本編

□第3話
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 朝食を終え、出かける準備も整った二人は、町の商店街を抜けて裏山へ向かって歩いていた。
 幼い頃は、まだ危険だからと子どもだけでその裏山に踏み入ることを許されてはいなかった。けれど今は修行を積み、ポケモントレーナーとして十分な実力が備わっているため問題はない。
 二人の目的地は、裏山を登った先に建てられている高台。昔、オーキドに連れられ、サトシも含めた幼馴染三人で何度か訪れたことがあった。マサラタウンが一望できるその場所から見える美しく長閑な景色は、今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。それほど、幼い自分たちの心を掴むには十分なものだった。
 懐かしい、あの高台へもう一度行きたい。そんなコノハのリクエストから、最初の目的地となったのだ。

 鳥ポケモンたちのさえずりと、優しく吹き抜ける風と、木々が揺れる音に耳を傾けながら、山道を進んでいく。
 小さな頃は登ることすら精一杯だったが、トレーナーとして旅をしてきた今の二人にはなんてことない道のりだ。

「…………着いた」

「久しぶりだね」

「うん」

 高台に辿り着いた二人は、備え付けられている柵に手を置いて故郷を見渡す。懐かしい景色に、少しだけあの頃に戻ったような感覚を覚えた。

「……小さい頃は、ここで皆でお弁当食べながら、三人で将来何になりたいか話をしたっけ」

「そうだったね」

 お弁当はサトシの母であるハナコが作ってくれたものだった。幼馴染ということから、サトシの家で食事をご馳走になったことはよくあったため、ハナコの手料理は何度も口にしたことがある。
 それでも、三人一緒にこの場で食べるハナコのお弁当は、コノハにとっては特別なものだった。
 温かい家庭の味を、この高台で味わいながら語ったそれぞれの夢。
 あの頃は、三人とも同じ夢を掲げていた。ポケモンを貰ってすぐポケモンディテクティヴを目指したコノハも、最初はサトシと同じようにトレーナーの道を進んでいくのだと、そう信じて疑わなかった。
 マサラを駆け抜ける薫風が、コノハを包み込み、過ぎ去っていく。風と共に自身を横切った落ち葉を目で追えば、瞳に映るのは小さな木製のベンチ。それは幼い頃、サトシとシゲルと三人並んで座り、夢を語り合った思い出のものだった。

***


『サトシはポケモンをもらって、旅ができるようになったら何になりたいの?』

 ハナコお手製プリンのキャラ弁当を頬張りながら、コノハは首を傾げて左側に座るサトシに問いかける。

『そんなのきまってるぜ!おれはポケモンマスター!!』

 海苔で作られたモンスターボール柄のおにぎりを掲げ、サトシは元気いっぱいに自身の夢を宣言する。
 しかし、そんなサトシを「ハッ」と鼻で笑う者が一人。それはコノハの右隣に座るシゲルのものだった。

『君がポケモンマスターになれるわけがないだろう、サートシ君』

『どういうイミだよ!』

『そのままの意味さ』

 いつものごとく嫌味を飛ばすシゲルとそれに反応しムキになるサトシ。また始まった、とコノハは大きく溜息を吐いた。
 この二人が揃うといつもこうなのだ。こういうやり取りが無い日などない。あれば奇跡と言ってもいいほど、サトシとシゲルのこのやり取りは日常茶飯事だった。

『ポケモンマスターになるのはこの僕に決まっているだろう』

『なにィ!!』

『……二人ともやめなよ』

 本当にやめてほしい。コノハは心の底からそう思った。なぜ、言い合いを続ける2人の間に挟まれながらお弁当を食べなくてはならないのだろう。
 二人の喧嘩のせいで、心地好い風や木々の音も聞こえない。せっかく自然に囲まれながらピクニックをしているというのに。なんて風情がないのだろう。

