弱ペダ
□序章
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「いいか!巻ちゃん、アイスばかり食うなよ!!」
「分かってるっショ。お前は俺の母親か」
「母親ではないな!」
そう言って高笑いをする東堂の声はもう聞き飽きるほどに聞いている。
というか、学校の昼休みにまで電話をかけてくるなといっその事言ってやりたい。
しかし分かるのだ。東堂が楽しみすぎると言っていることが。
だから大した否定もせず、結局は電話に出てしまう。
まあ面倒で出ないときも多々あるが、アイツはそんなの気にしていないのかまた何回もかけてくる。
「俺も暇な訳じゃ無いっショ…」
「何か言ったか巻ちゃん!それより、妹さんは元気にしているかね?」
妹さん、東堂のその言葉に少しだけ反応する。
そう、あまり人には言い触らしたりしないが俺には一人妹がいる。
まあ俺と同じように髪が緑の為、ついでに言うと軽音部ボーカルを一時的にしている為、俺の妹だとは直ぐに学校中にバレた。
緑の髪といっても俺より色素は薄く、加えて女子特有の艶のある髪をしている。
それが良かったのか何なのか、いつも苛められたりする事は無かったようだ。
「ああ、いつも通り元気にやってる…筈だ」
「そうかそうか!音羽ちゃんにはいろいろ世話になったからな!元気そうで何よりだ!」
「世話になった…って、何を…」
「そこは気にするところでは無いぞ巻ちゃん!ではさらばだ!」
「あ、ちょ、おい東堂!!…切りやがった…」
いっつもそうだ、かけてくるのは突然で、都合が悪くなれば直ぐに切ってしまう。
「分かり易すぎっショ…」
はぁ、と重いため息を吐きながら携帯を閉じる。と同時に、背中に微かな重み。
その正体に気が付き、今度はため息ではなく微かな笑みを浮かべて名前を呼ぶ。
「音羽、」
『やっぱり、気が付いた?』
「当たり前っショ」
『流石、お兄ちゃん』
俺の背中にしがみついたまま笑う彼女はまさに俺の妹、巻島音羽だ。
容姿からして俺とは違い相当モテているようで日々大変そうだ。
「今日も部活か?」
『うん、でも部長が今日は少し練習したいって言ってたから』
「…から?」
『だから、二〜三曲練習してから来ようかと思って』
少しばかり嬉しそうに話をする彼女に話を合わせ、間に合うのかと聞き返す。
すると当たり前と言うように顔を輝かせながら、勿論!と元気よく言いやがった。
「マネージャー仕事とか、今泉の練習に付き合うんじゃなかったのか?」
『今泉は良いって言ってくれたんだけど…』
「っても…金城、いいのか?」
「良いんじゃないのか?いつも見に来てるのに、今日だけダメと言うことも無いだろう」
『お兄ちゃん、お願い!』
「仕方ない…っショ、」
途端に明るい表情になる妹に、自分はとことんこいつには甘いなと溜息を吐く。
というか金城も金城で何かとこいつには甘い。いつも部活に呼んで、部室で話してたりするし。
俺が知らない間に仲良くなってるしで、正直妹のコミュニケーション能力が羨ましい。
「そうだ、音羽」
『はい、なんでしょう』
「IH後の交流合同合宿、お前も来るか?」
『えっ』
「ちょ、金城?!何言って…」
突然金城が言った爆弾発言に飲み込もうとしていたアイスを吹き出しそうになる。
いやいやいや、合同合宿に連れて行く?意味が分からない。どうしてそうなった。
確かにマネージャーは必要だ、普通なら。しかし今回は選手と監督だけで行くのではなかったか。
吹き出しそうになったアイスを何とか飲み込んで慌てて金城と音羽を交互に見る。
『い、いいん、ですか…?』
「音羽?!」
「ああ、もちろんだ。今回はマネージャーも同行するようにと寒咲にも伝えてくれ」
「金城!!」
『分かりました!』
ああ駄目だ、ここまで来たら絶対何と言っても覆る事は無いだろう。
別に合宿に来てくれるのは全くもって構わないのだが、色々と心配なのだ。
普通の合宿ならまだしも合同だ。合同合宿なのだ、他校と一緒の。
「他の学校には迷惑かけるなよ?」
『他の、学校?』
え、何それ、とでも言いたげに見上げてくる音羽に最早呆れるしかない。
話を一体どこからどこまで聞いていたのか。いや、聞いていても意味を理解してないだけか。
「だから、今回のはただの合宿じゃなくて合同合宿っショ」
『合同…』
「ああ、巻島の言う通りだ。今回は合同、箱根学園・京都伏見と共に合宿をする」
『箱学と…京伏…、…はこ、がく…箱学?!』
金城の説明を聞いて箱根学園という言葉に思いっきり反応する妹に心底呆れる。
そういえば箱根学園には中学の頃からファンだと言う人がいるんだったか。
確かあのオールラウンダーの…
『あ、荒北さん!荒北さんも来ますか?!』
「ん?ああそうか、音羽は荒北のファンだったか」
大丈夫、ちゃんと来るさ。そう行って笑う金城に更にパァッと顔を輝かせる音羽はきっとそこらの男子が見れば瞬殺だろう。
こんなに無防備で正直無事にやっていけるのか心配でならないが、そこは同じクラスの今泉がいるから大丈夫な筈だ。多分。
『やった!…私、今泉に言ってくる!』
