short story
□中編
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タケシ達と一旦別れたサトシとコノハは湖の辺へと移動した。この場所は、シロガネ大会の開会式が行われる前日に、サトシがシゲルと二人で話した場所だった。サトシはあの時シゲルが言っていた言葉を思い出す。
──不思議だな。あの日君が遅刻しなかったら、あの夜僕がこんな月を見ていなかったら、今こうしているこの時間は、全く違うものになっていたのかも知れない。その時何を選ぶかで、未来は無限に広がっていくんだ。…僕たちは、まだまだ未熟だ──
いきなりそんな事を言い出すシゲルにサトシは違和感を覚えた。
思えばあの時から、シゲルは自分の目標について考えていたのかもしれない。
『驚いたでしょう』
あの日の自分とシゲルと同じように、月を見上げながら話を始めるコノハに、サトシはいつもよりも小さな声でうんと頷いた。
「……コノハは知ってたのか?」
『うん。一回戦の前日にね。少し悩んでいたみたいだから、二人で話したの』
「……そっか」
口ぶりからしてコノハもシゲルの様子に違和感を感じていたのだろう。だから、彼女の方から話の場を設けたのだと察しがついた。
サトシもシゲルの様子がおかしい事に気づいてはいてが、あの時はすぐに話題を大会の事へと逸らされたためにあまり気に留めてはいなかった。
複雑な感情がサトシを支配する。今もまだ正直戸惑っているし、頭の中も整理し切れていない。でもそれがなぜだか分からなかった。どうしてこんなにも、心がざわついているのか……。
『どうしたの?シゲルが研究者の道に進むことが気に入らないの?』
「違う!そうじゃなくて……。自分でも、よく分かんないんだ」
大きく溜息をついた後、サトシはポケットに手を突っ込み何かを取り出した。拳を開けば、ボロボロになったモンスターボールがそこにあった。
サトシはそれを眺めたまま動かない。彼の膝の上では、ピカチュウが心配そうにサトシを見上げている。
『……小さい頃は、シゲルはアンタのことライバルだと認めてなかったわよね』
「……いきなりなんだよ」
あの時と同じように、今度はコノハが急におかしな事を話し始める。サトシは眉を顰めるも、そのまま彼女の話に耳を傾けることにした。
『旅に出てからもそれは変わっていなくて、ずっとアンタの一方通行だと思っていたけど、でも実際はそうじゃなかった。何だかんだアンタ達は昔からライバルだった。
───だから、要はね、そういう事なのよ』
「は?」
そういう事、とはどういう事、だ。
サトシは首を捻る。
『答えはもう言っているんだけど、本当にわからないの?』
「……俺はコノハやシゲルと違ってバカだから分からないんだよ」
口を尖らせながら顔を歪めるサトシにコノハは呆れながら言い返す。
『自分でバカって言ったら終わりよ』
「じゃあバカじゃないのか?」
『いや、バカだけど』
「ちぇ……」
結局最後にはバカ呼ばわりされるのか。サトシの機嫌は降下する一方だった。そんな彼を見ながらクスリと笑いを零すコノハに、早く教えろよと目で訴える。
『全く、アンタのそういう所、昔から変わっていないわね』
「悪かったな!早く教えろよ!!」
駄々を捏ねた子供のように声を上げるサトシ。旅をして少しは大人になったと思ったコノハだったが、どうやらそうではないらしい。コノハやシゲルの前では特に……。
──私も安心したわ。何時になっても、この関係は変わらないのね。
いつも無茶ばかりするサトシは放っておけなくて、目が離せない存在だった。その為に、常にコノハが隣にいてストッパー役になっていたが、旅に出ればそれも出来なくなる。少し寂しくも感じていた。
けれど、こうして話してみると、あの頃と変わらないやり取りがこうして行われる。思わず構いたくなる、弟のような存在。
変わらない関係。
そしてそれは逆も然り。サトシもコノハのことを頼りになる姉のような存在なのだ。
だから、それと同じようにサトシとシゲルの関係も変わらない。
『たとえ目指す道が違っても、貴方達は永遠のライバルなのよ。ずっと、ね』
「……!」
サトシは目を見開いた。それと同時に心に響いたもの。
”永遠のライバル”
何故だか分からないが、心地好いワードだった。そしてそれが、心の中にあったモヤモヤを一気に吹き飛ばして消してしまった。
そこでようやく気づいた。少し不安だったのかもしれないと、このライバルという関係が、形が変わってしまうのかもしれないと。
「……気づいてたのかよ」
『サトシが鈍いだけよ』
まるで悪戯が成功したような、楽しそうな表情を浮かべるコノハにサトシは思った。やはりコノハには敵わないと。
『私も不安だったわ。旅に出てからこの関係が、三人の距離が変わってしまうんじゃないかって』
「……コノハ」
コノハが守りたい者。それは自分の家族やポケモン達ではなく、サトシやシゲルも含まれていた。それ程彼女にとって二人は大切で、失いたくない存在なのだ。幼馴染という関係も、距離も、三人を繋ぐものを断ち切られることも、またコノハが恐れているものの一つであった。
『だからね、分かるのよ。サトシが戸惑う気持ち。そして多分、シゲルもあったんじゃないかしら。私達と同じように、不安に思ったこと』
コノハと同じように、シゲルはあまり自分に関する話はしたがらない。だから飽く迄これは勘だ。根拠は無いが、それでもコノハはそんな気がしてならなかった。
「何でそう思うんだ?」
『さぁ、私もよく分からないわ。でも、多分深い意味も理由もないと思う。幼馴染だから、ずっと一緒にいたから、何となくだけどお互いのことが解る。理由なんて、それでいいんじゃない?』
穏やかな声色であやす様に、優しく語り掛ける様にコノハはサトシへ自分が見つけた回答を差し出す。
別に幼馴染という関係が、絶対的な信頼へ繋がる訳でもない。強く繋がっているものもあれば、冷たく凍りつき、砕けてしまうものもある。それでも、それが理由だと強く主張できるコノハは、三人の関係が前者であることを知っているから。信じているからだろう。
サトシはコノハの言葉をもう一度心の中で復唱した。一言一句、刻み付けるように……。
そして、ふぅーとゆっくり息を吐いてから勢い良く顔を上げた。
「…………あー!もうやめだ!ウジウジ考えるなんて俺らしくないよな!!」
「ピカピ?」
自分に言い聞かせるようにサトシは声を上げる。そんな彼の顔には、いつもの凛とした表情が戻っていた。
『もう、大丈夫そうね』
「ああ!コノハ、サンキュ!」
元気になったサトシの姿を目に映し、コノハは彼に背を向けた。
──私も、人のことを言ってられないわね……。
後は自分だけか。少し表情を曇らせる。まだ肝心の自分の悩みについては解決していない。
コノハはチラリとサトシの方へ振り返る。サトシはピカチュウと楽しそうに話していた。
──たまには、甘えるのもいいかもね……。
一回戦の後、サトシに付き合ってほしいとお願いしたものの、正直まだ話すか話さないか迷っていた。
けれど今は、何故だか二人と過ごしたい気持ちが溢れて仕方が無かった。
水面にゆらゆらと映る美しい満月を眺めながら、コノハは久しぶりに三人で共有できる時間に期待を膨らませていたのであった。