『あっ、そういや、コノハは何になりたいんだ?』

 シゲルといがみ合っていたサトシは、パッといつもの明るい表情に切り替えコノハに詰め寄った。
 二人の言い合いに気を取られていたコノハは、このタイミングで自分に質問が回ってくるとは思わずギョッとする。キラキラと目を輝かせて「早く教えて」と訴えてくるサトシ。それを数秒ほどぼーっと眺めた後、コノハは視線を落とし、口を開いた。

『……私はポケモンたちと色んなところに行ってみたいって思うの』

 自分の知らない色んな世界を見てみたい。それが、この頃のコノハの夢だった。ポケモンディテクティヴである父と母も憧れではあったが、自分には到底なれるものではないという諦めもあった。
 だけどそれ以上に、この世界に存在する"美しい景色"を、ポケモンたちと共に探し、見ること。それが、コノハがこの時、いま一番やりたいと思えることだった。

『それも楽しそうだなあ!!』

『だけど君、ちゃんと迷子にならず旅ができるのかい?コノハちゃんは抜けてるところが多いからねえ』

『…………』

 シゲルの嫌味にコノハは無言でムッと顔を歪ませる。反論ができないのは、痛いところを突かれたからだろう。
 コノハはこの頃から、なんでもそつなくこなすシゲルとは反対にどこか不器用で、危なっかしいところが多々あった。その度にシゲルに面倒を掛け、呆れられたものだ。
 流石に方向音痴ではないと信じたいが、今のままではシゲルに何を言っても説得力がないだろう。もっとしっかりしなければ……。コノハはガクリと項垂れる。

『あ、でもね、それだけじゃないの……』

 右隣から感じる呆れた視線に耐えながら、コノハは再び言葉を紡いだ。

『色んなことをやってみたいって思ってるんだ。だから、ジムやポケモンリーグにも挑戦してみたい』

 これは、夢というよりも純粋な興味といった方が正しいだろう。けれど、知らない世界に憧れを抱く無邪気な子どもにとっては、単なる好奇心から生まれたものだって立派な夢に値するものなのだ。

『ってことは、おれたち夢はおんなじなんだなっ!』

『そうだね!』

 その夢は、今と比べてとても単純で、とても漠然としたものだったのかもしれない。
 それでも、確かにあの時、三人にとってその夢は眩い輝きを魅せる宝石にようにキラキラとしていて、特別なものだった。
 そして、幼馴染三人同じ夢を見ている。それが更にその夢も、この思い出も、輝かせているようで、特別に感じられた。

『まあ、君らには無理だろうけどねえ』

『なんでそういうことばっか言うんだよ!』

『ちょっと、もう……』

 何を話していても、結局、言い合いへと発展してしまう二人の幼馴染に、「この頃」のコノハはやれやれと溜息を吐いたのだった。

***


 今となっては、日常茶飯事だった言い合いも少しだけ懐かしいと感じられるものとなってしまった。その感情は、見た目だけでなく中身も子どもだった自分たちが、旅を通して成長したことを表している。
 穏やかで、温かい特別なあの時間。懐かしい、と思ってしまうこの感覚が、あの出来事が当たり前の日常から外れてしまったようで、少しだけ寂しくも感じた。時間の経過を改めて実感し、コノハは悲し気に微笑む。

「全く、なんて顔してるんだい」

「えっ」

「顔に書いてあるよ。寂しいってね」

 シゲルに指摘され、コノハは少し戸惑いながらペタペタと自分の顔を両手で触る。
 そんなコノハの挙動がおかしくて、シゲルはクスリと笑いを零し、彼女の頭に手を置いて優しく撫でる。少しでも寂しさが紛れるように。
 コノハの寂しがり屋な性格は昔からだった。トレーナーの資格を得る前は、三人で過ごす時間が減ってしまうことをとても気にしていたし、忙しい両親と会いたい気持ちが抑えきれず涙を流すこともあったほど。その度にシゲルが慰めるか、サトシが元気づけるかしていた。
 ただ今は、寂しいと感じることはあっても涙を流すことはなくなってしまったのだが。

