弱ペダ

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『お試しレース?』
「うん、今日同じポジション同士の人でやるんだって」

朝起きて選手の皆より一足先に朝食を食べていると、少し早く食べ終わった幹がそう言った。
お試しレースと言うのはきっと互いの現在ある実力を計るものなのだろう。何だか今から見るのが楽しみだ。

「音羽は勿論オールラウンダー6人の、見るんでしょ?」
『そのつもり、でも京伏かぁ…』
「楽しみだね!!!」

自分の鞄から何やら分厚いファイルを取り出して言う幹は何だか無駄に輝いてた。
きっと幹も楽しみなんだろうなって思うと、私も自然と心が弾むのが分かった。

『御堂筋さんって、今泉があのIHで戦ってたよね』
「うん、そうみたい」
『それって…大丈夫なの?』
「…んー、どうだろう」

私とは対照的にニコニコしながら話をする幹からは一ミリの不安も感じ取れない。
私だって別に不安なわけじゃないけど、もし勝つためにーとか言って無理とかしたらどうするつもりなのか。

「音羽は、心配?」

突然黙った私に何を思ったのか幹が顔を覗き込むようにして言って来た。
その言葉は私の心の核心を突いていて、ああ、私は心配なのかと納得した。それを認めたりはしないけど。

『…怪我して困るのは、今泉でしょ』
「素直じゃないなぁ、音羽は」

尚もニコニコとしている幹に呆れながら溜息を吐けば、何となくレースへの楽しみが倍になった気がした。

*

お試しレースが始まるまでに時間があるし、マネージャーの仕事も昨日の内に終わらせていたからやる事もない。
暇すぎてブラブラと合宿場の中を歩いていると、後ろからバタバタと騒がしい足音が聞こえて来た。

「音羽ちゃん!」
『東堂さ…ん?!』

何て恰好してるんですか、という言葉は振り向いた私の背中に隠れた東堂さんの行動によって飲み込まれた。
ちなみに東堂さんはレーシングパンツ一枚、上に何も来ていないから半裸だ。言ってしまえばパンツ一丁と言う事で。

「匿ってくれないか!」
『え、え?』
「東堂…音羽にセクハラ、いい度胸ショ」
『お、兄ちゃん…?』

一体どういう状況なんですか、全力で叫びたかった。そしてとにかく東堂さんに服を着て貰いたかった。
前に立っているお兄ちゃんと、背中に隠れている東堂さんに挟まれて冷汗が溢れ出てくる。
怖い、怖すぎる。これはどっちの味方をすればいいんだとか、余計な事で頭がごちゃごちゃになってる。どうしてこんな事に。

「落ち着け巻ちゃん!話せば分かる!」
「じゃあ音羽から離れろ」
「それは怖いから無理だ!!」
『私の方が怖いです…東堂さん…』

いっそ泣きたい、泣いてしまえば離れてくれるだろうか。いや慌てた末にまた背中に戻りそうだ。
誰か救世主はいませんかと脳内で言ったって都合良く漫画の様に助けてくれる人なんていないはずで、それでも都合よくなっているのがこの世界だ。全く訳が分からない。

「その位にしておけ、巻島」
「ヒュウ、尽八は大胆だな。ついには巻ちゃんを諦めて妹に走ったのか?」
「それは違うぞ新開!!」
「良いから離れろヨ、妹チャン放心してんじゃねぇか」
「何!?す、すまない、音羽ちゃん…!」

まさに救世主か、お兄ちゃんの方からは金城さんが呆れた様な顔で止めに入ってくれた。
そして東堂さんは箱学の人達によって私の背中から話された。ありがとう荒北さんと…確か、新開さん。

「大丈夫かァ?」
『だ、大丈夫です、でも…流石に半裸でくっつかれるのは勘弁して貰いたいです』
「…そうだネ…東堂?」
「だっだから、すまないと…!!」

若干涙目で必死に謝っている東堂さんからはいつもの余裕が見られなくてなんだか見ていて楽しい。
謝らせておいてなんだと言われそうだけれど仕方が無い。どちらにせよ東堂さんが悪いんだし。

「テメェの裸なんて誰も見たくないンだヨ」
「それは違う!が…すまない、」
『…大丈夫ですよ、実際マネージャーやってれば上半身くらい見慣れてますから』
「音羽ちゃん…っ!!」
「それもどうかと思うけどねェ…」

取り敢えず必死に謝っている東堂さんに服を着て貰って、ご立腹中のお兄ちゃんは金城さんに回収してもらった。
本当毎回毎回同じ様な事をやっていて飽きないな、なんて自分でも十分楽しんでるくせに思ってしまう。
ライバルなのに仲が良いのは考え物だとも思っていた時期もあったけれど、こんな風に見てしまうと楽しくて、嬉しくて仕方が無い。

