逆裁・大逆裁夢

□拍手置き場
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「お帰りなさい、海慈さん」

「うん、ただいま」



 出迎えたのは、明るい笑顔と柔らかな声。
部下であった頃に呼ばれていた肩書きでも、付き合って日の浅い時期にぎこちなく紡がれていた名字でもなく、ごく自然に呼ばれる己の名に、巌徒は笑顔で応える。



「お風呂にします?
それとも、ご飯?
どちらも用意出来てますけど」

「じゃあ、キミ」

「……せめてご飯とお風呂を済ませてからでお願いします」

「それはザンネン」



 選択肢に存在しなかった答えを告げ、然り気無く腰を抱き寄せれば、不埒な手を軽く摘ままれる。
けれど咎める声とは裏腹に摘まみ上げた指先に大した力を込めず、上着を脱げば当然のように手を伸ばして受け取る姿勢を見せる年若い妻の姿に笑みを深めながら、その袖口を盗み見た。

季節柄露出は少ないが、それでも袖から伺える手首から爪先にかけては綺麗なもので、傷の名残も殆ど伺えない。
それを確かめてから彼女の名前を呼べば、伴侶と云う名目で縛り、自分だけのものにした妻は従順に此方を見上げた。



「今度、泳ぎに行こうよ」



 傷を直す前に告げれば、困ったように笑っていた誘い。
けれど今は、溢れんばかりの幸福感に満ちた顔で、彼女は笑った。



「ええ、喜んで」



ー 幸福の在り処 ー



(彼女が掴んだ、安息と拠り所)

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