テニスの王子様 夢物語::世界は彩どりに包まれて::

□金茶色
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中学生になるまで、手塚はそのスクールに通っていた。
その頃から頭角を示していた彼は、およそ5年前の小学5・6年生の時から既に周囲から一目置かれる子供であった。
テニスにおける天武の才のみならず、厳格な祖父譲りの子供にしては大人びた風貌や雰囲気もそれに拍車をかけていただろう。

そんな手塚に対して周囲は知る由もない。
まさか彼が、どういったわけか中卒でスクールの職員になった15歳の少女に、淡い想いを抱いたことを。


* * *


「ったくあのスケベ上司。辞めてやろうかしら」


今日も今日とてブツブツと文句を呟きながら一人、桃華は持参した弁当を広げる。年代物のために少しくすんだ緋色の弁当包みを解く。
ちょうど膝に乗る大きさの曲げわっぱ。つい最近にどこぞのクソ野郎が言っていた通り、見た目も中身も全体的に茶色っぽくてお世辞にもオシャレではない。
箸を持ち、まずは出汁巻き卵。最初と最後のひと口はこれと決めている。だから大切に味わう。


「ふぅん、今日はアゴ出汁なのね」


追っ払うために誇張してシスコン風にしたが、出汁巻き卵が好物なのは本当だ。あとは、まぁ、誇張した十分の一くらいは桔梗の腕も褒めてはいる。絶対に言わないが。
それと、美容に良いというのも実体験だったりする。下手に外食したり食堂で食べるより身体に良い食材に料理がてんこもりなのだ。
ついこの間なんて見当たらないと思っていれば泥だらけで帰ってきた。掘りたての筍と一緒に。悔しいことに美味しかった。筍ご飯。

けれど、出汁巻き卵も筍も、もっと言えば食材だとか素材だとか、あちらにいた時は別に好物でも気にしたこともなかった。
とりわけ大好物と豪語した出汁巻き卵だけれど、一体いつからどんなきっかけでそう思うようになったか思い出せない。気づいたら、好きかも、と思うようになっていたとしか。


「まぁ、なんだって良いけど」


これまた持たされた水筒の温かいほうじ茶を飲んでひと息つく。全く、これではダイエットなんて出来やしない。
5年前より沢山食べている気がするが、不思議と太らないので別に良いけれど。味覚って変わるものなのね。

桃華が座っているのは人気のない花壇のベンチだ。ビルの裏手というほどではなく、薄暗いどころか程よくやわらかな日差しのあるところ。
そういえば今日は、あの桜の剪定をするとか言っていた気がする。なんというか、5年経った今も桔梗のことはわからないことが多い。別の意味では菜穂もだが。
あんなことがなければ絶対に関わり合いになんかならなかった人種。だから三人が集まると未だに会話がカオスになる。絶対に自分が常識人だと桃華は信じて疑わない。


「ほぅ、これが大好物の出汁巻き卵か」


考えていたらなんだか疲れた。午前中もクレーマーの対応をしたりと忙しなく。
お願いだから午後はなんともありませんようにと念じつつ箸を口に運ぼうとして――ひょいと。


「なかなかウマいな」
「ちょっと!なに勝手にヒトのもの食べてんのよ!?」


手首を掴んでいる手をばっと勢いよく跳ねのけ睨みつける。
それに動じることなく、いつの間にか傍に立って見下ろして来るアイスブルーの双眸は面白そうに細められた。実に憎たらしい不遜にして不敵な雰囲気を持つ男
――いや、桃華にとってはガキんちょは、ここの社員であれば一度は顔写真か何かで知っている人物だ。


「また会ったな、緋野桃華」
「わたくしはお会いしたくありませんでしたわね」
「俺は客でもお前の上司でもねぇ。その喋り方は気に食わねぇな」
「あら失礼を。わたくしの好みは年上の紳士なおじ様ですので」


言外にお呼びじゃないと牽制する。修羅場を潜り抜けてきた中卒を舐めない方が良い。


「お坊ちゃんは学校も行かずお散歩ですか?良いご身分ですこと」


しかもコイツよりにもよって出汁巻き卵を盗った。万死に値する。言い方が古風になりつつある桔梗の影響力が怖いとかどうでも良かった。
手早く食べかけの弁当を片付け、元々良くなかった機嫌を一気に急降下させたままさっさと立ち上がる。

跡部景吾。親会社である跡部財閥の御曹司にして跡取りと噂される、現在中学3年生の少年。関わったら絶対に面倒くさい。


「お忘れ物だぜ」
「差し上げますわ」


背を向けたベンチに、飴玉ひとつ。喉を傷めたら大変だろう、と毎日数粒、弁当と一緒に入れてくる。しかも今時、地味な甘露味。


「どうぞ、ひと粒分の甘いひと時を」


とびっきりの、盛大な皮肉を込めた笑顔の手切れ金を。
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