〜真珠ひとしずく〜破天荒三人組と新選組の時空奇譚 壱

□16話 伊東一派入隊
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〜* 〜* 〜* 〜* 〜*

 新選組に異色の一派が入隊してきて、早くも数日が経った。江戸を周旋している平助は、まだ帰ってきていない。

 さて、さっそくだが、この数日間の屯所の様子を一言で表わそう。



 ―――超絶的なまでに空気が悪い。



「さぁ、この国を侵略し植民地化せんとする夷狄を討ち払い、現人神である天子様と神の子孫である我々の神国を守るため、共に学びましょう。

 この新選組は評判が悪いですけれど、今からでも遅くはありませんわ。

 これから学問を学べば、ここが単なる野蛮な壬生狼の巣ではないと、周囲の評価もきっと変わるでしょう。わたくしが手ほどきを致しますわ」



 伊東は参謀という役職に就いた。それは局長職に次ぐ立ち位置である。その彼は、どうやら早速、隊士達と交流し自分なりの活動を開始したようで。

 ここは剣術に優れた集団、けれどそれだけでは周囲の評価は悪いままで変わらない。
 だからこれからは剣術のみならず学問や教養を身につけることで更にレベルアップし、実践でも論でも優れた集団になることが大切

 ――隊士達を集めてなにやら講義している伊東の言い分は、こうらしい。



 そんな様子を、やっぱり今日も屋根上に登っている不琉木は、聞くともなしに聞いていた。

 正直言って、伊東もその動きも、そして新選組のことも、どうでも良いと言えば良い。自分達には関わりのないことと、最も割り切って傍観しているのは、他でもないこの不琉木だ。

 ただ、人間観察は生来の癖か無意識のうちによくやっているし、伊東がそれなりに個性的というのもあって、ある種の興味はある。

 ここ数日、伊東のすぐ目の前に姿を晒したことはない。それとなく陰から観察してきたが―――沖田ではないが、どうも肌が合わないというか馬が合わないというか。



「ふぅん…ご高説をのたまっているだけの頭はあるってか?」



 そう呟く不琉木。珍しく、胸中の感情をその顔に露わに不機嫌にしている。

 他者に頓着しない性質なのは、自他共に認めるところなのだが、どうも伊東に関しては例外なようで。それも、どちらかというと喜ばしくない方向で。

 というのも、なんだか、他人を見下しているような態度が非常に気に食わない。尤も、不琉木が直に接したわけではないが。



 鼻持ちならない、とでも言おうか。あれは、いわゆるインテリ系の人間にありがちなパターンと言える。

 言っている内容は、確かに尤もだ。だが、自分こそが優れていて他は劣っていると、まるでさも当たり前のようなあの態度や雰囲気。

 先ほどの伊東の言葉にしたって、仕方がないから優秀な自分が頭の悪い貴方達に教えてあげますよ…と暗に言っているようなものだ。

 さらに言えば、今の新選組は馬鹿で野蛮な人間の巣窟だと、そうも貶している。



 これは、不琉木の考え過ぎでも気のせいでもない。

 彼女自身、人を見る目は幹部達に負けず劣らずであるし、なによりその幹部達が日ごとにピリピリとした空気を強くさせている。過ごしにくいことこの上ない。

 特に山南が深刻だ。というか、山南自身がというより、彼に対する伊東の態度や視線。

 それはそれはもう、さり気ない言葉の端々に彼を侮辱する様な言葉が滲み出ているし、あの視線には第三者として見ていても気持ちが悪い。非常に勘に触るのだ。

 そして、そこに既に堪忍袋の緒が切れかかっているのが、山南自身ではなく鬼副長。もういつブチ切れてもおかしくない。というか、数日耐えているだけでも奇跡だ。それは、他の面々も同じで。



 ついでに言えば、ある意味で最も気の毒なのは千鶴。このイライラ感を、流石に仮にも参謀の伊東にぶつけるわけにもいかず、沖田のイジメっぷりが更に拍車がかかっている。とんだとばっちりだ。

 辛うじて救いなのは、そのターゲットたる千鶴が、なぜ沖田のイジメが増幅しているか、怯えて涙目になりながらもその理由を理解しているので、甘んじていつものように大人しくイジメを受けていることか。



