改めて、ツルイの行いを激しく嫌悪する。
「ずいぶん過激なことをする男がいたもんですね」
 電気毛布で、凍傷の箇所を脚の感覚が戻るまで温めていく。初夏という季節柄が幸いして、治療はそれで済むらしかった。
「あの、ポケモンバトンでの事故みたいなものですから」
「事故? 私もポケモン持ってるけど、そんな、人に怪我させたことは一度もないです」
「・・・・・・激しくなければ、そういうものではありませんか?」
 リオンがちらとダイゴを仰ぐ。
「そうだと思います。正当防衛でもない限りは」
「そうですよね。でなきゃ、職業柄ポケモンバトルが多い人なんて、しょっちゅう怪我しちゃいますもんね」
 カグラ医者はタブレットになにやら入力を終えると、にっこりとリオンを見つめた。リオンはまだ寒そうに、電気毛布の上から太腿をさすっている。足首にはぐるぐるに包帯が巻かれている。
「すみませんカグラ先生。おうかがいしたいのですが、キンセツ総合病院でお会いしましたよね?」
 彼女がリオンに話しかけようとしていたが、先にダイゴが訊ねた。
「え? あぁ、もしかして、ツワブキ・ダイゴさんですか?」
 またお会いできるとは思いませんでした、とカグラは微笑む。
 以前、キンセツ総合病院に入院したリオンの、担当医が彼女だった。
 ダイゴが直接会ったのはリオンの退院日だ。記憶喪失などの症状の説明を、彼女から受けていた。
 フルネームは、カグラ・アマネと言ったか。
「その節はお世話になりました」
「いいえ、当然のことをしたまでです」
「どうしてこちらに?」
「アルバイトなんです。普段はキンセツ総合病院で勤務医をやってますが、月に何度か、こうしてアルバイトを」
 そうだったんですか、と相槌を打つ。
 カグラはリオンに向き直り、小首を傾げてその顔を覗き込む。
「ソラちゃんお久しぶりね」
 リオンがひかえめに頷く。
「お久しぶりです、アマネ先生・・・・・・お元気でしたか?」
「この通り、元気よ」
「ソラ・・・・・・?」
 ダイゴはつぶやいた。それは思いの外声が大きかったようで、リオンがびくりと振り向いた。暗い海のような瞳が、はっと見開かれる。
 自分が知らないリオンの話をされているようで、不快感が立った。
「ほら、彼女、記憶喪失で、自分の名前もわからなかったじゃないですか。それで、瞳の色が空のようだったから、ソラちゃんって仮に呼んでたんです」
 カグラはクスクスと笑いながら説明した。
 空色というよりは、深い水の色ではないか、とダイゴは内心で疑問をこぼす。リオンの瞳は湖のようでも、海のようでもある。時によって様々な変化を見せ、魅了する瞳。ブルーサファイアのような色、という形容が、ダイゴの一番のお気に入りだった。
「でも今は自分の名前がわかったのよね?」
「は、はい。スエツミ・リオンと、申します」
 問診票にも書いた名前を丁寧に名乗る。
「他にはなにか思い出した?」
「・・・・・・いいえ」
「そう・・・・・・じゃあ、なにかあればキンセツ総合病院に来て。こっちだといつ会えるかわからないから」
「はい・・・・・・」
 カグラは満足そうに頷いてから、次にダイゴの方を見た。
「本人だとわからない変化もあると思います。端で見てて、なにかお気付きの際にはご連絡ください」
「ありがとうございます。なにかあれば必ず連れて行きます」
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