ストロボ長編1/金盞花
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「和樹?」
安堂と仁菜子ちゃんが走り去ったのをただ呆然と眺めていると、背後から声がかかった。どれくらいそうしていたかは分からない。ただ言えることは頭が真っ白になって、何も、なにも考えることが出来ないということ。
「あ・・・・蓮・・・・」
「どうしたの?」
あまり表情が変わらない蓮でもおれを心配してくれていることが良く分かった。無性に泣きたくなったが、なんとか笑顔に持ち込んで思い切り笑ってみせた。
「んや、なーんでもない!」
足元に落ちたカンを拾い、Tシャツで拭う。端はへこんでいるわ、土が付いてしまっているわで残念なことになったカンを眺め、小さく溜め息をついた。
「・・・・・・ほんと、なんでもない」
なんでもない、たいしたことない。これくらい平気。ただちょっとだけ傷付いただけ。
「・・・・・・そう」
何か言いたそうな蓮にもう一度笑いかけ、しゃがみ込んだ。
「ほらっ!早く作業進めようぜ!こんなチンタラしてたら終わるもんも終わらねぇじゃん!」
今だけは、おれの顔を見ないでよ蓮。上手く、笑えてる自信がないんだ。
――――・・・
「やばっやばいやばいやばい」
「和樹うるさい」
「なんで蓮だけそんなに涼しげな顔してんだよ!安堂だって辛そうな顔してんのに!」
朝のラッシュに調度ぶつかってしまい、人が入れるだけ入った電車に揺られていた。痛っ・・・!!痛い痛い痛い!!おっさんの硬い鞄がおれの筋肉と筋肉の間に・・・・・・っ!!
「和樹?」
「な、に・・・・・・いっ・・・・ん・・っ・・」
「なんで涙目になっちゃってんの?」
「なんでもな・・・・・・あ・・・っ・・・!!」
「ちょ、バカ!なんかエロい!」
「いっ・・・!!」
安堂がなんか言ってるけど、今はそんなんどうでもいい!!痛い!!痛いよガチで痛い!!グリグリ入ってくる!!もうヤダ・・・!!
本格的に泣きそうになってきた時に、痛みがフッと和らいだ。え?と思って顔を上げると、安堂がニッコリとしていた。
「あ、ありがとう」
「もう・・・・・・和樹ったら朝からエロい顔しないの!」
「してねぇよ!」
「痴漢されてんのかと思って、一瞬焦ったじゃん」
「バカ、おれ男だぞ?」
「世の中には色んな人がいるの!」
珍しく安堂が正論を述べたとき、また雪崩のように人が入ってくる。もう無理だって!次のに乗れよ!!
「あ、木下さん。おはよう」
「仁菜子チャンおはよー」
どうやら雪崩に仁菜子ちゃんも入っていたようだ。そしておれは「仁菜子ちゃんがいる」というたったそれだけの事実だけで、さっきまで安堂の優しさにいい気分になっていた気持ちが萎んでいくのが分かった。なんで、行くとこ行くとこ仁菜子ちゃんがいるんだよ。
「・・・・・・おれって最悪」
こんなのただの八つ当たり。分かってる。男の嫉妬ほど醜いものはないことだって分かってる。でも、どうしても、思っちゃうんだよクソ、
「わっ、」
電車が大きく揺れ、体が傾いた。やばっ、おっさんに激突する・・・!
「おっと、和樹大丈夫?」
ぐいっと引かれ、背中がじんわりと温かくなった。もしやと思って見上げると、安堂が抱き留めてくれていた。
「えっ、あっ・・・ごめん、あ、いや、ありがとう」
「ふはっ・・・和樹ってばどーよーしすぎー」
「珍しく安堂が優しいからなぁー」
「え?俺はいつでも優しいでしょ?」
「ははっ・・・・」
ヒヤリとする窓ガラスに頭を預け、身体を小さくした。ああ、もう。朝っぱらから心臓に悪い。
「あっ!蓮!お前だけ女の子守るとかズルイ!俺が仁菜子チャン守るから、お前は俺を守れ」
背中からスルリと温もりが離れていく。さっきまでの熱がみるみるうちに冷めていくのがわかる。なんで、なんで仁菜子ちゃんなんだよ。安堂、その腕の中はおれじゃダメなのか?仁菜子ちゃんを守る安堂を見ながらおれは唇を噛み締めた。
そのあと、気分が悪くなった安堂に付き添って電車を降りた。ついて来るという仁菜子ちゃんに「ついて来るな」と叫んだのは安堂だけじゃなかった。おれが叫んだその言葉に一番驚いたのは、意外なことに自分だった。目を丸くする仁菜子ちゃんと蓮に小さくゴメンと言ったおれの顔はどんなだったのか。安堂だけには、見せたくなかった。