短篇書架
□病める者在り
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ある城の兵力、食糧の状況を調査してほしいという依頼が、忍術学園にやってきた。依頼主は、その城に戦を仕掛けようとする城だろうが、詮索はしない。依頼料さえもらえば、大抵の仕事を請け負うのも忍術学園の一面だった。
大概、依頼は忍務や実習という形で六年生に課される。
今回もそのはずだったのだが、学園長の突然の思い付きで、その依頼は五年生の補習課題となった。
補習を受けるのは雷蔵だった。
雷蔵は策を練ったが、なかなかいい案が出せずにいた。
期限は五日以内ということだったが、まずそれまでに策を組めるかどうかだ。
食堂に入ってもまだ悩む。当然のようにメニューも悩み、疲れたところで明るい声が掛かった。
「なにを考え込んでいるんだ?」
「あ、八左ヱ門・・・・・・補習のことでちょっと」
「・・・ちょっと?」
八左ヱ門は少し首を傾げながら食堂のおばちゃんに注文をつける。食堂に入ってすぐだというのに。
結局、すぐできるという八左ヱ門と同じ定食を選んで、ふたりで食べることにした。
「補習な。兵力や食糧か・・・」
「八左ヱ門ならどれから調べる?」
「うーん」
八左ヱ門は軽く唸りながらも箸を休めない。漬け物を頬張り、飲み込んだかと思うと、俺なら、と口を開いた。
「ひとりじゃやらないな」
「え?」
「男が食糧なんて調べようがないだろう?」
「あ!」
食糧は、厨房に入らなければ調べようがない。厨房に入れるのは女中、つまり、女性でなければ厳しい。女装という手もあるが、生憎彼は変姿の術が巧くはなかった。
そうなると、助っ人を頼む必要がある。
「くの一に協力してもらえば・・・でも、誰に頼めば・・・その前に山本先生にも許可を取らないといけないし・・・」
何故か、三郎に頼むということが思いつかなかった。というか、彼ならひとりでも課題を熟せる気がした。
「梓でいいじゃないか」
「え、梓!?」
「くの一志望だし、潜入に向いてるって、確か」
それは知っている。
雷蔵が驚いたのは、八左ヱ門の口から彼女の名前が出てきたことである。
名前を聞くだけでも、心臓の鼓動が早くなる。
これがどういう現象か、知らないわけではない。
ただ、認めたくなかった。
三病のひとつを持つ自分が、更に三禁のひとつを犯すなど、自分を嫌いになりそうだったから。
梓はあっさりと了承した。真剣に頼んだ雷蔵が拍子抜けするほどあっさりと。
いいの、と訊ねると、断ったら誰のところに行くのよ、と逆に訊かれた。
「う、裏があったり・・・?」
「さぁ、どうかしら?」
「え、えっと・・・・・・」
「ごめん、冗談。でも、ただとはいかないわ。補習が終わったら、甘味処で奢ってよね」
「わかった、それくらいなら・・・・・・」
そんなやりとりがあって、雷蔵と梓の調査が始まった。
梓が女中に扮して、食糧の状況を探る。その間に雷蔵が武器庫や煙硝蔵の蓄えを探る。
侵入と潜入がばれなければ、難なく熟せる──はずだった。
最後に煙硝蔵の調査を終え、梓に合図をしようと城内に潜る。
梁を伝い、厨房の上に出た、その瞬間だった。
ドゴーン、と轟音が響いて城全体が揺れた。足元で女中たちの悲鳴が上がり、どよめきが広まった。
音の方向には煙硝蔵がある。それが、爆発したというのか。
ここの城は、戦において火器を駆使する。火器の命ともいえる火薬を納めた煙硝蔵が自然に爆発するなど、考えられなかった。
だとすると、攻撃。
その手段は?
煙硝蔵に火種を置いた人間がいるなら、まだ内部に潜んでいる可能性が高い。
外部からの攻撃も考えられる。煙硝蔵を狙って炸裂弾を落とせば、城壁も破壊出来る上、大ダメージを与えられるのだ。
女中たちが慌てふためいて逃げ出すのが見えた。
その中に、梓の姿が見えない。
もう逃げたのか、まだ城内か。
考えて、ふと、厨房に入りたての女中は、雑用から任されることに思い至った。
水汲みか、薪集めか。それに乗じて、外で食糧を調べているのではないか。
思うが早いか、雷蔵は、天井板を外して、無人の厨房に降り立った。
汁物の煮える匂いが鼻を掠めた。竈に火が入りっぱなしだった。
薪置き場にに煙が上がっているのが見えた。放火されたとわかるのに時間は掛からなかった。先程の爆音を聞いていたからだ。
ここの城の裏切り者がいるのね、と梓は思った。
遠くから甲高い悲鳴が聞こえる。女中たちが逃げているらしい。
もし、いるのが裏切り者ではなく内通者だったらどうだろう。
先程の爆撃は、内通者の手助けがあって、城外を包囲する敵軍の攻撃だったとしたら。
門から逃げるのは、危険ではないか。
梓は走り出した。
「待ってッ!そっちから出ちゃダメッ!!」
ドン、と鈍い大きな音がした。
続いてぐしゃっと地面がひしゃげ、砲弾が埋まるのが見えた。
梓のすぐそば。泥の飛沫が跳ねかかるほど近くで。
一瞬、足が止まる。
こちらは家臣がいるような場所ではない。
なんという無差別攻撃──城を崩壊させる気でいるのか。
梓は必死に女中頭の名前を叫び、悲鳴の方へ駆けた。
やっと追い付いて、逃げるならこっちから!と皆を引き連れる。
雷蔵はどうするのか。
忍なら、己が命を最優先して自分ひとりでも逃げおおせるべきではないのか。
そんなことが脳裏に過ぎったが、無視する。
たぶん、雷蔵が私の立場なら同じことをするから。皆を助けるから。
そう確信したから。
敵も、奇襲というなら最低限の兵しか使っていないだろう。あまり多いと、見張り台から発見されてばれてしまうから。
辺りの地形は頭に入っている。この辺りで、少数ならまず兵を割かないであろう箇所はいくつもあった。その中から、女の足でも逃げられる場所へと走る。
門は抑えられているだろうから、築地を越えるしかない。
しかし、自分ひとりならともかく、一般人の女中をどう越えさせるべきか。
鉤縄が懐にあるが、それを使えば忍だとばれる。
そうこうしてる間に、火薬の匂いが強くなってきた。
雷蔵じゃないんだから、迷ってる場合かっ!
