兎さんと蜘蛛さんの甘い日常
□兎さんの応援
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(髪型…よし、服装…よし、お財布…よし、タオル…よし、飲み物…よし、檸檬の蜂蜜漬け…よし)
何度目か分からないチェックを終えて、靴に足を通す。
結局靴は動きやすいパンプスにして。
スカートは止めてズボンにした。
髪の毛も邪魔にならないように、天辺でひとつお団子を作り。
両手が開くようにリュックを背負って。
「行ってきます!」
「気をつけて行くのよ」
「はーい」
お母さんに見送られ、家を出る。
携帯を開いて巻島君に「今から行きます」というメールを送れば、後ろから名前を呼ばれた。
「茜!」
「あ、尽八君、おはよう。自主練お疲れ様」
尽八君は挨拶を返すと自転車から降りて、カラカラと自転車を押し始めた。
どうやら私に合わせてくれているみたい。
「こんな早くに何処か行くのか?」
「うん、峰ヶ山に行くの。巻島君のレースの応援に」
「な、何だとっ?巻ちゃんの応援だと?」
巻ちゃんはそんな事一言も言っていなかったぞ?
何故そんな大切な事を俺にはなさなかったのだ!
うんたらかんたらと、頭を抱えながら話す尽八君に苦笑い。
「あ、私、こっちだから」
丁度別れ道。
私が駅に行く道と尽八君がいつも自主練で通る道。
手を振って分かれようとしたら、いきなりその手を掴まれた。
「茜よ、いいか巻ちゃんは確かにいい人間だ。しかし巻ちゃんとて男。つまり狼。何かあってからでは遅いのだ。大切な操が奪われてしまったらうんたらかんたら…」
またも始まったマシンガントークに再び苦笑い。
さっきから巻島君を誉めているのか、貶しているのか、どっちなんだろうか。
「そ、それじゃ、私、行くね」
腕時計を見れば、乗りたいと思っていた電車があと10分もしないうちに着いてしまう時間。
まだ喋っている尽八君には申し訳ないけど、もう行かなくてはいけない。
心の中で謝りながらも、駅に向かった。
(ふう、何とか間に合った…)
何とか電車に間に合って一息。
走って乗り込んだためにずれ落ちてしまったリュックを軽くジャンプして戻す。
何だかんだレースを間近で応援するのは初めてで、ドキドキする。
そのドキドキのまま、峰ヶ山に着いた。
ゴールは山頂らしいけど、まずは各選手が集まるスタート付近に行けば。
「…あ!巻島君!」
玉虫色の彼を見つけた。
名前を呼べば巻島君も私に気付いてくれたようで、此方に来てくれた。
「よォ…」
「こんにちは、巻島君。今日は頑張って下さいね!」
両手でガッツポーズを作り言えば、巻島君はクハ、と笑って。
何かおかしな事をしてしまったのかと、首を傾げれば不意に頭を撫でられた。
「ありがとなァ。やる気、出たショ」
一度だけ、鼓動が跳ね上がった。
なんだかくすぐったい気分になる。
「じゃあ、私ゴールで待ってますね」
「…ゴールより、ラスト1qの所の方がいい。そこで、見てるっショ」
「はいっ!」
巻島君に手を振れば、彼も同じように手を振ってくれて。
先ほど言われた所まで向かう。
『ゴールまで残り1q』と書かれた看板を見つけ、そこを陣取る。
巻島君が言っていた通り、ここは一直線の道でとても見やすい。
それにあまり人もいない。
(ここならゆっくり見られそう)
レースのルールや選手達の事は分からないけど、近くにいた人に聞けば、優勝候補は巻島君らしい。
ピークスパイダーという異名を持っていて、尽八君と同じクライマー。
聞いたところで完全に理解した訳ではないけど、取り合えず凄いということは分かった。
しばらくして、辺りがざわつき始めた。
聞けば先頭の人が通るらしい。
「やっぱり一番は総北の巻島だろう」
「なんせ優勝候補だもんな」
誰しも巻島君が一番だと思っていた。
それは当然私も。
しかし一番最初に目の前を通過したのは巻島君ではなく、他の選手で。
辺りが驚きの声に包まれる中、少しして自転車を左右に揺らして走る玉虫色が目に入る。
「…っ」
遠くからでも分かる。
様子がおかしい。
苦しそうというより、何だか辛そうにも見えて。
「巻島君!頑張って!」
きっと巻島君は私が思っている以上に頑張っている。
分かっているけど、私はこんな言葉しか言えなくて。
そもそも聞こえているかすらも不確かなのに。
でも目の前を通った巻島君の目は、確かに私を捉えていた。
兎さんの応援
((…今、目があった?))
((クハッ、頑張ってるつーの))
(でも、今の俺には十分ショ)