短編
□Secret☆Work
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「おかえりなさいませ、ご主人さ――…」
そこで、漆黒の髪のメイド姿の少女は、ぷつりと言葉を詰まらせた。ついでに表情までもが、カチンと凍りついて、客であるご主人様を凝視している。
「ここでバイトしてるって、本当だったんだな」
「…な、な、なんでお前が、ここに!?」
「君の姉上に聞いた」
――あんの馬鹿姉っ!!
心の中で、いくら悪態をついたって最早後の祭り、一番知られちゃならない奴に見つかってしまった。
背筋を、ひんやりとした汗が静かに伝う。
二人は幼馴染みだ。それだけじゃなく、一応恋人でもある。
珍客は、そんな彼の内心など察する事もなく、メイド姿の頭の天辺から爪先までを、じっくり観察した。
この静けさが怖い。
「それにしても…」
ここは所謂メイド喫茶。幼馴染みが着ている制服のメイド服は、ちょっとフリル多めの、黒を基調としたものだ。はっきり言って、可愛らしい。
けれど、幼馴染みは――
「なんて格好してるんだ。だいたいお前、おと」
「はわわわっ」
慌てて幼馴染みは、珍客の口を両掌で塞いだ。
「し、失礼しましたご主人様。お、お口元に…よ、汚れが…」
顔を引きつらせつつ、メイドは苦しい言い訳に笑顔を乗せる。
珍客は、メイドの正体を明かしてしまいそうになったのだ。“男”であると。それを言われちゃ、お仕舞いだ。
勿論、オーナーは本来の性別を承知しているけれど、一応ここでは女の子なのだ。
幸い、まだバレたことはない。
口を塞がれた珍客は、なんとも言えない気の毒そうな視線を向けていた。
幼馴染みは、本来さらさらの黒髪でも、多少野暮ったい髪型に眼鏡という出で立ちなのだ。けれどメイドの今は、黒髪長髪ストレートのウィッグに、唇には淡いベージュピンクのグロスが煌めいている。
物凄く可愛いのだが――
珍客は、深い深い溜め息を吐(つ)いた。これは本来、自分のものであるのに、万人に愛想を振り撒くとは何事か。
嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる。
「ご、ご希望のメニューは…?」
問いながらも、メイドはびくびくしている。それは端から見ていてもわかる程で、人気上位メイドの挙動不審な様子を、店内中が固唾を飲んで見守っていた。
一応メニューに目を通した珍客の眉間に、皺が寄る。
「さあて、何をして貰おうかな」
呟いた珍客は、一般的には美形に分類される容姿で、店内ではかなり浮いている。
そんな珍客は、他のメイドが思わず見とれるくらいの笑顔を浮かべているけれど、幼馴染みにはわかる。
物凄く機嫌が悪い。
「この…じゃん拳に勝ったらキスとか」
「う」
「黒ひげに勝ったらキスとか」
「うう」
「あっち向いて――に勝ったらキスとか」
「ううう」
メニューを読み上げるたびに、珍客の背後にどす黒い何かが見える気がした。
「いったい、何処にするつもりなのかな」
「…く、くち以外の、ご希望のところ?」
えへ。と笑ってみたけれど、返されて笑顔は、凶悪だ。
「へええ…」
笑顔なのに、目が笑っていない。声も、乾いていて。
あまりの怖さに、今更意味もないだろう言い訳を、メイドは必死に口にしていた。
「だ、だ、大丈夫だよ。今まで一度も負けたこと無いから!」
言葉通り、賭けや勝負事には、神がかって強くて、今まで一度だって客にキスしたことはなかった。
「ふうん」
「……………」
「じゃあ」
珍客の身の上は御曹司というやつで、その財力に物を言わせてメニューを制覇、無敗のメイド相手に全勝し、メイド喫茶内に絶対不可侵な伝説を残した。
メイドは、その日の内に店を辞めてしまった。その後メイドがどうなったかは、誰も知らない。
[完]
二次から一次へ改稿、加筆
2014/04/23
《初出》
二次ジャンルサイトにて、作品ランキング投票後のお礼短文 2007/冬〜
小説部屋移動に伴い加筆修正
2008/04/02