〜真珠ひとしずく〜破天荒三人組と新選組の時空奇譚 壱
□16話 伊東一派入隊
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はたして、不琉木と千鶴が篠原という新入隊士と対峙している頃。時を同じくして、別の場所では――
「ふぅ…」
チン…と刀を鞘に収めた和(のどか)は、ひと息つきながら身体の感覚を確かめる。
それからまた、左腰の刀に左手を宛がい、間を置かず鯉口を切るなり右手にて抜刀、そのまま中段の構えで正眼に切っ先を据える。一振り、ふた振り…と基本の動作をして、再び流れるように鞘へと収める。
暇さえあれば、一日に幾度も繰り返している同じ稽古。あの蛤御門の変以来、己の真剣を持つようになってから、既にふた月ほどが過ぎようとしている。
あの頃は、まさか自分が本当に真剣を持つ頃になろうとは、月並みだが夢にも思わず。けれど、あの日、彼からこの真剣を受け取ったことにより、それまでの心構えが変わった。
分不相応ではないか…という気持ちは、今でもある。それでも、この時代でより良く生きることを考えれば、これは必然の流れだったと思う。
なにより、人一倍“剣”について深く考えている彼が自分に向けてくれた想いは嬉しく、それに自分もまた相応のことを返したいと思った。
偶然にも同じ日に、原田から槍を受け取った不琉木とは違って、残念ながら自分は天才肌の持ち主ではない。その自覚がある和は、ゆえにこそ毎日の地道な鍛錬を欠かさなかった。
木刀を取ってくるから待っていろと、そう言って先ほど立ち去った斎藤は、もう直ぐ来るだろう。それまで、ここでこの動作を繰り返しているつもりだった。
「おい、お前」
急に、背後から呼ばれた。ちょうど抜刀したところで、中途半端なタイミング。仕方がない、と正当な所作ではない近道で鞘へ収め、振り返る。
そうして、すぐにわかった。ここ数日間、何やら観察されているような監視されているような、そんな視線を感じていたが、その正体はこれだったのかと。
そんな内心の気持ちは表に出さず、和は声をかけてきた男二人と慎んで対峙する。
「はい、なにか」
おそらく伊東と共にやってきた者だろうと、そう見当をつけながら、背筋を伸ばす。
…二人揃ってジロジロと値踏みするような視線が、どうも落ち着かない。
「貴様、隊士ではないな。大方、小姓といったところだろうが…なぜ、そんなものを持って、そのようなことをしているのだ」
「?そんなもの、そのような…とは?」
「わからぬか。たかが小姓の貴様が、なぜ分不相応の太刀を持ち、仕事もせずに呑気に振るっているのかと聞いている」
「………」
分不相応――特にその言葉を気にしていた和は、顔に感情を出しそうになった。だが直ぐに、どうやら彼らの言っている「分不相応」の意味合いが違うようだと気づく。
これは後から知ったことだが、斎藤がよこしてくれたこの真剣。それこそ銘は入ってはいないが、価格の意味でも質の意味でも、それなりに価値の高いものらしく。
和の考えていた「分不相応」とは、より根本的に己が刃を握る資格があるのか否か…という意味合いであるのだが、どうやら男達の言う「分不相応」とは、格下の身分の者が何故そんな立派なものを持っているのか…ということのようで。
とはいえ、それがわかったところで、さて何をどう言えばいいのだろう。困った、とばかりに和は沈黙する。
「おい、なにを黙っている」
「…と、言われましても……」
下手に言い訳でもすれば、もっとややこしいことになりそうな上に、そもそも言い訳も何もない。これが不琉木や和輝あたりならば上手くやるのだろうが、さて口下手な自分はどうしたものか。
そう思っていた最中――
「…!?…痛……っ!」
「一言、謝ることもできぬのか。壬生狼の品格も、たかが知れるというものだな」
歩み寄ってくるなり、男の一人が無造作に和の手首を掴んで捻り上げた。関節の可動範囲が並より広いとはいえ、こうも無遠慮に、しかも意図的に痛めつけるようにされては、そんなものは意味を為さない。
顔をしかめつつも、和は彼らの言葉を脳裏で反芻する。謝る?品格?一体、なにを言いたいのか本当にわからない。痛みより、その困惑のほうが勝っていて。
今度はグイっと、顎を掴まれ顔を無理矢理上げられる。
「ほぅ、顔は存外、整っているようだが…どうせ、大した身持ちではないのだろう?我々がここに来たからには、先生が留まるに相応しい場所になるよう、小姓も考え直さねばならんな」
「………」
…なんだか主張はよくわからないが、どうやら自分をネタに、古参幹部達ひいては新選組を悪く言っているようだ。
なにか言いたい。けれど、和は口を開けなかった。それは、男が強めに顎を掴んでいるのと、今なにを言ってもおそらく意味をなさないだろうと思ったのもあるが――脳裏に、とある記憶がフラッシュバックしていた。
