弱ペダ

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「…どうしたんだ、突然」
『ちょっと、息が詰まってさ』
「ふーん…」

音羽に連れ出される事なんて滅多にないな、ぼんやりとそう思いながら前を歩く小さな背を見つめる。
マネージャーとしても申し分無い働きを普段している彼女は一体何を思って俺達を見ているのだろう。
御堂筋や荒北さんの事もそうだ。荒北さんのファンだと言っていたがそれは果たして本心なのか、本当は純粋に異性として荒北さんを見ているのではないか。
そんな下らない考えばかりが思い浮かんでは口に出す事も出来ずに喉元で破裂して消えていく。
今泉、いつもの口調と声音で呼ばれているはずなのに、何故か俺にはその声が震えているような気がして慌てて顔を覗き込む。

『…な、なに、突然』
「いや…泣いてるのかと、思っただけだ」

最初に俺が言ったのと同じような言葉を吐きながら、音羽は顔を覗き込む俺から少し距離をとった。
どうやら泣いていると思ったのは気のせいだったらしい。音羽は泣いているのかと思った、その俺の言葉に一瞬泣きそうな顔をした。
それは本当に一瞬で、俺が瞬きをしてもう一度顔を見たら、いつも通りの少し綻んだ顔をしていた。

『……悩んでるんだ、ちょっと』
「何か、あったのか」
『もう聞いてるでしょ、お兄ちゃんがイギリス行くの』
「!!」

恐れていた事を聞かされたような、そんな気分だった。確かに巻島さんのイギリス行きは知っていた。元々この合同合宿も巻島さんの為にという物だし。
しかし俺はどこかである可能性に気が付きながら、目を背けていた。今現在巻島さんと音羽は兄妹だし、一緒に住んでいる。当たり前だ。
だから必然的に、巻島さんがイギリスに行くなら音羽も行くかもしれないと。きっと総北も箱学も、気にしていると思う。

「…行くのか、悩んでるのか」
『うん、お兄ちゃんはせめて高校卒業までは日本にいろって言うけど』
「ああ…だろうな、」
『でもやっぱり、一緒に居たいし』
「……ああ、」

少しずつ話をする音羽に、どこか違和感を感じる。言葉の節々に何か違う感情が見え隠れしている気がするがそれは俺の気の所為か。
見逃さないように、何も溢す事の無い様にと注意深く目を向けながら話を聞いて行く。もう何も見失う訳には行かない。
でもその違和感は、音羽のハッキリとした言葉で明らかになった。

『総北の自転車競技部は、私がいなくても困らないだろうし…』
「おい、何言っ…」
『後足を引かれる想いなんて、無い』
「!!!馬鹿か…ッお前…!!」

いつの間にか顔を背けていた音羽の顔を此方に無理矢理向かせるように、腕を掴んで引っ張った。
突然の事に驚いたのかその眼は驚きに見開かれていて、少しの間の後「痛いよ」と、小さく声が聞こえゆっくりと腕を離した。

『無い、って…思ってた…んだけど、』
「…だけど?」
『合同合宿で皆と会ってたら、何か…』

その後の言葉は、聞かなくても分かってしまった。そしてその言葉は明らかに俺にとって好都合な意味合いの言葉で。
それでいいんだ、お前は俺達にとって必要だ、しっかりと目を見て音羽に伝えれば、今度は目尻に涙を溜めて音羽は笑った。

『そう言ってくれて良かった、ありがとう今泉』

お前が俺達の傍で笑っていてくれるなら何だって良いと、口には出さずに俺も微笑んだ。

*
翌日

「こいつは総北のマネージャーだ!」
「ファー?そんなん知らんわ、ボクゥが先に約束したんやで」
「うるっせェんだヨ!一年は黙ってろ、行こうぜ音羽ちゃん」
『えぇ?!あ、あの…荒北さ…』

自分たちのチームから大分離れた所で騒がしい攻防を繰り広げているのは総北の今泉くん、京伏の御堂筋くん、そして僕らが先輩の荒北さんだ。
見事に三人ともオールラウンダーだなぁとかどうでも良い事を考えていると、隣で僕と同じように深い溜息を吐いている赤髪が見えた。