「いや、それはやめた方が…ああ、相変わらず足は速いな…」
「ショ…」
嬉々として走り去る音羽の背中を見ながらまた面倒な事になるな、と感じた。
これは完全に本人から聞いた事だから本当の事だが、今泉はどうやら俺の妹に惚れているらしい。
うん、良い事だ。変な奴に捕まるくらいなら知り合いの良い奴と一緒になってくれる方が兄の俺としては嬉しい。
しかしまあ音羽はいつもの通りあの調子で試合を見に来ても総北より箱学の荒北を見ている始末。
ただのファンだとしてもそれに悩まない今泉ではない。何か有った日には部活で色々と言っている。
負のオーラが悶々と漂う今泉の様子に流石の鳴子も心配していたし、今泉が可哀想に見えて仕方が無い。
「合同合宿でもどうせ…荒北って奴のところを見るんだろうな…」そう言う今泉が嫌でも目に浮かぶ。金城も同じ事を考えていたのか、嗚呼可哀想になぁ、と二人で呟いた。
「実際、音羽も今泉に気があるんじゃないのか?」
「俺はそう思ってるショ」
「今泉は悩み過ぎだな、もう少し引いて見れば良いものを」
「言ってやれよ…」
「それでは意味が無い」
ああそうだ金城はこういう奴だった、アドバイスの一つでも言ってやればいいものを。
先輩で今泉と一番仲がいいというか役割的に良く話すのは金城だろうに。
「っていうか金城絶対ワザとっショ…」
「荒北の事か?」
「…やっぱりワザとかヨ」
「中々試合も見に行けないんだろう、可哀想じゃないか」
一番可哀想なのは今泉だと言いたいのを我慢して、言葉を押し込むようにアイスを齧る。
そして相変わらずベンチに座ったまま水を飲んでいる金城を一瞥し、先程仕舞ったばかりの携帯を手に取った。
「…仕方ない、ショ…」
着信履歴の一番上の表示を、一度躊躇ってから勢いよく押した。
*
今泉視点
『今泉!!』
「…ああ、音羽か」
勢い良く教室に入って来て俺の名を呼ぶ彼女の姿を目に留める。
目にした表情は嬉しそうに頬を緩められていて、ああ眩しいなと心の隅で思った。
『今度の合同合宿、マネージャーも行って良いって!』
「合同合宿…?…って、ハァ!?お、お前…何言って、」
『荒北さんに会える!!』
「…っ、!」
合同合宿に行くとか馬鹿げた事をというか信じられない事を言っている音羽を凝視する。が、最後に出た言葉に内心穏やかではなくなる。
いつもこいつは荒北荒北って、…誰だよ!いや、知ってはいるけれど。
人の気持ちも知らないで他校の、それも自転車に乗ってる俺と同じポジションで年上の奴。
「そんなに好きか?その…」
『荒北さん、箱根学園三年の荒北靖友さん。うん…すっごく、好き!』
「…そうか」
いやだから誰かは知ってるんだ。っていうか何で俺はこうも自分で自分を刺す様な事をするんだ。
「というか音羽」
『何?今泉』
「…その今泉ってやめろよ」
『何で?』
訳が分からないと言うように少し顔を顰めて俺を見る音羽に正直な事なんて言える訳が無い。
何となく、むず痒いのだ。好きな奴がいるなら分かってくれるだろう、自分は名前で呼んでいるのに相手に上の名前で呼ばれる嫌な距離を
しかしこいつはそんな事気にしていないらしく、というか音羽は俺の事なんか眼中に無いから当然だが。
『今泉も上の名前で呼べば解決じゃない?』
機嫌の良さそうな顔をしながら、何の気もなくそう言いやがった。でも俺の内心はやはり曇ったままだ。
その嬉しそうな顔を俺じゃない誰かがさせて居るなんて考えるだけでも嫌なのに。
「………音羽」
『何、俊輔』
「ッ!!」
楽しそうに、それでいて穏やかに微笑まれる。
しかも今、完全に名前で呼ばれた。ヤバい、嬉しいけど、やっぱり無理だ。
「矛盾してんな…」
『え、何が?』
「何でもない。それより、今日は来るのか?」
『二〜三曲練習したら行くよ、お兄ちゃんの許可もちゃんと取ったし』
バンドも大変なんだよ、そう言って笑う音羽に自分の顔も自然と緩む。
やっぱりこいつといると楽でいい。寒咲と同じで気を使わなくて良いし、何より話していて楽しい。
「い、今泉君が笑ってる!」
「か、かっこいい〜〜!!」
「あんなに笑ってるの初めて見たかも〜!!」
嗚呼、こんな時に限ってうるさい声は聞こえるものだ。
確かあの女子達、俺と小野田の戦いにも来てなかったか。本当に邪魔な時ほどいるものだ。
『…流石、モテるね』
「う、うるせぇよ…っ」
『……?』
「ちょっと走ってくる」
『うんー、いってらっしゃーい』
笑ってる、確かにクラスの女子はそう言っていたか。いや、流石に俺だって笑ったりはするけれど、あんなにと言われるほど。
「ああ…くそっ」
駄目だこんなに暑苦しくてモヤモヤした気持ちは自転車でしか吹っ切れない。
まだ昼休み終了までの時間は十分ある。適当に走って帰って来よう。
今日は金曜日。今日の放課後から合宿が始まるのにこんな状態で大丈夫かと不安になるくらいだ。
『…あれは脈無し、だよなぁ…』
最後にボソリと音羽が何か呟いた事を、その言葉を、俺は知らない。
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