そう、あれは幼き日の頃のこと。どんなに泣いて訴えようが、なにも出来なかった小さな自分の姿が、鮮やかに甦る。
悔しいというより、悲しい――そんなことを、心に想った矢先だった。
ふいに、痛みと束縛が消える。急なことだったので咄嗟によろめいたが、しかし、なにかに支えられる感覚に首を傾げた。視界が黒に覆われ、同時にすぐ傍から聞こえてきたのは――
「…貴様ら、なにをしている」
もう耳に馴染んだ、静かな声。だがこの時、その声はいつもよりも硬く、些か低い。
和を束縛していた手を一瞬にして退けた斎藤は、少し狼狽している男に更に問い質す。
「答えろ、何をしていた」
誰かが近づいてくる気配など、全く感じなかった。予想外のことに狼狽えていた男達だが、気を取り直して口を開く。
「これは、斎藤組長。いえ、なにやら小姓が己の仕事を放りだしているようだったので、注意を促そうと声をかけ――…っ!」
そう言えば、斎藤が引くと思っていたらしい。その言葉に更に眉を眇め、すぅっと目を細めた斎藤の様子に、彼らは本能的に喉を引き攣らせた。
「確か、佐野七五三之助(さのしめのすけ)と加納鷲尾(かのうわしお)と言ったな…では、聞こう。この者が仕事を放りだしていると、そう思った理由はなんだ」
「それは…こんなところで、呑気に剣を振るっていたので。小姓であるならば、我々の真似事などせず、それ相応の仕事だけをしておればよろしいかと」
その言葉に、斎藤は更に更に、らしくもなく己の沸点が低くなってゆくのを感じた。とはいえ、あくまで表向きはいつも通り。
呑気?真似事?彼女のどこをどう見たら、そういう考えに至るのか。とはいえ、そこを問答する気はなかった。
おそらく察するに、彼女は自分が戻ってくるまでの間、いつものように自主鍛錬をしていたのだろう。幾度も見ていることだから、容易くわかる。そこに、なにゆえか、この男達が難癖をつけたと、そういうことか。
「…では、そういう貴様らは、なにゆえここにいる」
「「………」」
「ここは立ち入らぬようにと、そう初日(しょじつ)に言い渡されたこと、よもや忘れていたわけではあるまい」
斎藤も斎藤とて、彼らが伊東と共に入隊してきた者達であることは、とうに判っている。
木刀を取ってくるため席を外していたが、それほど時間は経っていないにも関わらず、戻ってきてみれば彼女が苦痛に顔を歪めているのが見えて。
その光景を見た途端、何を考えるよりも先に、この足は素早く動いていた。こんなことなら、自分も一緒に取りに行くと言った彼女を、連れて行っていれば良かったと後悔する。
「…仕事を放り出していると、そう言ったな」
あくまで淡々と、斎藤は事実を事実のままに言う。
「…今後、誤解のないよう言っておくが。この者は己のやるべきことを為した上で、時間のある時に鍛錬している。そしてこの俺も、新選組として、幹部として、やるべきことを為した上で指南をしている」
言外に、ゆえに和を貶めるのはお門違いだと、やはり鋭い視線を以て男達を見据えつつ、更に言葉を重ねる。
「剣を振るうのに、小姓である無しは関係なかろう。少なくとも、ここに身を置いているならば、己が身を己で守ろうとする気概は必要不可欠。異論はあるか」
小姓であるならばそれ相応の仕事だけを…と、そう言った彼らは、どうやら小姓そのものを格下と蔑んでいるようだ。これ以上の問答は無用と、暗にそう主張するように斎藤は男達を見る。
その静かな気迫に圧されたのか、ぐ…と悔しそうに唇を噛んだ彼らは、「…これは、失礼を」と全くそうは思っていないような雰囲気で言い、立ち去っていった。
「――…あの、はじめ…ごめん、なさい」
束の間の沈黙後、くい、と小さく着物が引かれる感触と共に、明らかに落ち込んだ声音で謝罪の言葉が。
「…あんたが、謝ることではない。それより、大事な――…っ!?」
なにゆえ彼女が謝らねばならぬのか、そんな必要はないと言って和を振り返った斎藤は、しかし、次の瞬間に絶句する。
そんな斎藤の様子に、キョトンとなった和は、彼の視線を追って視線を下げた。
そしてやはり、予想外のことに絶句する。
――斎藤の着物を掴んでいるその手…手首に、紫色の手形がついていた。
「あー、またか」
とはいえ、この紫色には見慣れているため、和はすぐに気を取り直した。ああ、またか…と、自分の体質を「しょうがないな」と苦笑する。それにしても、こんな鬱血するほど強く握られていたとは。
そう客観的に分析していた時――いきなり、その両足がふわりと宙に浮く。
「っ!?…って、え、はじめ…!?」
「……」
「じ、自分で歩けるから降ろし――」
「黙っていろ」
ピシャリ、と有無を言わさぬ口調に、思わず口をつぐんだ和。
一方の斎藤、横抱きしている彼女の口を強制的に封じると、もう木刀など捨て置き早足にその場を立ち去る。
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