「…キミは、」
「あ?…ああ、筋肉マツゲくんかい」
「確か…鳴子くん、だったね」
「覚えてくれとんのか!なんや嬉しいな!カッカッカッ!!」

小柄なくせに豪快に笑う姿は何だか見ていて微笑ましいが、今はそれどころじゃないと荒北さん達を見つめ直す。
すると、僕の視線を辿って鳴子くんもあの4人の攻防へ目を向けて言った。

「あー、マツゲくんもあれ見とるんやな」
「も…?」
「ワイもずっっっと見てんねん、スカシがアホ臭い事しよるから」

面倒臭そうに言っている割には「ガツーンと言ったれスカシー!!」と叫んだりしていて、案外ノリノリな様だ。
全く、東堂さんもそうだがどうして皆はこんな事に力を入れているだろうか。僕は逆に迷惑になっている気がしてならない。
今だって困っているようだし、彼女は本当に好きな人とくっつくべきではないのか、そう先輩に訴えても聞き入れて貰えなかったが。

「荒北さん!うちのマネージャー、勝手に持って行かないでもらえますか」
「ちょっと手伝うくらい良いじゃナァイ」
「音羽ちゃん、ボクとの約束破るん?良いご身分やなぁ…」
『そ、そう言われても…』

というかあの4人、総北箱学京伏の三校からガン見されていると言う事に気が付いているのだろうか。
特に巻島さんと東堂さん、あの二人は本当に大丈夫だろうか、心配のし過ぎで胃に穴でも開くんじゃないか。

「音羽!!早くこっちに来るっショ!」
「落ち着け巻島!今泉を信じろ!!」

「あああああ音羽ぢゃぁぁあああん!!!」
「と、東堂さん…」
「うっ、ぐ…っぐすっ」
「痛いですよー東堂さーん…、あはは…」

巻島さんは御堂筋くんに詰め寄られている音羽さんを見て飛び掛かろうとして田所さんに止められているし。
東堂さんはまたまた不安になっているのか、見ながら泣いて真波の腕をガッチリと掴んでいるし。
僕は先輩が心配です、本気で。っていうか真波、なんでそんなに嬉しそうな顔をしてるんだ。

「やめろ御堂筋!!」
「弱泉くぅん…音羽ちゃんの前ではナイト気取りぃ?キモッ、キッモイわぁ…今の顔、最高にキモイで」

「…っ、音羽は!!俺のなんだよ!!」

『えっ』
「は?」
「………ふーん」

その場の空気が一瞬にして凍ったのが僕にも、というかその場にいる全員が分かった事だろう。
隣りにいる鳴子くんも固まってしまっている。小さく「確かにガツンと言えとは言うたけど…それは無いわ…スカシ」と言っているのが聞こえた。
そして今泉くんも自分が言ったことに気が付いたのか、無意識かで引き寄せていた音羽さんを勢いで引き剥がした。

「わ、悪い…ッ、今のは…間違い、で…っ」
『……え、うん…』
「調子乗んなや、キモ泉ぃ…」
『え、わっ?!』
「行くぞ、音羽ちゃん」
『え、え、荒北さん?!』

結局三人の攻防は荒北さんの勝利で幕を閉じた。ああ、東堂さんと巻島さんの顔、顔が。
周りの視線なんて気にせず音羽さんの腕を引いてこちらに戻ってくる荒北さんは無駄に男前だった。

「音羽ちゃん、無事で良かった!よくやった荒北!」
「さっきまで泣いてたのに…」
「それは言うな真波!!」
「ったく偉そうによォ…東堂チャンはなァんもしないのかな〜?」
「い、痛い!!ならん、ならんよ荒北!!美形に何をする!!」
「うっぜ!!」
「うざくはないな!!!」

