本編

□第2話
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 マサラタウンに帰省し2日目。昼食を済ませたコノハは、オーキド研究所の厨房を借りてクッキーを作っているところだった。ここしばらくは探偵の仕事が忙しく、キッチンに立つ機会もなかったため、料理の感覚を忘れないようにするためだ。
 コノハは甘党で花より団子な少女だが、料理に関しては得意なわけでも苦手なわけでもなく、人並み程度にできるくらいだった。(どちらかというと苦手な方なのだが)
 ずっと訓練や勉強漬けの毎日を過ごしていたため、包丁よりも木刀や竹刀を扱うことの方が多い。だから、時間がある時にこうして料理やお菓子作りの練習をしているのだ。

「えっと……次は、クッキーの型を作って……」

 レシピ本と睨めっこをしながら、手を動かしていく。イーブイはそんな主人の一生懸命な姿を、隣で幸せそうに眺めていた。
 コノハは探偵業以外の事柄に関して、意外と不器用なところがある。人付き合いを始め裁縫であったり、オシャレであったり、しっかりしているようで意外と抜けてるところがあったり、それなりに弱点が多いタイプの人間なのだ。それでも、自分の苦手と向き合い、こうして日々修練を励む主人の姿が、イーブイにとっては誇らしかった。

「……イーブイ、もうちょっと待っててね。あとは焼くだけだから」

「いっぶい!!」

 クッキーが並んだ天板を、温まったオーブンの中へゆっくりと滑らせる。温度と時間を設定しスタートボタンを押した。あとはこれで焼き上がるのを待つだけだ。その間に使った食器等を片付けてしまおうかと洗い場へ移動し、蛇口を捻る。
 その時、テーブルに置いていたポケギアから着信のメロディが流れた。

「……?誰からだろう」

 コノハは水を止めて、ポケギアの通話ボタンをタッチする。そこから聞こえてきたのは──

『やっほー!コノハ!』

「……!!……カスミ?」

『そうよ!』

 馴染みのある声が、コノハの脳裏に橙色の髪の少女を思い起こさせる。
 カスミは、以前、サトシとタケシが共に旅をしていた仲間だ。現在はカントー地方に留まり、ハナダジムのジムリーダーを務めている。
 彼女とは、サトシほど長く時間を共有したわけでは無いが、コノハにとって良き友人であり、相談相手でもあった。

 最後に会ったのは、ホウエンのミラージュ王国へ訪れた時だったか。トゲピー祭りの招待券をゲットしたカスミから、よければ一緒にどうかと誘われてお供したのだが、それはロケット団によって仕組まれた罠であった。
 更にミラージュ王国では、その国の姫であるセイラたちと共に、摂政のハンゾウへ王位継承権が奪われぬよう壮絶な戦いを繰り広げた。忙しない一件だったが、コノハにとってはトゲピーの神秘に触れることができた貴重で不思議な体験でもあった。
 あの時の騒動を思い浮かべながら、カスミの声に耳を傾ける。

『あれからどう?大きな怪我とかしてないでしょうね?』

「うん。平気。大丈夫」

『だといいんだけど……コノハってば、無茶するから心配なのよねえ』

「…………そう?」

『そうよ!』

 シゲルと似たようなことをカスミにも言われ、そんなに自分は周りを不安にさせているのかと眉を顰める。
 その自覚が全くないというわけではない。致命傷でなければどうとでもなる、という大雑把な考え方を持っていることは否定しないし、危険な職業であることも承知している。でも、自分の体が傷つくことは仕方がないことだと割り切っているし、それを気にしすぎると仕事にならない。
 それを言うならサトシの無茶はどうなのだろう。コノハは普段からそういう危険に応じた訓練を行い、対策を練り、任務に挑んでいる。
 しかし、サトシはそうではない。ポケモントレーナーとしての実力はあるし、この広大なマサラで育ったこともありそれなりに身体能力の高さも評価している。それでも一般人に分類されるのだ。にも関わらず、いつも予想外の行動を見せ、身を投げ出す。こちらの方が心臓に悪い案件である。