「――うん?」



 ふと。視界に白い物が見えて不琉木は視線を動かした。はて、手拭が一枚、ヒラヒラと虚空に飛んでいる。

 その飴色の瞳を、一瞬、眼下の別の方向へ向けた不琉木は。そのままいつもの要領で軽く屋根を蹴ると、虚空の手拭をキャッチしてそのまま地面に身軽に降り立った。



「ほらよ」

「あ、ありがとうございます、不琉木さん!良かったぁ…」



 手拭を受け取ってペコリと頭を下げてきたのは、まさしく千鶴で。どうやら、洗濯物を干している最中に、風に煽られて一枚、飛ばされてしまったらしい。

 まだ山のように積まれている洗濯物。どれもこれも、殆どは幹部達の物でついでに言えば不琉木以下居候三人のものも含まれている。

 いつも和が一緒にやったりしているが、いないということは他の用事でもあるのだろう。

 思えば、こういうことはいつも千鶴に任せっきりだ。だからといって、この不琉木が大人しく明日から雑用にいそしむかといえば、違うのだが。



「あ、あの…?」

「気が向いたから、ちょっくら手伝ってやるよ。そういえば、和ちゃんは今どうしてるんだ」

「えぇっと、確か、先ほど斎藤さんが…」

「ああ、なるほどな」



 大方、剣術の指南だろう。もはや、千鶴が最後まで言わずともわかってしまう。

 そうほくそ笑みながら、山になっている洗濯物の一部を手に取った時だった。



(―――――!)

「え…?」



 突如、不琉木が鋭い視線を千鶴の背後へと投げた。

 一瞬、自分を睨んでいると思った千鶴だが、しかし、そうではないらしいと判ってそのまま後ろへ首を巡らせる。

 はたして、時を同じくして、あまり見覚えのない男が姿を現わした。



「貴様ら、名をなんという。出身はどこだ」

「あ、あの…?」



 なんの前触れもなく、そんな質問を二人にぶつけてきた男。戸惑う千鶴の前にさりげなく立って対峙した不琉木は、なんとなく、この男に覚えがあった。

 そう、この男は確か、伊東と共に入隊してきた内の一人だ。



「なんだ、その生意気な目は。さっさと答えろ、たかが小姓風情が」



 どこまでも傲慢不遜な言い草に態度。しかも、それを当たり前だと信じて疑わない類の匂いがする。

 突然の展開と男の態度にオロオロしている千鶴であるが、真っ向対峙しているこの不琉木、全く動じることもない。



「生意気?小姓風情?自分は名乗らずいきなり根掘り葉掘り聞いてくる方がよっぽど不躾だと、伊東参謀に教わらなかったんですか、篠原泰之進(しのはらたいのしん)殿?」

「なんだと…!?」



 らしからぬ丁寧語を遣ってはいるが、媚びたりへりくだったりはしない。

 そんな不琉木の態度が益々気に入らなかったのか、不機嫌さを露わに男は更に暴言を吐く。



「ふん、壬生狼の巣らしく、ここにはやはり、小姓風情もこの程度の者しかいないと見える。まったく、これでは先生の評判も落ちるというもの」

(蛙の子は蛙、か…なるほどな)



