GS3長編 設楽聖司×お嬢様(完結済)

□知人の知人は他人
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「ふん……不協和音にも程がある」
「ですわね。申し訳ございません」
「何年ぶりだ」
「覚えておりませんわ」



肩をすくめる美奈子。

すっかりいつもの調子に戻っている。



「何で辞めた?」
「……お察しの通り片耳が聞こえなくなりまして」
「右は聞こえるんだろ」
「ピアノしかなかった子供には酷な知らせでしたもの。精神的に……指が動かなくなってしまったのです」



美奈子の父親は、良く言えば教育熱心であった。
物心がつく前から娘にピアノの鍵盤に触れさせ、指が動くようになればすぐプロの人間に指導させた。
通学時間が勿体ないと近くの学校に通うことを決められて、授業が終わればすぐに車で迎えがやってくる。
休みの日は朝から晩まで付きっきりだ。
家族で出かけたことなんてない。友達と遊んだこともない。

それがおかしいとは思わなかった。
他の人間にもそれぞれ得意なものや好きなものがある。
放課後すぐに飛び出して、校庭でサッカーやドッジボールに興じる同級生を見て、自分にとってはきっとあれがピアノなのだと感じた。



「最初はピアノの方ががおかしいのかと思いましたわ。でもお姉さまは変わらずお上手でしたの」



家には、自分と全く同じようにピアノを習う1つ上の姉がいた。

そして彼女は自分よりもはるかに腕が良く、それを父親は褒めた。
比較されて貶されて、悔しくて悲しくて、必死になってついていこうと努力した日々。


ある日。
なんだか音が偏って聞こえる気がした。

ぼぅ……という妙なノイズが乗るようになり、何度も振り返った。
話している時、どうにも聞き取りづらくて何度も聞き返すようになった。
授業中少しでも騒めくと教師の声が届かなくなった。

親に言えばまた叱られそうで、言えないまま。



「学校の聴力検査でもしやと思って、病院に行って……それからすぐ」



日に日に酷くなっていく違和感。

毎年行われる身体測定の最後の方で、機械を操作しながら生徒の反応を見守っていた教員の1人が首を傾げたのを見て確信した。
自分はおかしい。

結果の書かれた紙を恐る恐る父親に見せると、血相を変えて病院へと連れて行かれた。



「補聴器ってすごいんですのよ」



ある日渡された、フックのついた肌色のイヤホンのような小さな機械。
耳に嵌めると、まるでスピーカーのように音が増幅されて聞こえる。



「……でも、昔と違うのです。何かが違って……指が止まって」



今までになかった違和感。
無意識に左耳を触るようになり、他の同級生と少しでも違うのが嫌で、髪で隠した。

いつの日からか、鍵盤に触れた指に力が入らなくなった。
弾こうとすると固まって動かない。
泣きそうになりながら腕に力を込めると、鍵盤はまとめて押し込められて不協和音を奏でてしまう。


毎週違う病院へと連れていかれる。

リハビリの邪魔だと高校を辞めさせられた。

両親が口論をし始める。

変わらず姉は綺麗な音を出す。

何もできない自分。


断片的にしか覚えていない。
どうしてそうなったのかあまり思い出せない。



「きっと、だから置いていかれたんですわ。お姉さまと違うから。そのせいで設楽家の皆さまにまでご迷惑をおかけして」



だが、理由はこれ以上ないくらいにわかっていた。

自分のせいだ。


父親と姉が出て行ったあとしばらくして、母親が知らない男と一緒にいるようになった。
実家の者は母親を責めたが、離婚してから男と出会うまでずっとげっそりしていた彼女の頬に赤みがさしたのを知っている美奈子は母親を庇った。
2人まとめて怒鳴られて、追い出された。

いつしか自分は1人になっていた。

どこかできっと母親はもう一度幸せになっているのだ。知らない場所で笑っているはずだ。
自分も別の道で頑張らなければ。
まずは、生きていくために働こう。



「また、両耳で聖司さまのピアノが聴きたい」



運良くどこかで設楽の母と会った時、交友関係の広い彼女なら働き口のあてを知らないか、と僅かな希望を抱えて全て打ち明けた。

自分でも探していたが、電車の乗り方も、写真の撮り方も、履歴書が何なのかすらわからなかった。
情けない気持ちでいっぱいで、今までの分を取り返すように本を読み漁っていたが、20年近い空白があっては到底追いつけない上に文字としての知識しか増えなかった。
書すらろくに読んだこともない内に、それを捨てて街へ出るなんてことはできやしない。

設楽の母から返ってきた言葉は、うちで働けば?というなんとも軽いものだった。

泣き崩れながら、家族まとめて全員に感謝した。
彼女たちの為ならなんでもできると思ったし、初めて自分から何かをしたいと思った。



「……ふぅん」



美奈子の独白を聞き、設楽はただそれだけ言った。



「ここでなら聴かせてやる。勝手にすればいい」
「……本当に?これからも?」
「嘘言ってどうする」
「まあ……!」
「別におまえのためじゃない。自分の練習だ」



ふい、と顔を逸らすと、立ち上がって紅茶を置いた机に向かう。

美奈子は幸せを噛み締めるように笑った。



「はいっ」



うふふ、と笑う彼女を横に冷めた紅茶を啜る。



「ずっとお慕いしておりましたの。何歳かしら。舞台の上の聖司さまを拝見した時からずっと好きですわ」
「ブッ」
「あら、大丈夫ですか?美味しくありませんでしたか?」



さらりと告げられた言葉に驚いて噴き出した。

咳き込む彼に慌てて駆け寄る美奈子。



「ゲホ、……冷めて渋い。淹れ直せ」
「承知いたしました」



わがまま息子から盆とカップを受け取ると、部屋のドアへと向かう。

あ、と思い出したように振り返った。



「聖司さま」



口元を拭いながら設楽が彼女を一瞥する。



「わたくし、とっても幸せです。ふふ」



返事のない彼に向かって、呆れるほど素直で純粋な笑みを浮かべて言うと、美奈子は静かに扉を閉めた。

残された設楽はまた軽く咳き込みながら、ふたつ並んだ椅子を見下ろす。



「……バーカ」










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