『コノハの言いたいこともわかるわよ?サトシも無茶ばっかりするもの』

「…………」

 いつの間にかコノハの疑問を感じ取っていたカスミは、やれやれと溜息を吐いた。大方、共に旅をしていた頃にサトシがやらかした無茶の数々を思い浮かべているのだろう。

『でも、コノハの無茶はまた違うでしょ?』

「…………そうなの?」

『そ・う・な・の!!』

 サトシと自分の無茶の違いがよくわからず、コノハは難しい顔で腕を組み、考えるポーズをとった。

『なんて言うか、怖いのよ……』

「……怖い?」

『そ。自分の体のこと、コノハは割と本気でどうでも良いって思ってるとこあるでしょ?』

 サトシの無茶は、熱くなって周りが見えなくなる傾向が強い。後先考えず、目の前のことに必死になって、感情任せに動き、気づいたら”無茶”に当てはまるような行動をとっているようなもの。
 コノハはある意味その逆で、先の結果も、それによって自分がどうなってしまうのかもわかった上で、危険に飛び込んでいる。そして、その行動には、誰かを助けられるなら自分などどうなってもいいと、どこか投げやりな感情が含まれていた。
 そのことに、カスミは気づいていた。だから、怖いのだ。本当にいつか壊れてしまうのではないかと。

『コノハがどうしてそんなに必死なのか、理由はわかってるけど……だからこそ心配なのよ』

「…………ごめん」

『謝らないで。あたしはコノハのそういう正義感の強いところ、尊敬してるんだから。ただ、もっと自分を大事にしてってこと』

「……それもシゲルによく言われてる」

『でしょうねえ』

 シゲルの気持ちに気づいているカスミは、さも当然のように同意した。ついでに彼のコノハを心配する気持ちもよく理解できる。
 大切な幼馴染で、想いを寄せる女の子がそんな危険な世界に居るなど、彼にとっては気が気でないだろう。

「……カスミは?」

『ん?』

「カスミは、その、大丈夫なの……?」

『……ああ、うん!あたしも元気よ!』

 遠慮がちなコノハの声から、彼女の言いたいことを察したカスミは、安心させるように元気な声で頷いた。
 この間のミラージュ王国での一件で、カスミはトゲピー──トゲチックに別れを告げた。蜃気楼の彼方に存在する楽園に住むトゲピーたちを守るため、トゲピーから進化を遂げたトゲチックは、王国に残ることを決めたのだ。
 二人の別れの瞬間に立ち会っていたコノハは、カスミが寂しい思いをしてはいないか……それが気がかりだったのだろう。

『相変わらずジムが忙しいくらいで、なんとかやってるから大丈夫よ!ありがとね、心配してくれて』

 カスミの声は、強がりから出たものでも、無理をしているものでもなかった。コノハがよく知るいつもの明るい声に安堵し、ホッと胸を撫で下ろす。

「……あ、それで、急に電話なんてどうしたの?」

 お互いの近況報告に随分と時間をかけてしまったが、カスミがなぜ電話を掛けてきたのか、用件をまだ聞いていないことに気づく。

『そう言えば、まだ用件を伝えてなかったわね。実は、ハナダに新しいカフェができたんだけど、コノハが良ければ一緒に行かない?そこのパフェやケーキのデザインが水ポケモンをモチーフに作られていてすっごく可愛いのよ!!味も文句なしよ!』

「……パフェ、ケーキ……うん、行く……!」

『決まりね!』

 甘いものが好物であるコノハにとって、こんなにも美味しい話はない。
 長期休みもまだ8日残っているため、明後日にマサラを立てばカスミと過ごす時間も十分に確保できるだろう。4日後辺りにはハナダに到着することを告げ、最後に一言交わし通話を切った。

「イーブイ、カスミと会うことになったから。明後日にはマサラを出るよ」

「いぶぅ!」

 隣で静かにコノハとカスミの会話を聞いていたイーブイは、嬉しそうに尻尾を降っていた。カスミと会えることが嬉しいのだろう。
 愛嬌たっぷりな相棒の頭を優しく撫でれば、その心地良さに目を細め手のひらに身を預けている。コノハの口元も自然と緩んでいた。

「随分とご機嫌だね」

「……シゲル」

 キッチンの出入口に立っていたのは、白衣姿の幼馴染だった。その格好からずっと研究室にこもって作業を行っていたことが伺える。

「……作業はもう済んだの?」

「いや、まだだよ。でもキリの良い所まで進んだからね。休憩がてら、君がお菓子作りに励んでいる姿でも見ていようかと思って」

「…………」

 休憩がてらでなぜ自分がお菓子作りをしている姿を見る必要があるのだろう。そんな疑問が頭をよぎる。気になったコノハは、本人に訪ねようとして、しかし、すぐ口を閉じた。
 シゲルのことだからまたキザな台詞でも投げてくるのだろう。そういう事にあまり耐性のないコノハにとってはできる限り避けたいものであった。
 けれども、コノハが内心そうやって悩んでいる間に、シゲルはその葛藤を察して、くつくつと笑っている。それが何だか悔しくて、コノハはプイッとそっぽを向いた。

