中篇

□第壱噺
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 数日前から行われていた五年生の野外演習は、嵐で散々な結果に終わった。
 風に弄ばれ、泥にまみれ、水に浸りながら、昨日はひたすら晴れ間を待った。夕方になって嵐は止んだが、川の増水や土砂崩れの恐れから、一晩待機して、忍術学園に向かった。
 やっとの思いで帰還したのは、午後一番のこと。
 疲れきった身体を引きずって風呂に浸かった後、五年生はそれぞれ、委員会の活動に向かっていた。
 特に、六年生が不在の生物委員会にとって、八左ヱ門の不在は死活問題である。
 生物委員会が管理する菜園も、嵐でめちゃくちゃになっているに違いない。
 俺がしっかりしないと。
 身体は疲れ切っていたが、責任感から、八左ヱ門の背筋はしゃんと伸びた。
 清潔な制服に着替え、演習に関する提出物をまとめた後、菜園に向かう。さっぱりとした、春の余韻を残した風が心地よい。
 校庭を抜け、池の横を通る。この道を抜けると菜園はすぐだ。
「きゃあぁあ!?」
 と、悲鳴が聞こえたのはその時だった。
 甲高い声。女子の悲鳴だ。
 放置するわけにもいかず、八左ヱ門はそちらに向かった。
 嫌な予感がしたのだ。
 そして、それは的中する。
 声の主はくの一教室の生徒だった。年は孫兵と同じくらいだろう。名前は知らなかったが、時折食堂で見かけたりする生徒だ。
 彼女は、マムシに怯えていた。
 そのマムシもよく見知ったマムシである。孫兵のペットのジュンコだ。
 また、脱走したのか⋯⋯?
 孫兵は今頃、ジュンコを探しているだろう。飼い主の心配をよそに、ジュンコはちろりと舌を出しながら、悠然と地面を這っていた。
 八左ヱ門は愕然としながらも、ジュンコに腰を抜かす少女の前に割って立った。
「大丈夫、こいつは俺が引き受けるよ」
「あ、あ、ありがと、ご、ござい、ます⋯⋯」
 尋常ではないくらい声が震えている。よほど蛇が嫌いなのだろう。
 毒蛇だから忌避されて当然なのだが、ここまで怖がられると、ジュンコが可愛そうな気がしてきた。
 赤色の毒蛇に声を掛け、腕に誘導する。後ろで少女が、ひっ、と驚嘆を上げた。
 振り向いて見ると、まだ地面にへばりついている。
「立てないのか?」
 ジュンコの巻きついていない方の手を差し出して、引っ張り起こした。
 少女は大きな眼に涙を溜めて八左ヱ門を見上げる。
 信じられないものを見るような視線を向けられたが、彼女は何度も頭を下げた。こちらが恐縮してしまうくらいだ。ただ、声は出てこないようだった。震えながら、脱兎のごとく走り去っていく。
 あれほど怯える生徒は初めてみた。
 くの一教室の生徒は、蛇や虫が苦手な者も多い。だが、大抵は走って逃げるくらいの気概があるものだ。
 あんなにびびって、くの一教室の生徒が務まるのだろうか。
 名前も知らない生徒の心配をしながら、菜園に向かう。

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