顔を合わせて早々喧嘩を始める荒北さんと東堂さんを呆れた目で見つめながら、隣でオロオロとする音羽さんに目を向ける。
そういえばいつの間にか鳴子くんは総北の所へ戻っている。「何やっとんねんアホスカシー!!」怒鳴る声が聞こえて来る。いつも彼は元気だ。

「大丈夫かい?」
『泉田さん…えっと…私、ここにいて良いんですか…?』
「勿論だよ!僕は大歓迎だしね、音羽ちゃん」
『真波!何か…久しぶり、だね』
「うん、忙しくてさー」
『主に山を登る事に、でしょ?』
「あれ、バレてる?」

何だ、こっちの二人はこんなにも仲が良かったのか、それなら音羽さんが気詰まりする事も無いだろう。良かった。
それにしても、此方も十分騒がしいが総北も随分賑やかだなと目を向けると、そこには全力で巻島さんに頭を下げている今泉くんがいた。

「今泉ィィィィイイイ!」
「す、すいません!巻島さん!」
「何してくれてるっショ!アホか!」
「すいません!」
「そうやでスカシ!ちょお、ガツンと言い過ぎや、アホか!」
「く…っ、今回ばかりは言い返せない…」
「スカシのアホ!」
「…くっ!」

普段は喧嘩ばかりの今泉くんと鳴子くんが喧嘩をしていない。その光景に、喜べばいいのか周りは複雑な顔をしている。
それでもこんなに賑やかで騒がしい光景、中々箱学にいる時には見られない事だ。僕もこんな騒ぎに慣れていないし、何だかその事をとても嬉しく感じた。

「泉田、どうかしたか?」
「新開さん!い、いえ…少し、楽しくて…」
「楽しい?」
「はい、何だかいつも以上に賑やかで、とても楽しいです」
「ヒュウ!良い事言うな、塔一郎!」
「え?!!?あ、はい!!!」

突然この人は名前で呼ぶから、心臓に悪い。でもそれはきっと新開さんもこの光景がやはり輝いて見えていると言う事だろうか。
彼らはもう高校三年でIHも終わっている。追い出しレースが終わった今、練習するのもおかしいけれどこれは最後の交流会だ。今のチームで居られる最後の時間。
きっと先輩たちもこの合同合宿の一週間という普段なら長くて今は短いこの時を、噛み締めているのだろう。
それは先輩だけじゃない。憧れであり目標の先輩達を失う後輩もそうだ。普段だったら素直に先輩に話しかけない人だって、この合同合宿では積極的に話しかけている。

「あ、荒北さん、流石ですね…」
「褒めてる顔じゃないヨォ、黒田ァ」
「え?!褒めてますよ!?」
「俺を褒めるとか偉いご身分だねェ…?」
「ど、どっちですか…!!」
「取り敢えず走りに行くかァ?」
「え」
「後で、いいカーブがあるんだヨ、あの裏の道に」
「あ、荒北さ…」
「別に嫌ならいいけどォ…」
「い、いえ!!是非!!是非行かせて下さい!!」
「情けねぇ顔してンじゃねェヨ!!」

嗚呼、あんなに嬉しそうなユキは久しぶりに見る。それだけ荒北さんに誘われて嬉しいのだろう。
それもそのはず、荒北さんは滅多に後輩と走りに行かないし、ましてや誘う事なんてもう奇跡に近いのだ。そんな人からの、更に憧れの先輩からの誘いを断る理由は無い。
この時期にそんな誘いを出すと言うのは、荒北さんも少なからず僕達との別れを惜しんでくれていると言う事だろうか。だとしたら凄く嬉しい。

「ねぇねぇ、実際音羽ちゃんって好きな人いないの?」
『えっ?!』
「ね、いないの?」
『どうしたの真波…突然、』
「んー何となく、気になっちゃって」
『そっか…でも、ごめん、今は分かんないや』
「へー、今は、かぁ…」

ほのぼのと話していた二人の会話を盗み聞くと、どうやら真波は何かに気が付いた様だった。その事が先輩達の暴走を止めてくれれば良いけど…。

「音羽さんも、可哀想だし…」

真波が助けてあげてくれ、そう願わずにはいられなかった。

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