「それより、コノハ。ひとつ聞きたいことがあるんだけど」

「……?」

「この大量のクッキーの生地は……?」

 シゲルの視線は調理台の上に固定されていた。クッキングシートの上にズラりと並べられたクッキーの生地たち。ハートにダイヤ、クローバーやスペードといったトランプに因んだ形が可愛らしい。のだが、そのとんでもない数にシゲルは微妙な表情を見せる。
 なぜこのようなことになったのかは、大体予想がついている。というより、答えは簡単だ。

「……分量間違えた」

「だろうね」

「……調整したら増えた」

「増やしたんだろう、君が」

 いつもの無表情で、淡々とシゲルの問に答える幼馴染の料理の腕は、相変わらず不器用なものだった。コノハは、玉子焼きであったり、味噌汁であったり、そういった簡単な料理は問題なく作ることができる。
 しかし、高確率で今回のように分量を間違えて失敗することがあった。それ以外にも、例えば、オムライスの玉子を上手く乗せられず、破けたり、ぐちゃぐちゃになるといったベタな失敗も繰り返している。(当の本人はそこまで深刻な問題として捉えているわけでないようだが。)

「どうするんだい、この量……」

「……庭のポケモンたちにお裾分けするから問題ない」

 丁度そこでオーブンのタイマーが鳴った。クッキーが焼きあがったようだ。コノハはミトンを手にはめて天板を取り出し、台の上に置いた。
 クッキーの焼き色は申し分ない。一つ手に取って味見をする。クッキーのサクッとした食感もある。味も甘すぎず薄すぎず丁度良いものだった。

「……今日のは成功した」

「分量は間違えてたけどね」

 ”今日のは”ということは、これまで何度か失敗していたのだろう。そこにはあえてツッコミを入れず、シゲルも一つ、クッキーを摘んで一口かじる。

「…………どう?」

「まあ君にしては頑張った方じゃないかな」

「そう。なら良かった」

 少し嫌味の混じった言葉に動じることなく、コノハは別の天板を持ち上げ、オーブンと向き合った。シゲルが欲しかったリアクションが見られず、残念だと言わんばかりに肩をすくめる。
 昔の彼女であれば、きっと頬を膨らませて何かしら言い返していただろう。けれど、すっかり大人びてしまった今は、ほとんどそういった反応を見せない。

『サトシ、シゲル……わたし、ポケモンディテクティヴになる』

 数年前、突然変わってしまった幼馴染が告げた言葉を思い出す。何かに絶望したような暗い表情で、小さな声で、ディテクティヴを目指すと言ったのだ。
 そして、察した。何か、大きなモノを抱え込んでしまったのだと。それが、彼女を変えてしまったのだと──

(君はどうして、そうやって自分を追い詰めてしまうんだろうね……)

 オーブンをセットする幼馴染の後ろ姿を眺めながら、シゲルは重たい溜息を吐き出す。
 なぜ、突然ポケモンディテクティヴの道へ進むことを決めたのか。当時、その理由を何度問い詰めても、コノハから明かされることは無かった。トレーナーになってからも、ずっと──
 しかし、シロガネ大会で再会した時に、ようやく話してくれたのだ。あの時の苦しそうな彼女の顔を、シゲルが忘れることは無いだろう。絶対に。

「……シゲル?どうしたの?」

「えっ」

「辛そうだったから……」

 いつの間にかオーブンをセットし終えたコノハが、シゲルの前に立っていた。

「……なんでもないよ」

 人の痛みには敏感な癖に、なぜ自分の痛みには無頓着なのだろう。

「それより、焼きあがったクッキーを皿に移そう」

 どうすれば、君が抱えているその重い荷物を、少しでも軽くできるのだろう。

 イーブイと戯れながら皿を用意するコノハをこっそりと見つめる。いつか昔のように、何ものにも囚われず、笑顔で毎日を過ごせる日が彼女に訪れてほしい。
 シゲルはそう願って、この不安が悟られぬよう、いつもの調子でコノハの隣に立つのだった。


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