そう自分を叱咤して、鉤縄を築地に引っ掛けた。女中たちを落ち着かせ、ひとりずつ外に逃がす。こんな非常事態だと、見知らぬ道具、それも忍具を見ても驚かないらしい。
「外に出たら山まで逃げて下さい!」
梓の忠告を、思ったよりもすんなりと彼女たちは受け入れる。
最後のひとりが外に出た。
雷蔵には後で狼煙をあげようと決め、縄に手を掛ける。
とたん、上の方で縄が断ち切れた。
驚いて見れば、漆喰に苦無が突き刺さっている。
誰だ。
振り返ると、家臣らしい中年の男がいた。頭に載った烏帽子から、足元の脚絆から、金の掛かっていそうないでたちだった。
こんなところに、家臣?
・・・違う。
頭の中に警鐘が鳴った。
「貴様、ここでなにをしている!?」
「・・・それはこっちの台詞だわ」
脚絆に不自然な膨らみがある。棒手裏剣を隠しているのだろう。そんな物騒な輩が家臣でたまるか。おそらく、内通者──それも、忍者である。
女中を逃がしているのを不審がられて付けられたのか。それともたまたま鉤縄を使っているのを見られ、忍者だとばれたのか。
相手が動くより先に苦無を投げつけた。かわしにくいところ目掛け、相手の体勢を大きく崩す。
この隙に逃げようとするも、小袖姿では築地に飛び上がることはできない。鉤縄がない以上、梓は別の場所から逃げなければなかった。
相手が苦無を構えて向かってくる。せっかく作った隙は、無意味に終わった。
体勢を崩す手はもう効かないだろう。接近戦に持ち込まれる前に退き、城壁伝いに逃げる。小袖姿とはいえ、走るのは得意だった。
城内の狭い場所に逃げ込めば、隠れて撒ける自信があった。もっとも、相手も忍者なのだから、隠れた場所の特定をされかねなかったが。
燃え盛る薪置き場が見えた。厨房は近い。
入り口に差し掛かってはっとした。
入り口が赤々と輝き、黒煙を吹き出している。
厨房を抜け出す前、女中たちが汁物を作っていたのを思い出した。彼女たちがそれを放置し逃げ出したのなら、火災にもなるだろう。だが、原因などどうでもいい。
「ちょこまかと逃げおって・・・・・・!!」
背後から、喘鳴とともに家臣姿の忍が追いついた。
疲れてるなら諦めてくれればいいのに。そう呆れながら振り向きざま、手裏剣を打つ。
鋭い金属が軽快に風を切る音がした。
梓の放った手裏剣は、正確に相手の首元に刺さった。
同時に、胸に軽い衝撃。
胸に突き立つそれを見下ろす。
相手の奇妙な体勢から、袖箭を放たれたのだと理解できた。
雷蔵が傷を負ったのと同じ、袖箭。
避けるか弾くか、悩む暇などないと、初めて知った。
悩む暇があるだけ、雷蔵はすごいんだ
呆れたりしてごめんね
出来れば直接謝りたかったんだけどなぁ
不思議と、痛みは感じない。痺れ薬を塗られていたのだろう。
刺さった箇所から、すぅと身体中が冷えていく。
力が抜け、梓はがくりと膝を着いた。
視界が暗くなっていく。
その中で、家臣姿の忍が嘲笑っていた。
だが、彼もそこまでだった。
首に埋まった手裏剣の根元から血がどくどくと流れ出ている。次第に肌が土気色と化し、白目を剥いて倒れていった。
その音が遠かった。
いや、全ての音が遠かった。
轟音に爆音、悲鳴や怒号。
全てが、遠くに聞こえる。
ドン、と砲弾を放たれる音がした。
それが城壁を打ち壊す音が、遥か頭上で聞こえた。
振り仰いだ空から、瓦礫が尖った方を下にして落ちてくる。
雷蔵、ごめんね
届かない謝罪を、心の中で繰り返した。
あんまり役に立てなくてごめんね。でも、こんな事態だし、先生も許してくれるよね?
きつい言い方ばかりしてごめんね。でもどんなことを言っても雷蔵は受け止めてくれちゃうから、甘えてたんだよ
手当ての練習させてもらったのにお礼できなくてごめんね
いっぱい悪戯仕掛けてごめんね
それから、それから・・・・・・
謝りたいことは、まだたくさんある。
言いたいことは、それ以上にある。
これが終わったら甘味処に行って、なにを頼むか迷う雷蔵をからかってやるつもりだったのに。