「相変わらず寂しがり屋だね、君は」

 シゲルの言葉に、コノハはほんのりと顔を赤らめ困ったように微笑んだ。
 その笑みを見たシゲルは少し安堵する。悪夢のせいで顔色が優れず、けれどそれを指摘されぬよう無理をしているようにも見えたから。それも思い出の地に赴いたことで、幼い頃の穏やかな記憶が彼女の心を癒してくれたようだった。
 だけど、どうせならもっとーー

(僕のことだけ考えてくれたらいいのに)

 そんな欲が顔を出し、シゲルは静かにコノハへ手を伸ばす。

「……コノハ」

「……何?……ッッ!?」

 シゲルの呼び掛けに顔を上げたコノハの体が、何かによって引き寄せられる。ドンと額がぶつかった先は、シゲルの胸元だった。
 温かい体温に、ギュッと体が抱き締められる感覚から、自分がどういう状況に置かれているのかを認識し、頬を真っ赤に染め上げる。

「シ、シゲル……?」

 大混乱に陥る中、慌ててシゲルの顔を見上げようとするも、後頭部を彼の手によって抑えられそれができない。
 腕の中でオロオロしている幼馴染の頭を優しく撫でながら、シゲルはもう一度、彼女の名を音にする。

「ねえ、コノハ」

「……?」

 探るようにコノハを見つめる眼差しに、ゾクリと背筋に何かが走る。
 怒っているようには見えない。少しだけ不機嫌な気はするが。それも塩一つまみ分くらい、本当に少しだけ。

「……えと、どしたの」

「別に。ただ、今は余計なことなんて考えなくていいんじゃないのかと思ってね」

「よ、余計なことなんて、考えてないけど……」

「そうかい?僕にはそんな風には見えないね」

 コノハは自身の頬が熱を帯びていることを認識しながら、シゲルの言動の意味がわからず未だ彼の腕の中で困惑していた。
 どうして抱き締められているのかも。
 どうしてこんな言葉をかけられているのかも。
 考え事は苦手ではないけれど、色恋沙汰が絡むとどうしても思考が鈍ってしまうようだ。答え合わせをしたくとも、意地の悪い彼のことだ。絶対にこの行動の本当の意味を教えてはくれないだろう。

「知りたいかい?」

「……?」

「どうして今、僕が、こんなことをするのか」

「…………」

 知りたい。そう返事をしても、適当に誤魔化そうとするんじゃ?コノハは腕の中で頬膨らませる。

「僕と一緒に居るのに、君ってば別のことを考えて僕とのデートに集中できてないみたいだったからさ」

「でっ……!!これは別に、そういうのじゃ……」

「僕はそういうつもりだったんだけどねぇ。ショックだなあ。今は"僕"と"二人きり"で過ごしているんだから、僕以外のことなんて考えなくていいだろう?」

 愉快そうにクツクツと笑うシゲルは、いたずら好きのゲンガーのようだ。
 コノハの頬が更に膨らんでいく。これではまた"プリンの怒った顔"と揶揄われてしまう。それをわかっていても、こういう反応しかできないのが悔しい。コノハは口を尖らせながら、諦めモードでシゲルの腕の中に収まっていた。

 そんな幼馴染の様子にシゲルはしてやったりと悪魔の笑みを深めながら、自分たちの関係性が随分と変化したことを改めて実感していた。
 これまでは、揶揄うことはあってもこんな風に抱きしめることはなかった。鈍感なこの幼馴染はシゲルが何度気持ちをぶつけたって、意味が分からないと適当に受け流していただろうから。まだ時期じゃないと言い聞かせ、今まで彼女への想いができる限り表に出ないように抑え込んでいた。
 しかし、告白してようやく自分の想いをコノハに認識してもらえた今、もう遠慮する必要はないわけで。彼女の意識がもっと自分の方へ向いてくれるようにと、こうして更に刺激的なアプローチを仕掛けてしまうようだ。

(これから覚悟しておくんだね)

 未だに腕の中でプリンの怒り顔を保ったままのコノハを見下ろしながら、シゲルは宣戦布告するかのように心の中で静かに呟いた。


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