『でも流石に、疲れるなぁ…』

レースを見る楽しさとか、今の出来事の疲れを少し吐き出してしまおうと外に向かう。
確か駐車場の近くに自動販売機があったはずだし、その辺の裏口から出れば近いだろう。
まだ始まって二日目だし、というか一日目は来たのが遅い時間だったからコースの確認位しかしてないけど、まだまだ時間はあるし思いっきり楽しもう。
この長い合同合宿の間毎日少しでも荒北さんを見れると思うと本当に幸福だ、幸福すぎて夢じゃないかと思う。

『あー…幸せ、』
「あれ、キミ総北のマネージャーやないの?」
『え、』

裏口から出た瞬間横から聞こえて来た声に思いっきり飛び上がった。しかも何故か威圧感のあるその声に、驚かない訳は無い。

『は、はい、そうです…けど、』
「怯えすぎやろ、キモッ」
『キ…ッ?!す、すみません…』

いやいやいや、初対面の人にキモイとか言うんですか京都の人は。何それ怖い、京都の人怖い。
座って居たその人がゆらりと立ち上がると、また威圧感が増した気がした。それもそのはず、その人は凄く背が高くてしかも妙に細い。
こんな人見た事ないし、その異様なオーラと怖いぐらい大きい目に凝視されて体が固まる。

「キモイなぁ、弱泉くんとこはこーんな奴ばっかりなん?」
『弱泉…?』
「御堂筋、何やって…」

かなり近くに立たれて動けないまま話を聞いていると、駐車場の端に自転車を置いていたもう一人の京伏の人がやって来た。
あ、この人は知ってる、確か三年の石垣光太郎さん。金城さんが会議というか話し合いをした後にあの人は良い人だと言っていたから本当に良い人なんだろう。
東堂さん的に言うのならビジュアル的にも凄く良い人そうなのが伝わってくる。うん、この人は良い人だ、絶対。

「石垣くぅん、ええトコに来はったなァ…この子が飲み物買うて来てくれるって」
『えっ』
「え?」
『あ、いえ…行きます、はい…』

一体いつ私がそんな事を言ったんだと反論しようとしたけど、文句あるんかと目線で威圧されてしまえば言い返す言葉もない。
そんな私に何を思ったのか、思ってくれたのか、石垣さんが苦笑いしながら口を開いた。

「俺も一緒に行くで」
『あ、ありがとうございます…!』
「じゃあ僕は走って来るわ」

前言撤回。ああ、京都の人みんな怖い訳じゃなかったごめんなさい、石垣さんごめんなさい。
とにかくひたすら心で謝りながら颯爽と走って行った御堂筋くんを見送って、石垣さんと共に自販機までの短い道をゆったり歩きながら話していく。

「なんや、巻島くんの妹やったんか!」
『はい、これでも一応マネージャーもやってます』
「一応て…、立派にマネージャーしてるの知ってるで」
『え、そ、そうなんですか…?』
「もっと自信持ち、何かあった時は我慢や、我慢!」
『我慢、ですか…』

石垣さんと話すのは楽しくて、普段のハチャメチャな人と話すのとは違って何だか落ち着けた。
話している間も良い人オーラが自然に出ていて、普段だって中々素直に笑えないのに、不思議と笑って話していた。
自販機について、飲み物を買って帰って来た御堂筋くんに渡した後も少し話していた。本当にいつまでも話していられそうだと、理由もなく思った。
それでも合同合宿、もうすぐレースの時間だからと総北の皆の所へ戻る時、石垣さんがハッとして言った。

「可愛いんやから、もっと笑ったらええと思うで、俺は」

あ、この人良い人な上に天然タラシの部類だな、一瞬でそう思った。

*

『幹!!』
「あっ、遅いよ音羽!もう始まっちゃうよ!」
『ごめんごめん…よし、ボトル渡してくる!』

オールラウンダーのレースが始まるギリギリ前にスタート地点へ来て6人全員分のボトルを持って選手の元へ駆ける。
正直12本って重い。これを2本も付けて走っていると言うのはよく考えたらすごい事なのかもしれない。

『金城先輩と福富さん、石垣さん、どうぞ』
「ああ」
「ありがとう、音羽」
「ありがとなぁ、音羽ちゃん」

『石垣さん、頑張ってください!応援してます!』
「おん!任しとき!」

キャプテンのきっちりとした、それでいて堂々としたその風格には毎回感心させられる。
さっさとボトルを取って三人同時にスタートしてしまったし、レースする気あるのかな?と思ったがそれはまあ三人で勝負したいんだろうな、と理解した。

『はい、今泉と荒北さんの分です』
「……ああ、」
「ありがとネェ、…福ちゃん先行っちまったなァ」
『あ、あの…荒北さん、』
「ン?」

空のボトルを受け取りながら、精一杯顔を見れる範囲で見て思い切って声をかけた。
レース前の選手に話しかけるなんて失礼かもしれないけど、それでもどうしても今回は言いたかった。

『私、ずっと…見てます!!』
「…ハッ…知ってるヨ!」

私の言葉にニヤリと笑った荒北さんはそれはそれはカッコよくて、嬉しさと気恥ずかしさで心が躍った。
暴れる心を何とか抑え、最後の一人にボトルを手渡す為に荒北さんから離れた。
それでもスタートしない二人に、こっちはこっちで三人でやるのかな、と何となく思った。

