GS3長編 設楽聖司×お嬢様(完結済)
□糸切り鋏
4ページ/4ページ
ドアを叩くと、はーいと明るい声が返ってきた。
「あ、おかえりなさいませ!」
ベッドの上で身体を起こして本を読んでいたらしい美奈子は、設楽の顔を見て嬉しそうに微笑んだ。
立ちあがろうとしたので寝てろと制すと、申し訳なさそうに戻っていく。
が、迷った挙句に正座した。
「なんだ。元気そうだな」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
こんなに寝たの久しぶりですわ〜と呑気に笑う。
「わたくし、もともと身体は丈夫ですのよ。お任せくださいまし」
「へぇ。ならこれはいらなかったな」
「えっ?なんですの?欲しいですわ」
本を傍に置いて目を輝かせる美奈子。
ビニール袋ごと差し出した。
ぱちくりと瞬きをして受け取ると、中を覗いて声を上げる。
「ハーゲンダッツですわ!」
「どれが好きか知らないから全部買った」
「まぁ!これ、大好物ですの」
「知ってる」
「あら、お伝えしまして?」
「おまえら休憩室で隠れて食べてるだろ」
「ひゃっ……お恥ずかしいですわ〜……」
ハウスキーパーがお菓子の類をキッチンからくすねて休憩時間に楽しんでいることは、本人たち以外は知っている。
別に咎めるようなことではないので誰も言わないだけだ。
これも好きあれも好きと楽しそうに選ぶ美奈子。
「聖司さまは?」
「いらない。おまえに買ったんだ」
「一緒に……」
「いいって」
「……」
「わかった。わかったからそんな変な目をするな。心臓に悪い」
残りは外にいたハウスキーパーに任せた。
多分あれもまた数個減って冷凍庫に保管されるだろう。
いただきますとにこにこしながら一匙掬って口に運ぶ美奈子。
「おいしい」
「……」
その顔をじっと設楽は見つめた。
「……あの、顔に穴が空いてしまいますわ」
「!!」
「何かついてまして?」
それが自分の無意識だと気付き、つい言い返す。
「ついてない。体調管理くらい自分でしろって思って見てただけだ。おまえが悪い」
「うっ」
美奈子は撃ち抜かれたように顔を顰めて肩を落とした。
仰る通りですわと眉を下げ、重たい吐息をもらす。
自己管理はしているつもりだった。
体調に影響が及ぶ程の疲れなんて身に覚えがない。
昨日気を失ったきっかけについては朧げにしか残っていないが、何かの糸が切れたような気がして力が抜けたのだ。
自分でも気づかない内に疲労が溜まっていて、意欲だけで保っていたのだろうか。
環境の変化もあるのだろうか。
……などと考えながら自己嫌悪した。
ああ、また自分は誰かに迷惑をかけている。
いつもそうだ。
多分ずっと変われない。
「美奈子」
「……」
ベッドの端っこを見つめながら考え込む彼女の名前を、設楽がいつもの呆れたような声で呼ぶ。
上の空なまま目線が合うと、急に彼は声を詰まらせた。
「心配するだろ」
「……え?」
予想外の言葉に目を見開く。
「今まで休みなしで働いてたって聞いた」
「え、あ、はい……」
「俺はそんなこと頼んでない。休むなって言ったか?」
「……いいえ」
「おまえが無理してるとか気付いてやれたらいいけど、できないんだ。俺は」
「え……?」
「そういうのうまくないんだ。だから無理なときは無理って言ってくれ。倒れてからじゃ困る」
あまり見たことのない顔だった。
心から頼み事をするような目は初めて見た。
どう返せばいいのかわからない。
「あの、聖司さまのせいじゃないのですよ? わたくしが……」
その、と美奈子が黙ると、設楽がはっとしたような表情をした。
「……わかってるよそんなこと。だからさっきそう言っただろ。悪いのはおまえだ、おまえ」
「はい……」
「ああもう、とにかく早く治せよ、いいな!」
「……承知しました。ふふ」
いつもの彼だ。
心配された事実にくすぐったくも顔が綻んでしまう。
やっぱり彼は優しい。
「ごちそうさまでした」
甘く冷たい小さなカップを空にして、美奈子は手を合わせた。
「元気が出てまいりました。明日から復帰できそうですわ」
ふんふんと両手で拳を作ってみせる。
見たところ元気だが、その謎のやる気がきっと彼女の疲労を隠していた。
環境の変化に順応するだけでも気疲れする筈である。
息抜きという概念がないのかもしれない。
「日曜日」
「はい?」
「確定で休め。他のやつらには言っておいた」
「えっ」
「だいたい、倒れるまで働くなんてどうかしてるんだよ。そういうのアレだろ、社畜とかいうんだ。バカバカしい」
「……う」
「やることが多すぎるなら言え。人ならいるだろ。新入りで下っ端だとか思うな。俺からすれば全員平等なんだ」
「はい……」
しゃちく……と、聞き慣れない単語を脳で噛み砕き漢字に変換しようとする。
今度調べてみよう、とぼんやり思った。
「聖司さま」
「ん?」
「ありがとうございます。嬉しいですわ」
「……」
恥ずかしそうに設楽を見上げる美奈子。
そのいじらしい笑顔が可愛くて、つい、座ったままの彼女を引き寄せて髪に唇を寄せた。
額の上の方に一瞬口付けて離す。
腕の中で、びく、と美奈子の肩が驚いたように跳ねた。
「え?」
「ん?」
2人して不思議そうに顔を見合わせる。
「い、今……聖司さま」
「ーー!!」
驚いた顔の美奈子を見て、はっとした。
何も考えていなかった。
ただ、したくなったからしただけだ。
自分の顔まで熱くなってきた。
心臓がいきなり早く鳴って、眩暈のようなふらつきを覚える。
「……間違えた。気のせいだ」
「あっ、ちょっと……」
勢いで外へ向かうと呼び止める声を遮るように急いで閉め、ドアを背にして大きく息を吐いた。
口元を掌で覆う。
さらさらとした髪越しの彼女の額の感触がまだ残っている。
熱っぽくのぼせた頭を抱えた。
「……交代で倒れてどうする」
.