兎さんと蜘蛛さんの甘い日常
□蜘蛛さんの激走
1ページ/1ページ
言い訳なんかしたくなかった。
でも調子が悪いのも事実で。
それでも負けたくなかった。
数日前から感じる右足の違和感。
レースに出るなと言われるのが嫌で医者には行ってないが、今日は100%の力は出せない事くらいは分かる。
それに苛立ち、チッとらしからぬ舌打ちをすれば、金城が声をかけてきた。
「どうした、巻島。少し顔色が悪いようだが…」
「そうかァ?いつもと同じっショ」
金城に言われるとは、余程ひどい顔をしているのだろうか。
クハッ、と自傷的な笑いをして、髪の毛を掻きあげる。
「巻島君!」
選手達で溢れるスタート地点の筈なのに、俺の名前を呼ぶ声がはっきり聞こえた。
振り向けば、まるで遠足に行くような格好をした新庄サンがいて。
自転車を押しながら近寄れば、ぱあと顔が明るくなった。
「よォ…」
「こんにちは、巻島君。今日は頑張って下さいね!」
小さなガッツポーズを両手で作り、目をキラキラさせる新庄サンに。
さっきまでの苛立ちはどこかに消え去った。
(…癒されるな、ホント)
たった一言で軽くなった心身に、単純だなと思えば笑いがこぼれた。
「ありがとなァ。やる気、出たショ」
俺よりはるかに低い所にある頭を撫でれば、ビクッと体を震わせたものの直ぐに顔を綻ばせた。
そしてゴールで待っていると言う新庄さんに、残り1qの場所の方がいいと言えば嬉々とした表情で返事をした。
スタート時間が近づき場所に向かえば金城に「何か良いことがあったのか?」と聞かれた。
「…、何にもないショ」
「そうか。お互いベストを尽くそう」
「ああ、」
とは言ったもの、調子が良かったのは前半だけで。
集団を抜け出し何とかトップで走っているが、それもすぐに後ろにつけられている奴に抜かれるだろう。
(クソ、)
いつも以上に出る汗、異様に早い疲れに舌打ちを1つ。
残りはあと2q。
ここからは登りが続く。
後ろから聞こえていた車輪の音がどんどん大きくなる。
一瞬消えたと思えば、いつの間にか抜かれていて。
離されまいとついて行くのがやっと。
『今日は頑張って下さいね』
レース中に新庄サンの言葉と、ふわり笑った顔なんか思い出すなんてどうかしている。
でも今の俺にとっては、それすらも糧に変わって。
(ここからだろォ…)
自分に鞭を打って、先程より大きく体を左右に振る。
「………ま、ん!」
残り1qの看板が見えたと同じ位に、聞こえた声に顔を上げれば目に入る彼女の姿。
(…何で、んな泣きそうな顔してるんショ)
「頑張って!」
身を乗り出して泣きそうな表情で叫ぶように声を発する新庄サンに。
(ありがとなァ)
そんな感情が出てきた。
レースが終わったら改めてお礼を言わなきゃいけないなと思ったら、どんどんと前の奴との距離が縮まって。
一番でゴールをした俺に、新庄サンは涙を溜ながらも、自分の事のように喜んでくれる。
そんな彼女を愛しいと思ってしまう、この感情は一体何なんだろうか。
蜘蛛さんの激走
(ま、巻島君!格好良かった、です!)
(…!)
(本当に、すごかった、です!巻島君、キラキラしてて、速くて、)
(分かったから…、それ以上言うなっショ)
((…恥ずかしい))