『はい、御堂筋くん』
「…キモイなぁ、何で僕の事くん付けて呼ぶん?」
『え、…呼び捨ての方が良い…んですか?』

心底楽しそうにキモイキモイと笑いながら言う御堂筋くんに怖いなぁ、と思いながら言葉を返すと更にキモイ、と言われた。どうしろと言うんだ。

「名前はそのまんまでええよ。でも敬語はやめぇ、キモイわ」
『あ、…うん、』
「ほな、行こか」
『頑張ってね、御堂筋くん』
「…キモッ」

もうこの人の相槌はキモイだと思うぐらいの勢いで話をしないと心が折れそうだ。
それでも敬語はやめろと言われたのは意外だった。何と言うか、むしろもっと低姿勢でこいとか言われるかと思ったのに。

『案外怖くも無いのかな…?』

なんて、スタートした三人の背を見送りながらそんな事を思ったのは一時の気の迷いだ、きっと。

*
東堂視点

「巻ちゃん!走ろうぜ巻ちゃん!!」
「うるさいっショ!」
「ワッハッハッ!!練習と言えど手は抜かんぞ!!」
「練習する気あんのかヨ!?」

呆れながらも結局は二人だけのレースに付き合ってくれる巻ちゃんは本当に優しいと思う。
いつも俺には酷い事ばかり言ってきているが、それも優しさの裏返しだと考えれば全く無問題だ。

「巻ちゃん!あそこまで勝負だ!!」
「ショォ!」

5km程先にある小さな山頂まで、一気に加速した。
巻ちゃんも何でもないと言う風にあの妙なダンシングで直ぐに追い付いてくる。
嗚呼、楽しい。真波が坂を上るのが好きだと満面の笑みで言うのにも頷ける。

「今日は俺の勝ちだな!巻ちゃん!!」
「いや、今のは完全に俺の方が早かったショ」
「何ぃ?!負け惜しみは良くないぞ!」

本当は今回の練習、勝負はどっちだっていい。
俺はこの合宿、勿論自分の力の向上も目的にあるがそれ以上に巻ちゃんと走ることが大前提だったのだから。
巻ちゃんと、二人だけでこの坂を、山を、蒸し暑い中登っていく。
これでどこが幸せじゃないと言えようか!!

「…楽しいな、巻ちゃん」
「…ああ、」

二人で決めた小さなゴールで立ち止まり、広がる海と、空を見上げる。
横をチラリと見れば、巻ちゃんも同じ様に空を見上げていて。
これが俺の人生最大の青春かもしれない。
巻ちゃんと話をして、巻ちゃんと何度も登りの勝負をして、幸せだ。
こうして隣に巻ちゃんがいて、これ以上の幸せは、青春は無いだろう。

「…?東堂、そろそろ行くぞ」
「はっ!巻ちゃん、俺を置いていく気か!?巻ちゃん!!」
「っとにうるさいっショ…」

ぼーっと呆けていた俺を置いてさっさと走り出してしまう巻ちゃんを慌てて追いかける。
緩やかな下りになっているこの坂では冷えた心地いい風邪が頬を掠める。

「巻ちゃん…1つ、聞いてもいいか」
「…?」

黙っているのは先を促してくれているのだろうか。
勝手にそう捉えて、並走しながら口を開いた。
今までの話と大分逸れてしまうが仕方がない。話せるのはきっと今しかないだろうから。

「音羽ちゃんに好きな人はいるのだろうか…という事なんだが、巻ちゃん」
「好きな人…?って東堂…お前まさか…」
「ああああ誤解だ巻ちゃん!!」

何を想像したのだろうか、いや、反応からして大体想像は付くが違うぞ。絶対に、断じて違う。
若干黒いオーラを発し始めた巻ちゃんを何とか宥めつつ、話を進める。

「いや…何というか、よく総北以外の選手を応援しているし…どういうものかと、だな…」
「そんな事俺も知らないショ、本人に聞け」
「うっ…やはり、そうか…」

軽く往なされてしまえばもう返す言葉もなく、他の話題に移動する。
実を言えばレース前に音羽ちゃんに会った後、暫くして京都伏見の石垣と話しているのが見えたから、どういう事かと思っただけなのだが。
だって、一体どこで知り合ったというのだ。しかもあんな人目につきにくい場所にいるものだから。

「(何か、そういう事なのかと…)」

しかしまあ、それは無駄な心配であり、無駄な疑問だったようだ。
恐らく音羽ちゃんの性格から考えて、そういう事はすぐに巻ちゃんに伝えるだろうから。

「つーかゴール着いたっショ」
「ぬおっ!?いつの間に…」

色々と考えていたせいで巻ちゃんとの走りの後半、ほとんど上の空だった。
慌ててゴール脇にロードを止めて走り終わった人が集まっているところへ行く。

「…何か静かで気持ち悪いショ」
「!!それはいつも通りでいろと言う事なのだな!!巻ちゃん!!」
「やっぱ静かで良いっショ」

きっと、俺が心配する事なんて何もない。何も、無いんだ。

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