本編

□第3話
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 コノハはとある町の中枢にぽつりと立っていた。
 マサラタウンではない。山に囲まれ、小さな民家が並んでいるが、ここは明らかに、今、滞在している故郷とはかけ離れた光景が広がっていた。
 しかし、この町はよく知っている。なぜならば、ここは、この町は、コノハにとって転機となったあの場所だから。

 ーー……ああ、またか。

 もう何度目になるかわからない。”あの日”から繰り返し、この夢を見るようになった。だからか、自分が夢の世界に居る、という認識が、この夢の時だけは自然とできるようになっていた。
 空を仰げば灰色の雲が漂っている。現実でもありふれた景色であるはずなのに、今は酷く不気味に感じた。
 ふと、足元に広がる水溜まりを覗き込む。そこに居たのはあの日の幼い自分。この夢の世界では、必ず自分の姿は幼少の頃のものに変わる。まるで、あの日を完璧に再現するかのように。

 静かな世界。
 ポケモンも、人も、誰もいない。
 音も、風も、何もない。
 あまりにも寂しい世界が、広がっていた。

 コノハはいつものように、その場で立ち尽くす。襲いかかるあの日の後悔と罪悪感。胸を刺す痛みに、呼吸が乱れていく。
 今日はいつもと比べて息苦しい。ズキンと痛む頭を抑え、崩れ落ちるように膝をついた。

『……っ!?』

 直後、自分の真後ろから感じた気配に、コノハは息を呑む。わざわざ確認をする必要はなかった。背後に佇む”誰か”の正体が何者かを知っているから。
 少しずつ増していく頭の痛み。額を抑えながら、ゆっくりと振り向いた。コノハの目に映ったのは、やはり”あのコ”だった。
 ソレはじっと、探るようにコノハを見ている。その目は酷く冷たい。
 指が震える。それでも、恐る恐る手を伸ばした。あの日、守れなかったものを取り返すように。しかし、コノハの手がソレに触れることはなかった。 

 突然、テレビの画面が途切れてしまったかのように、目の前に広がっていた光景は一瞬にして消えて無くなった。
 代わりにコノハの視界には、自室の真っ白な天井が広がる。数秒後、夢から覚めたことを認識した。

「…………」

 コノハは目元を片手で覆いながら、身体を起こす。酷く重く感じられるのは、きっと夢での出来事が感覚としてまだ残っているからだろう。
 ふと背中に感じる違和感。べっしょりと湿ったパジャマが肌に張り付いて気持ち悪い。どうやら、随分と汗をかいてしまったようだ。
 コノハは、自分を抱きしめるかのように腕を摩る。心に宿る不安が消えるように、強く。

 ――コンコン

 小さなノック音が部屋に響く。それと同時に、コノハの身体がビクリと跳ねた。
 ベッドから降りたコノハは、夢の中で感じた激しい胸の痛みを抱え扉の前まで歩く。フラフラとおぼつかない足取りで、しがみつくようにドアノブを捻った。

「やあ、おはよう」

 コノハの目に飛び込んできたのは、幼馴染のシゲルだった。
 そう言えば、今日一日、彼と2人で過ごすことになったのだ。夢に気を取られ、すっかりと忘れてしまっていた。

「…………おは、よう」

「コノハ?顔色が悪いようだけど……」

 少し青白い顔色からすぐにコノハの異変に気づいたシゲルは、そっと彼女の頬に触れて言葉をかける。

「大丈夫かい?」

「…………うん、平気」

 どう考えてもそんな風には見えない。
 言葉とは反対の思い詰めた表情で、『着替えてくるから』とコノハは再び自室へ戻って行った。

 廊下に取り残されたシゲルは、複雑な表情で小さく揺れるドアプレートを眺める。
 コノハと少しでも長く一緒に居たい。そんな思いからコノハの自宅へ訪れたシゲルは、彼女がまだ起きていないことをコズエから聞かされた。いくら休暇中とはいえ、早起きが習慣化しているコノハがまだ眠っていることに違和感を感じ、彼女の部屋へ足を運んだのだ。
 悪い予感は的中した。シゲルの呼び出しに応じたコノハの表情は明らかにぐったりとしたものだった。悪い夢でも見たのだろうとすぐに察しはついたが、本人に話す意思が無いのであれば無理に聞き出すのはよそう。彼女を気遣って、開きかけた口を閉じた。
 ──とはいえ……

(かなり重症だな……)

 率直に、そう感じた。
 コノハがポケモンディテクティヴを目指すきっかけとなった"三年前の事件"。それが起きてから、度々その事件に関連した夢を見るようになったとコノハ自身から聞いている。
 まだシゲルがトレーナーだった頃、何度かコノハと2人で過ごすことがあった。しかし、その間にコノハがその夢を見ることは無かったため、こうして悪夢にうなされ調子が優れない彼女を目にするのは初めてだった。
 そして、その姿はシゲルが思っていた以上に深刻なものであった。

 シゲルの中に募るのは、焦りだった。コノハが潰れてしまうのも時間の問題だ。早急に手を打たねば、取り返しのつかない所までいってしまう。
 けれど、解決策は未だに見つかっていない。だからコノハもここまで追い詰められているのだろう。

(……僕には、何ができるんだ)

 何としてでも救いたい。
 何よりも大切な女の子だから。
 彼女をこの真っ暗な闇の渦から解き放つ方法があるのなら――


「……シゲル、お待たせ」

 着替えを終えたコノハが、いつの間にか扉を開けて自分の目の前に立っていた。それにギョッとするも、すぐいつものように笑みを乗せる。

「……朝食、まだだろう?もうすぐできるって、コズエさんが言っていたよ」

「わかった」

 こくりと頷く彼女の顔色は、元に戻っていた。覇気がなかったさっきとは違っていつも通り、何事も無かったかのように、シゲルと言葉を交わす。
 それが更にシゲルの不安を大きくさせた。本当は今すぐ抱き締めて、もう何も考えなくて良いのだと、君は何も悪くないのだと、そう伝えたい。けれどコノハはそんな言葉を望んではいない。
 だから、今シゲルがコノハにしてあげられることは、少しでも彼女が過去の記憶から意識を逸らせるよういつも通りでいること。ただそれだけだ。

「それより……君ねぇ、なんだいその髪」

 爆発した前髪と跳ねまくりの長い髪に触れ、呆れ顔を見せる。そんなシゲルに対し、コノハは何も気にしていない様子でこてんと首を傾けた。
 コノハは昔からどこか自分の身だしなみに無頓着だった。それはどうやら今も変わっていないらしい。
 まずはこのボサボサ頭をなんとかしなければ。シゲルは一つ溜息を吐いて、だらしない幼馴染の背中を押し洗面所へ向かったのだった。


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