 男の挑発には乗らず、内心でそう呟く不琉木は、さてどう言ったものかと思考回路を回転させる。

 新選組あるいは幹部達を、不必要に庇い立てする義理はない。

 だが、ここで小姓と認識されている自分が下手な言動に出れば、この上なく悪くなっている空気がもっと悪くなること請け合い。それは本意ではない。

 不琉木がそう考えている間に、男の視線は後ろにいる千鶴に移った。



「しかも、剣もロクに振るえぬような軟弱な者を置いているなど、足手惑いなだけ。ここには、改善せねばならぬようなことが、いくつもあるようだな。それに――」



 尚も言い募ろうとした男は、しかし、目の前で突如として響いた笑い声に瞠目して口をつぐんだ。罵詈雑言を吐かれていた千鶴とて、思わず目を丸くする。



「なんだ、あんた、どっかの不逞浪士と全くおんなじじゃねぇか」



 これを笑わずしてどうすると、さも可笑しいとばかりに爆笑したのは他でもない不琉木だ。というか、彼女としては“さも”ではなく、本当に可笑しいのだが。

 まったく、こうもここまで典型だといっそ清々しい。

 より弱そうな者を標的にして、己が正しいことを己で確認するように罵倒し、優越に浸るのだ。この手の人種は。
 
 口端は上げたままに、その瞳に苛烈な光を宿して言い放つ。もう遠慮する気などなかった。



「言わせてもらうが、小姓をナメんじゃねぇぞ。

 誰のお陰でクソ忙しい幹部達が毎日毎日仕事に専念できると思ってやがる。俺は違うが、全部雑用を引きうけてるこの子のお陰だってことをわからねぇか、その頭は」



 庇うわけではなく、事実をそのまま直球でぶつける。 



「なんだと、この――」

「や、止めて下さい…っ!」



 千鶴が前に出た。

 庇われてばかりは申し訳ないと、懸命に自分を奮い立たせて真っすぐ男を見る。



「たしかに、わたしは満足に剣を振るえないですし、小さな雑用しか出来ないかもしれません。でも、皆さんを責めるのは止めて下さい、お願いします…!」

「立てつくのか、この小僧が…!!」

「……っ」



 千鶴の目が気に入らなかったらしい。男が手を伸ばす。それに千鶴が反射的に身を引こうとし、不琉木が払いのけようとした時だった。

 ――空を鋭く切る音がした。



「――君、なにやってるの」

「…!?」



 男は直ぐ目の前にある切っ先に、一瞬の間を置いて気付き瞠目した。しかしそれは、すぐに降ろされる。

 チン…と収める音と共に、更に言葉が重ねられた。



「確か、僕の一番組に配属された篠原って言ったっけ。僕らの小姓に、なんか用?ていうか、なんで幹部でもないのに、ここに立ち入ってるのかな」



 言外に、つべこべ言わず早く去れと言っている。口調は飄々としていながら、反論でもしようものなら何をされるかわからぬものが滲み出ていた。

 男は舌打ちすると、最後に不琉木と千鶴に一瞥を投げてから、そそくさと立ち去ってゆく。



「沖田、気付いてるか」

「まぁね、なんとなく」

「ったく、部下がああなんだから指導者も指導者ってとこか。面倒くせぇな…ここ数日間の視線は、やっぱあいつらだったか」

「ああ、それも気付いてたんだ?」

「俺を誰だと思ってやがる」



 どうも二人の中だけで完結している会話。千鶴はキョトンと、疑問符を一杯に撒き散らしている。



「大方、僕らの弱点とか穴とか見つけて、良いように持って行こうとでもしてるんでしょ」

「だろうな」

「ほーんと、厄介だなぁあの人」

「あ、あの、沖田さん」

「なに」



 首を傾げていた千鶴が、おずおずと沖田に話しかける。不琉木から視線を外した彼に、唐突に頭を下げた。



「…なに」

「あの、お忙しいのに、ありがとうございました」



 どうやら、今さっきの行動に対して言っているらしい。そう察した沖田は、けれど素っ気なく応じる。



「別に、君を庇ったわけじゃないよ。ここは隊士が立ち入っちゃいけない場所なのは事実だし、あのまま言わせておくわけにはいかなかったから。勘違い――」

「はい、わかっています。でも、結果的に沖田さんに助けられました。だから、お礼を言わせて下さい」

「……」



 勘違いしないで、と言いかけた沖田は、しかし、千鶴のその言葉と真っすぐ向けられた視線に口をつぐんだ。どうやら、その反応が予想外だったらしい。



「――変な子」

「え…?」



 ぼそりと呟いたその言葉は聞き取れず、顔を上げた千鶴はまたコテンと首を傾げ。

 傍観していた不琉木は、言葉にこそ出さなかったが、千鶴のこういう性格は悪くねぇな…と密かに思っていた。



 そんな中、突如、あちらから土方の「山崎、いるか!」という鋭い声が三人の耳をつんざく。思わず顔を見合わせ、自然と何を申し合わせるでもなく足を向けた。
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