本編

□第1話
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 あれは、シロガネ大会が終ってすぐのことだった。

 リーグへの出場を決め、無事に予選を潜り抜けたサトシとシゲルは、本戦の一回戦で対決することとなり、勝ちを収めたのはサトシだった。幼い頃からずっと二人を見てきたコノハにとって、その闘いもまた印象深いものとして自身の記憶にはっきりと焼き付いた良い思い出となった。
 そして、サトシとの戦いを終え、区切りをつけたシゲルは新たな夢に向かって走り出すことを決意したのだ。"ポケモンの研究者になる"と。
 もちろん、その話を聞かされたサトシは複雑な表情をしていたが、目指す道は違ってもライバルであることに変わりはないのだと気づき、新たなシゲルの目標を受け入れ、会場を後にする頃にはお互いにエールを送っていた。

 そうしてそれぞれのシロガネ大会を終え、サトシはカスミとタケシと、コノハはシゲルと共にマサラへ戻ったのだ。
 故郷へ帰郷したものの、早くポケモンの研究に取り掛かりたくて仕方がなかったシゲルは、いてもたってもいられずまた直ぐに旅へ出たのだ。
 コノハは、シゲルの見送りのために町の外れまで着いて行ったのだが、その時にとんでもない爆弾を落とされたのだ。

 あれは別れ際だったか。「じゃあ」と軽く手を挙げ、コノハに背を向けたものの中々前に進もうとしない。

『……シゲル?』

 そんな幼馴染の様子が、いつもと違うことに気づく。一体どうしたのかと問いかけようとした時、シゲルはくるりとコノハの方へ向き直った。その表情はいつにも増して真剣だった。
 その顔を見て、何か自分に伝えるべきことがあるのだと察したコノハは、開きかけていた口を閉じ、静かにシゲルの言葉を待つ。

『……君に、伝えるべきかずっと悩んでいた』

 話の目的が見えず、コノハはどう反応すべきかわからなかった。わかるのは、シゲルと自分にとって大切なことを、伝えようとしているということだけ。

『だけど、君には知っていてほしいんだ。僕の気持ちを』

『……気持ち?』

 やはり話が見えてこない。
 困惑した表情でシゲルを見上げるコノハの様子に、『相変わらずこの手のことには鈍いなあ』と苦笑を漏らす。自分の気持ちを伝えたら、一体彼女はどんな反応を見せるのだろうか。少しの期待を抱き、シゲルは静かに正直な気持ちを言葉にする。

『好きだ』

 ビュウッ。冷たい風の音が鼓膜を震わせる。頬に当たるそれがやけに心地よく感じるのは、きっと体温が上昇しているせいだろう。
 いつも以上に心拍数が早い。らしくもなく緊張している自分をできるだけ表に出さないように取り繕うので精一杯だった。コノハにこの焦りが伝わっていなければいいが……そんな心配は杞憂に終わる。
 目の前の想い人は、目を丸くしたまま固まっていた。状況が整理できないと顔に書かれている。そんなコノハの反応が、シゲルにとっては可愛らしいもので、畳み掛けるようにもう一度同じ言葉を届ける。

『君のことが、好きなんだ』

 コノハは、何の反応も示さない。変わらずシゲルを見つめているだけだった。流石にそろそろ何かしら応えてほしい。固まったままのコノハの頭に手を置いて、愛しい名前を音にする。
 途端、みるみる赤くなっていくコノハの顔。それを見て、ちゃんと自分の「好き」の意味を理解してくれたことに安堵する。

『まっ……て。なん、で……いつ……』

 どうして自分が好きなのかと。いつから好きだったのかと。コノハはそれを問いたいのだろう。しかし、羞恥と衝撃が勝り上手く言葉が紡げないらしい。
 シゲルはクスリと上品に微笑み、コノハの頭を優しく撫でながら続ける。

『ずっと好きだった。幼い頃から、ずっと……いつ僕の気持ちに気づいてくれるんだろう、いつこの気持ちを伝えようって、悩んでばかりだったよ』

 けれど、答えのない問題とずっと睨めっこを続ける日々からそろそろ抜け出さねば、前に進まなければ。そうした決意から、コノハに告白することを決めたのだ。

『自分の感情が、コノハの仕事に支障をきたすんじゃないかって……不安になったこともあったよ』

 コノハが恋愛に疎いことも知っている。だからこそ、慣れない話を持ち出して、探偵という危険な仕事に悪影響が出るのではないか。そのせいで、コノハに余計な傷を負わせてしまうんじゃないか。そんな不安が脳裏を過り、なかなか踏み出せなかったのだ。
 しかし、それも結局は言い訳であることに気づいた。幼馴染という、この心地好い関係性が崩れてしまうのを、恐れていただけだと。

『君が好きだからこそ、君と本音で向き合っていきたいんだ。これからは……』

『……シゲル』

 初めてだった。こんなにも男の顔を見せる幼馴染を見たのは。
 シゲルは女性に対していつだって紳士的だ。けれどそれはあくまで礼儀として、失礼のない振る舞いをしているだけ。キザな態度もその延長というだけで、そこには恋愛感情など込められていない。以前は、ガールフレンドたちの前で自信満々な態度を表していたが、それはどちらかというと見栄を張るため、と表現した方が正しいだろう。
 いずれにせよ、コノハから見たシゲルは、女性に対し自身の恋愛を挟む人間ではなかった。自分に対しても、幼馴染として大切に思われているから他の女性と接し方が違うだけだと、そう思っていたのだ。
 だからこそ、シゲルから向けられた感情に、どう反応すれば良いのかがわからない。コノハはただただシゲルの顔を見つめることしかできなかった。

『いきなりこんな事を言われて驚いただろうけど、僕は本気だよ。けど、今すぐ応える必要はない。僕はいつでも待ってる。だから、コノハの気持ちがちゃんと決まったら、伝えに来てほしい』

『う、うん…』

 コノハの表情は相変わらず固まったままだった。自分たちの関係性は、ずっと幼馴染で、それはこの先も変わることがないと思い込んでいたから──
 ぐちゃぐちゃになった思考を正常に戻そうと頭を動かせば、更にごちゃごちゃになっていく。上手く言葉を返せなくて、顔を真っ赤にさせたまま口をパクパクさせる。
 幼い頃から変わらないコノハのウブな一面に、シゲルは優しく微笑む。そして、コノハの頭に置いていた自身の手を、静かに引っ込めた。

『僕はもう行くよ。それじゃあ』

 最後にそう言い残し、シゲルはコノハから背を向け、今度こそ歩き出した。
 小さくなっていく幼馴染の背中を、コノハはただただぼーっと眺めることしかできない。なかなか赤みが引かない自身の頬に手を添え、ポツリと呟いた。

『こ、これは夢に決まってる』

 そう思いたいのにやけに早く脈打つ鼓動が、『夢じゃない』とコノハに訴え続けていた。

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